第15話「上層民は下層民が気がかり」

 夏休みももう半分ほど過ぎ、俺もこのホテルでの仕事に慣れてきた。


 グランドホテル・ヘブンは、ビジネスマンが多く利用する。だが、お客様の持つ雰囲気というものは多種多様だ。普通のスーツを着たサラーリマンから、高級品ばかりを身につけた者、今にも「うちのカミさんがね」と切り出しそうなくたびれたスーツの男など。週末になると、仕事で使うビジネスマンより家族や恋人などの旅行客のほうが多くなる。中には地方から来たと思われる者で、訛った口調のお客様もいる。


 だが今日はそのどれにも当てはまらない、珍客が訪れた。

 その人物がフロントに現れたのは、太陽が街を赤く染め、ゆっくりと影がのびはじめていた夕方だった。


「颯斗。あんたここで何してんの?」


 ホテルマンとしてフロントの前に立つ俺を冷たい目で睨んでいるのは、幼い頃からよく知っている幼馴染、安西莉奈だった。


 その表情は誰が見ても不機嫌そのもの。何故そんなに怒っているのかは、付き合いの長い俺にもわからない。


「どうしたんだよ、莉奈。お前がこのホテルに来るなんて」


「夏休みの課題、ちゃんとやってるか気になったのよ。それで家を訪ねてみたら、颯斗のお母さんから、あんたは今ここで住み込みのバイトをしてるって教えてもらったの。ねぇ、何で黙ってたわけ? 普通、このあたしに一言あるわよね?」


 何故か立腹している莉奈は俺を舐めつけ、恫喝するかのように訊いてきた。


「いや、こっちだって急だったんだよ。なんか勝手に連れてこられたというか」


「は? 意味わかんないんだけど」


「俺だって意味わかってねーんだよ! つうか、お前に話す必要は特にないだろ。聞かれてもいねーし」


「誰が、ホテルで住み込みのバイトしてるの? なんて質問するのよ! そんなのわかるわけないでしょうが!」


 それはごもっともで。


「隠し事はしないって決めてたでしょ? 彼氏や彼女ができたときも話すって約束したし!」


 そういやそうだったな。結局、俺も莉奈も恋人はできなかったわけだけど。

 恐らく、今までホテルで働いていることを黙っていたことに怒っているのだろう。しかし何故そこまで気分を害するのか俺にはわからなかった。


「可愛いねー、お人形さんみたい。彼女、颯斗くんの昔の女?」


 フロントに身を乗り出しながら、本堂先輩が訊いてきた。


「変な言い方しないでくださいよ。なんすか、その明らかに悪意のあるセリフ。ただの幼馴染ですってば」


「へー、ただのねぇ。彼女はそうでもないみたいだけど」


「え、それどういう意味です?」


「うーん、颯斗くんはまだわかんなくていいんじゃないかなー」


 先輩はニヤニヤと嫌な笑みをこぼす。この人がこういう顔をする時は大抵、何か良からぬことを考えている。


「けど珍しいねぇ、颯斗くんがお友達を連れてくるなんて」


 コンシェルジュが事務所から現れ、莉奈を一瞥する。その言い方だと、なんか俺に友達いないみたいな感じに聞こえるからやめてくれ。

「いや、俺が連れてきたわけじゃないんですけどね」


 その時、内線電話が鳴った。近くてに立っていたコンシェルジュが受話器を取る。短く言葉を交わすと、視線を俺の方へと向けた。


「颯斗くん。如月様から呼び出しだよ。今週発売の旅行雑誌を持って、すぐ部屋まで来るようにだってさ」


「わかりました!」


 俺はコンシェルジュから旅行雑誌を受け取り、エレベーターホールへと足を向けた。


「ちょッ! まだ話は終わってないんだけど!」


 無視してそのまま横を通り過ぎると、何故か莉奈が俺の後に続いて来た。


「……なんでお前まで」


「話の途中だし……」


「はいはい……わかったよ」


 面倒くさい、けど今は仕事優先だ。

 俺はエレベーターを使って恋華の部屋の前まで来ると、軽く二、三回扉をノックした。返事が聞こえることなく、ドアが開いた。そこには目を輝かせる恋華の姿があった。


「雑誌! 持ってきた?」


 それはまさに好物の餌を前にしたペット。視線は雑誌に向けられている。


「ほらよ。今週は都内じゃないのな」


「リゾートにも、そこにしかない良さがあるものなの。特に有名な観光地は都内とはまた違った贅沢があるわ。お客が求めているものやホテルのサービスはまたそれぞれよ」


 さすがはホテルマニア。ホテルについて語ったら世界一かもな。

 恋華のホテル語りを初めて聞く莉奈は、俺の隣で首を傾げている。まあ、あまり共感されない趣味だから仕方ないが。

 恋華は雑誌に飛びつき、胸の中で抱きしめた。


「ちょっと、誰よその女。妹? 似てないわね」


 視線を莉奈へとずらす。


「いや、血縁関係とかないから。こいつは安西莉奈、俺の幼馴染だ」


「幼馴染? ってことは、もしかしてタワーマンション育ち?」


「ああ、それも最上階に住んでる」


「それはまた、友恵が嫌いになりそうなタイプね」


 たしかに、総支配人は団地やタワーマンションを異常に嫌悪しているからな。その理由は詳しく知らないが、劣等感のようなものとは訊いている。


「颯斗。中に入っていつもみたいに、身の回りの世話よろしくね。服の洗濯と部屋の掃除、それとアールグレイ」


「服の洗濯は自分でしろ」


「ちぇ、冗談通じないわね。わかったわ、あとで女性のハウスキーパーを一人呼ぶから」

隣に立つ莉奈は、青ざめた顔で頭を抱えていた。


「あんた、マジで召使いみたいなことやってるのね。なんか、頭痛くなってきた」


「まあ、そういう反応になるよな。けど悪い、まだ別の仕事もあるんだ、話はまた後ででいいか?」


 帰るよう促すが、莉奈は俺の肩をガッチリ掴んで離さない。どうも簡単には離してくれないらしい、力が徐々に強くなっている。てか痛い。


「嫌、帰らない。説明あるよね? 隠し事はなしなんだから」


 顔が怖いです、莉奈さん。

 虚ろな目を向け、今にも背中から刺してきそうなほどの殺気を放っている。


「颯斗と私の関係ねぇ。一言で表すなら、なにかしら? あ、ご主人様と下僕の関係……とか?」


 その瞬間、莉奈の中で燃え上がっていた火は鎮火した。

 俺を見る幼馴染の目は一層、冷ややかなものになっていた。

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