第20話「スキッパー対策」
「あの、デポジット預からなかったけど、大丈夫なの?」
莉奈が不安そうな顔で訊いてきた。
「今ちょうど、大丈夫かどうか確認してるところだ」
「どういうこと?」
莉奈は首をひねった。
「デポ対象にも関わらず、デポジットを支払わないお客様には二種類の人間がいるんだ。一つは、デポ対象にさせることを不愉快に思うお客様。そりゃデポジットを要求されて喜ぶお客様は少ないからな」
「もう一つは?」
「スキッパーだよ」
「なんなの? それ」
「ホテル用語で、無銭宿泊者のことだ。要するに、招かれざる客ってやつだな。このファイルには、他のホテルからのスキッパーについての情報がまとめてあるんだよ」
いわゆるブラックリストだ。そういう俺も、このことは最近知ったばかりだが。
「スキッパーの被害に遭ったホテルは、即座に別のホテルに情報を公開するんだ。性別、推定年齢、服装、顔の特徴などをな。そしてスキッパーは基本的に偽名で、住所もデタラメだ。同じ偽名や住所を使っている場合は多い。もしそれらしい人物が現れたら、これと照らし合わせてみるってことだよ」
莉奈は途端に焦りだし、ファイルの中を覗き込む。
「予約を入れるのはだいたい前日か当日。滞在をできる限り延長し、食事代などは全て部屋付け。散々豪遊した後、外出のふりをして行方をくらますのが典型的な手口だ。大半は特徴のない中年男性。共通することは、スキッパーは目立つことをできるだけ避けること。そして、デポジットの要求を断ることだ。まさに、さっきのお客様のようにな」
「じゃ、じゃあまさか……あの人がスキッパーなの?」
「まだそうと決まったわけじゃない。だが、住所も電話番号も、報告に上がってるものとは一致しない。それでも目を光らせておく必要はありそうだ、可能性がある限りはな」
「お客様を疑ったりしていいの?」
「金を払わない奴はお客様じゃない。そこを見極めるのも、ホテルマンの仕事だよ」
俺は口の端を上げ、胸を張った。
「なんか颯斗……ホテルマンみたい」
「いや……ホテルマンだから」
恋華に内線電話で呼び出された俺は、紅茶を淹れながら、例のスキッパーらしき男について話した。
「たしかに、口数が少なくて声が小さいってのはスキッパーの特徴ね。あなたも、その男のことを疑ってるの?」
「まあ、ちょっとは。一応、総支配人にこのことは話したけど、今のところは様子を見るしかないらしい。やっぱり証拠がないと、どうにもできないからな」
「そうよね。証拠もないのに無理に追い出したり、警察沙汰にするわけにはいかないし」
「総支配人も、証拠がない限りは大切なお客様だから、チェックアウトギリギリに外出したりした場合は呼び止めてくれってさ」
「なるほど、考えたわね。あくまでもスキッパーがギリギリのタイミングで姿を消したりしない限りは、不審な外出も見逃すと。友恵らしいわ」
だが、それでもスキッパーが早い段階で逃げ出してしまえば意味がない。あくまでも、これは俺たちホテル側が取れる最善の方法というだけだ。確実にスキッパーの被害から逃れられるわけではない。
「なら、私にいい考えがあるわよ」
「え、どんな?」
「簡単よ。その男に最高のサービスを提供してあげなさい、これ以上ないってくらいにね」
恋華は得意げな表情で言った。
だが、俺はいまいち、その意図がわからない。
「それで、スキッパーかどうかわかるのか?」
「恐らくだけど、多少なりともサービスは要求されるとは思うの。それこそ高級な料理やワインとかをね。そこであえて、運が良かったとかなんとか言って、値段以上のサービスをしてみなさい。そうすれば、向こうから尻尾を出すはずよ」
恋華は自信満々で言うが、そんなことをしてもし逃げられたりしたら、ホテルは大損だ。スキッパーの疑いのある人物にはリスクが高い。
しかし、他でもない恋華の考えだ。そこにきっと、何か意味があるのだろう。
「それと、付け加えておくけど、さっきの友恵のやり方には穴があるわ」
