第12話「ナイトパーティ」

 初めての夜勤当日。時刻は夜の十一時。

 普段なら、俺のシフトは基本的に午後十時あたりで終わっている。その時間になると、いつも夜勤を担当している大学生やフリーターの先輩と交代する。


 だが今日はいつもと違う。俺のシフトが夜になり、他のスタッフも俺と交流のある人間ばかりが集められていた。


「颯斗くん、こっちのプリントの作成お願いしてもいいかな、明日お客様にお配りするから朝までには頼むよ。って言ってもそんなに量はないから、一時間もかからないとは思うけど」


 コンシェルジュが大きな巨体に似合わない小さなパイプ椅子に座りながら、机の上にまとめられた宅配の整理をしている。俺はデスクワークに回され、パソコンでプリント作成の作業を行う。


 基本的に夜勤は朝のシフトへの繋ぎのみで、夜にしかない仕事は正面玄関以外の施錠程度、それ以外は控え室で仮眠をとったり、フロントに交代で立っているだけである。もちろんお客様から呼び出しがあった場合などは出向くが、それも毎回あるとは限らない。


「颯斗くーん、デスクワークが終わったらフロントに来てよー。寂しいよー」


 本堂先輩がフロントの方から嘆いている。どうやら一人でただ立っているだけなのが暇でしょうがないらしい。


 フロント番をサボり、裏の事務室まで入って来る。本来それはダメなのだが、夜勤はロビーがほぼ無人なため、特に何か言われるようなことはない。


 わざと気が紛れるように事務室のドアを開け放したままにしているが、それでもフロントにいると寂しいらしい。


「こらこら、我が儘を言うな。颯斗くんには仕事のことで色々と教えることがあるんだから」


「それなら私だってありますよー、颯斗くんには夜のホテルについて色々と勉強してもらわないといけませんしー。ほらー、男女の肉体的で熱い絡みとかをさー」


 先輩は右手で輪っかを作り、左手の人差し指をその輪に通す。何故この職場の女の子は自ら下ネタを投下するんだ。


「そんなものは教えなくていいから! それに君は普段の夜勤じゃ、寝てるか大学のレポートやってるかのどっちかでしょーが!」


 さすがのコンシェルジュも立ち上がって声を荒げる。普段は大人しいため意外な反応だ。


「ぎくッ! ちょっと、一応私先輩なんですからそういうこと後輩にバラさないでくださいよ! ダメな人だと思われるじゃないですか!」


 図星なのかよ。


「いやいや! もうそれ遅いから!」


 コンシェルジュはツッコミに疲れ、息を乱しながら席に着く。まったく、それに関しては激しく同意である。もはや本堂先輩に先輩としての威厳などない。


 ただコンシェルジュに関してはちょっと不憫だな、と思ってしまった。このホテルはただでさえクセモノ揃い、朝から夜までこれでは真面目なコンシェルジュの苦労は絶えないだろう。


「そうだぞ、いくら夜勤が暇だからって、高校生との不純異性交遊は問題だ。まあ、総支配人責任にできるので、私として大歓迎だがな」


 数秒、その場が沈黙する。


「副支配人、いたんですか」


「こんばんはー、すみませーん、いたの気づきませんでしたー」


「お疲れ様です。副支配人、ナイトマネージャーの代わりでしたよね? 仕事の方は任せてもらって大丈夫ですよ、お気になさらず」


「おい、お前たち……ちょっと私の扱い悪くないかな? わざとやってるのか?」


 無論、わざとやっている。だが、決して口には出さない。


「今日はいつも入ってくれているナイトマネージャーがいないから、仕方なく私が夜勤業務の監督をしているというのに。あれ、もしかして私って人望ない?」


 よくわかってらっしゃる。その通りですよ、副支配人。


 ナイトマネージャーとは、夜間での不測の事態に備えて夜勤業務の総責任を行う職務である。基本的には権限は副支配人とほぼ同等。あくまで夜勤の間のみではあるが。


「でも副支配人、ナイトマネージャーの仕事わからないんですよねー? じゃあいるだけのお飾りってことじゃないですかー。大人しくしててくださいよー」


 先輩はさりげなく副支配人を厄介者扱いし、邪険にする。


「ていうか今の総責任者はナイトマネージャー代理の副支配人にありますから、今この場で問題が起きたら困るのって副支配人なんじゃないですか?」


「なんだとッ! はわあッ! た、たしかに、ありがとう颯斗くん! もう少しで自分の首を絞めるところだったよ。よし、絶対不備のないようにするんだぞ! いいな!」


 副支配人は責任を負うのが自分だとわかると途端に豹変し、急に真面目なことを言い始める。普段から保身にばかり走り、総支配人を失脚させようとばかりしているからここまで人徳が落ちるというのに。何も理解できていない。結局大切なのはスタッフより自分自身か。まあ、副支配人らしいと言えばそうなのだが。