「穴って、どういうことだ?」
「例のお客がその手のプロだったとしたら、先手を打たれるってことよ。例えばチェックアウト直前に、わざとホテルのどこかに姿を隠すとかね」
「あっ!」
思わず声を上げた。さすがの俺も、恋華が何を言いたいのかわかった。
「そうか。ホテル側が自分を疑ってるのかどうかを、その時の反応から伺える」
「その通り。スキッパーの常習犯なら、これくらいのことはしてくるわ。デポを支払ってない自分が姿を消せば、ホテル側はスキッパーなんじゃないかって疑う。もしその時に何事もなければ、そのまま宿泊期間を延ばして、今度は本当に姿を消す。でも、ホテル側が自分のことを疑っているとわかれば、チェックアウトの時間を勘違いしてたとかなんとか言ってその場を誤魔化し、今度は早い段階で姿を消す。普通に姿を消すのと違って、次からはこのホテルを狙う理由がなくなり、スキッパーとしても今後のリスクが消えるってわけ」
まるで経験者のように語る恋華。こいつ、まさかやったことがあるとかそんなわけないよな。まあ、でもそれは普通にないか。金持ちはそんな面倒なことをするより、札束を差し出した方が楽だろうし。
「ただ結局のところ、普通に逃げられるのが一番厄介なんだけどね。ホテルとしても、お客様の外出にはいちいち口出せないし」
「だよなぁ。何事もなきゃいいんだけど」
「心配なら、その男の住所とかを調べてみたらいいんじゃない? もしデタラメなら、それで一発じゃない」
「いや、だめだ。それは俺がもう総支配人に提示してる。けど、その案は却下されてるんだ。必要ないって言われて」
「あら、そうなの。どういうことかしら?」
「それは証拠にならないかららしい。デタラメな住所を使う宿泊客が、イコールスキッパーってことじゃないからだとよ」
「たしかにそうね。じゃあ、私の案を採用しなさい。スキッパーなら、間違いなく食いついてくるわ。この毒付きの餌にね」
「さっきの話か。あれ、いったいどういう意味なんだ?」
「ふふ、なら颯斗には教えといてあげるわ。その男、きっとこう言うはずよ。あと少し、ここに泊めてもらえないかって。そしたら、あなたはこう言いいなさい。ちょうどご希望に添えられるお部屋をご用意できますってね」
恋華は不敵な笑みを浮かべた。
そして恋華が「その後」と言いかけた瞬間、デスクの電話が鳴った。
「もしかしてフロントからじゃない? あのぺったんこの新人ちゃんが、何かやらかしちゃったとか」
「おいおい、勘弁してくれよ」
俺は受話器を上げる。場所はフロントからだった。電話の相手は予想通り、莉奈だ。
『は、颯斗! すぐフロントに戻ってきて!』
「何かあったのか?」
『話は後でするから。とにかく、早く来て!』
相当慌てている。どうやら急を要することらしい。
「行ってあげなさい。夕食になったらまた呼ぶから」
「悪いな。恋華」
俺は部屋を後に、すぐフロントへと走った。
フロントの前には、すだれ頭の男が不機嫌そうに立っていた。その隣では、莉奈が青い顔をしている。どうも俺と恋華の嫌な予感は的中したらしい。
「どうかなさいましたか、お客様」
俺は莉奈とすだれ頭の間に割って入った。
「どうもこうもない。この娘が部屋まで私の荷物を運んだ際、転んでアタッシュケースを床に落とし、中の物をぶちまけたんだ。そのせいで大切な仕事用のパソコンの調子が悪くなってしまった。今夜中に仕事を終わらせなくちゃならないんだ。最悪、データのバックアップは取ってあるが、代わりのパソコンがないと作業ができない。なのにこの娘と来たら、謝るばかりで何もしやしない。早く代わりのパソコンを用意しろ!」
相当ご立腹だ。これは落ち着かせるのも簡単じゃない。
「それとアタッシュケースもだ、落とした衝撃で鍵まで壊れた。だから中身が出てしまったんだ! このままでは使えないだろ! 新しいケースに変えろ!」