 俺は呆れてため息をついた。


「調子いいですね、そこまで貪欲になれるのは少し羨ましいですよ」


「颯斗くんには、私が後で性欲をたっぷり発散させてあげるから大丈夫だよぉ」


 先輩がよだれを垂らしながら言った。


「性欲じゃなくて貪欲です。てか全く関係ないですよね、それ」


 夜のホテルじゃ洒落にならない、マジで抑えてくださいよ先輩。


「ほら本堂くん、フロントに戻って。クレーム対応とかあったら呼んでくれ、こっちは深夜までにデスクワーク終わらせておくから」


 コンシェルジュが先輩を事務所から追い出し、パソコンをカタカタと鳴らしながら宅配の整理を行う。それを見て、俺も言われていたプリントの作業に入る。今まで恋華に振り回されてばかりだったため、ホテルでのデスクワークというのは新鮮だ。


 それから一時間が経過し、深夜零時。

 俺、コンシェルジュ、副支配人の三人でホテルの正面玄関以外、全ての扉や窓の施錠を行う。これが地味に大変だ。グランドホテル・ヘブンは一般のホテルよりも内部構造が複雑に入り組んでおり、加えて施設やお店の数も多く、それら全てをチェックしなければならないからだ。そして何より厄介なのが、フロントが最上階に設置されているため、一階まで降りるのに時間がかかるということ。普段は逆に仕事がやりやすいが、夜勤だとこれが最も面倒になる。