男は興奮し、唾を飛ばして怒鳴る。しかしアタッシュケースの鍵が壊れたうえに、パソコンまで調子が悪くなるというのは、さすがに妙だ。
「修理費用も全額、ここに請求するからな。もちろん、それなりの誠意は見せてくれるんだろうなぁ?」
「誠意と言いますと?」
「当たり前だろ! こんなミスをしておいて、ただ弁償するだけで済ませる気か? 予約していたシングルとは別のスイートの部屋を確保しろ! 私はその部屋を使う! わかってると思うが、追加料金なんか一銭も払わないからな!」
「かしこまりました。料金は今のままで結構です。こちらの不手際で御不快な思いをさせてしまったこと、深くお詫びいたします」
「ふん! わかればいいんだ。ほら、さっさとカードキーをよこせ!」
ロビーで激しく怒鳴り散らし、すだれ頭はカードキーを奪うように受け取った。
俺は空いているスイートに男を案内し、すぐに代わりのパソコンと、新しいアタッシュケースを用意した。コンシェルジュがその手のクレームがあった時のために、パソコンなどの重要な仕事道具の代わりは前もって用意しておいてくれたのが幸いした。
フロントに戻ると、莉奈が申し訳なさそうな目でこちらを見ていた。
「お前もこれでわかったろ。クレームを入れられる側の気持ちが」
「うん……この間は、本当にごめん」
「まあ、それは別にいいんだけどさ。まんまと作戦に引っかかっちまったな」
「え、作戦って?」
莉奈はフクロウのように首をかしげる。
「あの男、わざと壊れたパソコンをアタッシュケースに入れてたんだよ。多分、鍵も前もって壊しておいたんだろうな。それで何でもいいから理由をつけて、パソコンが壊れた原因をホテル側のせいにするつもりだったんだ。部屋をグレードアップさせるためにな」
「うっそ! 何それ、せっこぉ」
「お前も俺に似たようなことしたけどな」
「あっ……あー、そうだったかな、あははは」
莉奈は後ろめたそうに、俺から目を逸らしながら後頭部を手でかいた。
「お前がアタッシュケースを落としたのは偶然だが、まんまと利用されたな」
「でもスイートはないでしょ。ツインとかデラックスツインとかで手を打って貰えば良かったのに」
「あのタイプの客は絶対引いたりしない。それにそれでまたキレて怒鳴られたりしたら、他のお客様にも迷惑になるからな」
だが、莉奈はまだ納得のいっていない様子だった。
「らしくなってきたじゃないか」
背後から耳に覚えのある声が聞こえた。振り返ると、総支配人が誇らしげな笑みを浮かべている。
「ロビーで何やら騒ぎがあったと聞いて駆けつけたが、どうやら片付いたようだな」
「はい。でも、大したことじゃありません」
俺は肩をすくめた。
「話は変わるが、例のお客様の様子はどうだ? 何か気になることはなかったか?」
これは恐らく、スキッパーの疑惑が浮上している、橋本草治のことだろう。
「俺はさっきフロントに戻ったばかりなのでなんとも。おい莉奈、何か特別変わったこととかあったか?」
「ディナーに、高級料理とワインを注文してるわ。時間になったら後で持ってくことになってる」
「なるほど。食事代も部屋付けとなれば、いよいよスキッパーの可能性が高くなってきたな」
総支配人は顎に手を添える。
だが、この段階ではまだあくまでも可能性があるというだけで、スキッパーという確証はまだない。
俺は、さっき恋華に言われたことを総支配人にも話した。
すると総支配人は、一言「なるほど、その手があったか」と呟いた。どうやら、恋華の作戦の意図に気づいたらしい。
「さすがは如月様。その手、使わせてもらうとしよう」
ふてぶてしく笑う総支配人。いったい何に気づいたというのだろう。
「貴様は如月様の言っていた通りにすればいいんだよ。そしたら私に連絡しろ、いいな」
「は、はぁ……わかりました」
俺の中では、まだ若干の不安が残っていた。
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