「お疲れー、コーヒー淹れておきましたよー」


 フロントに戻ると、本堂先輩が事務所のデスクにコーヒーを二杯用意して待っていた。


「はい颯斗くん、こっちはコンシェルジュね」


「ありがとうございます、先輩」


 俺はカップを受け取るが、念のためにコンシェルジュと交換する。疑いたくはないが、本堂先輩ならやりかねない。


「あれ? 私の分は?」


 副支配人がキョロキョロと事務所の中を見渡すが、コーヒーは二杯しかない。


「ありませんよ。自分で淹れてくださーい」

「酷いッ! 今日はちゃんとやってるのにッ!」


 副支配人は床に膝を着く。まるで普段はちゃんとやっていないような言い方だな。まあ、それは事実なんだけど。


 あくまで今回に限り自分に責任がかかるのを恐れているだけで、昼間は総支配人やホテルの不備を見つけようとするだけだからな。

 副支配人は泣きそうな顔でデスクの前に座り、深いため息を吐く。


「まあまあ副支配人、コーヒーなら私が淹れてあげますから、あまり気を落とさないでください」


「おおコンシェルジュ、このホテルで信頼できるのはやはりお前だけだな」


 気を使ってコーヒーを淹れるコンシェルジュの手を取り、感激する副支配人。

 それを見て先輩が苦言を吐いた。


「それってつまり、私らのことは信頼してないってことですかー? ひどーい」


「そりゃ新人の高校生を食い物にしようとする女だからな」


「食い物だなんて、それは誤解ですよー。私はむしろ颯斗くんに食べてほしいくらいなんですからー」


 悪びれることなく、先輩は堂々と答えた。


「余計に悪いだろッ! とにかく、夜の責任が私にある以上、下手なことはしないでくれよ!」


 保身のためとはいえ、一応はまともなことを言っているな。俺としても先輩からのセクハラは勘弁してほしいし、今夜だけは同意しよう。

 すると、フロントの電話が突然鳴り出した。すぐにコンシェルジュが応対する。


「はい、こちらフロント。え? はい、わかりました。すぐに」


 それだけ話すと電話を切った。


「颯斗くん、如月様が君に今すぐ部屋まで来るように伝えろって」


「へ? こんな時間に?」


「今の若い子は夜更かしくらい当然だよ。とにかくすぐに行ってあげて、きっと何かあったんだよ」


 座ってコーヒーを飲んでいた副支配人が飛び上がった。


「なにッ! それはまずいな、お客様の身に何かあったら私の責任になってしまう!颯斗くん、私も一緒に行こう」


「大丈夫です、副支配人はフロントにいてください。専属は俺ですから」


「しかし、今は深夜だよ? 緊急事態だったりしたら」


「それならもっと人を呼びますよ。俺だけ呼んだってことは大したことじゃないはずです」


 副支配人と一緒に行きたくないための言い訳だったが、恋華が新人の俺だけを呼んだのなら難しい問題ではないという確信があった。


 俺は非常階段を使い、三十七階のスイートルーム前へと向かった。この時間でもエレベーターは動いているが、スイートなら階段のほうが早い。


 程なくして、恋華の部屋の前へとたどり着く。

 深夜と言えど緊急の呼び出しというわけではなかったので、俺はいつものように扉をノックした。


「恋華? 俺だ、颯斗だ。何かあったのか?」


 そう言うと、扉がゆっくりと開き始めた。

 恋華は薄い白のネグリジェに身を包み、大きなウサギのぬいぐるみを抱きしめて縮こまっていた。

 俺は何事かと思い、無意識に声を張り上げた。


「おい! いったいどうしたんだよ! 何があったんだ?」


 恋華は何も言わずに俺の袖を掴む。何故か焦っているように感じた。


「颯斗、何も聞かずに今晩、私とずっと一緒にいて」


「はあぁ?」


「お願い! 友恵から聞いたの、今晩は夜勤で朝まで仕事なんでしょ?」


「そ、そうだけど……」


「なら私の専属ホテルマンとして、今晩はこの部屋にいて!」


 恋華の目が必死だ。どうやら冗談で言っているわけではなさそうだな。

 しかし、急に何を血迷っているんだこいつ。いくらなんでもそれはやりすぎだ。年頃の男女がホテルの部屋で一晩共に過ごすということの意味を、恋華は理解できているのか?もうそれは事件だぞ。


「あのなぁ、そこら辺の線引きがわからないわけじゃないだろ? とにかく無理だ。もう遅いから早く寝ろ!」


「そそ、それができるならとっくに寝てるわよ! お願い颯斗!この部屋にいてくれればそれでいいから」


「それに何の意味があるんだよ?」


「うっ、だから……それはその」


 恋華はどうも話したくない様子で、最後の言葉だけを妙に濁す。

 俺は眉根を寄せる。こうなってしまった原因を探るため、部屋の中を一通り見渡してみた。


 するとテーブルの上に新聞が開かれ、テレビ欄のページに赤のペンで丸印が書かれていた。


 午後九時から始まるホラー映画。しかもノーカット放送のスペシャル版だ。まさか恋華、この映画を見て眠れなくなったんじゃ。


「もしかして、ホラー映画にびびって寝付けないってことか? それで怖いから一緒にいてくれって頼んだと」


「なッ! そ、そんなわけないでしょ! お化けとか全然怖くないし! む、むしろ好きだし!」


 往生際が悪いな。素直に怖いって認めればいいものを。

 なら、ちょっと意地悪してみるか。

 俺はさりげなく、部屋の隅にある照明のスイッチを切った。一瞬にして視界がフッと暗くなる。


「にゃああああああああッ!」


 暗闇の中、俺は腕に衝撃を感じた。

 すぐに電気を点けると、恋華が俺の腕にしがみついていた。ったく、わかりやすいやつだ。


「やっぱり怖いんじゃねーか。素直になれよ」


「くぅ、屈辱……従者の分際で」


「ひでぇ言い方だな」


「ほ、本当は平気なんだけど。あの映画、予想以上にできが良すぎたのよ。だからその、怖くなっちゃって」


 なんだかんだ言って、恋華も普通の女の子なんだな。てか苦手なら無理に見る必要ないだろうに。

 俺は深いため息を吐いた。


「わかったよ、お前が安心して眠れるまでそばにいてやる。ただ、一つだけ条件がある」


「な、何よ……まさか颯斗、エッチなこと考えてるんじゃないでしょうね!」


 恋華はびくりと体を震わせ、俺から少し距離を取る。


「んなわけねーだろ!」


「じゃ、じゃあ条件って何?」


「一応今夜は仕事に慣れておくために入れてもらったんだよ。だから恋華が良ければなんだけど、今夜は一緒に事務所の方で過ごさないか? 本当はこういうのダメなんだけど」


 お客様をフロントの裏に入れるのは完全にアウトだ。だが、俺は夏休み中に夜勤の内容を覚えるために入った。できることなら両立しておきたい。


「そういうことなら私は構わないわ、ていうかむしろ行きたいくらいよ! ホテル暮らししてても、内部の施設とかはあまり見られないから。これを機に知っておきたいわね」


 恋華はやや興奮し、満更でもない様子だった。ホテル通の恋華からしてみれば大歓迎というわけか。


「他は誰がいるの?」


「えーっと、今夜はコンシェルジュと本堂先輩がフロントにいて、ナイトマネージャーの代わりに副支配人が入ってるよ」


「なんか夜勤にしては歪な組み合わせね。まあ、どうでもいいけど」


 そこは興味ないのか。好奇心の線引きがよくわからないな。


「これは中々、唆るイベントね」


「楽しそうでなによりだよ」


 気持ちの悪い笑みを浮かべる恋華。どうやら相当、オタク心を刺激してしまったらしい。

 とにもかくにも、俺は恋華の専属と夜勤の両方を確保することに成功し、恋華を連れてフロントへと戻った。本当は先に副支配人から許可をもらうべきなのだが、副支配人の驚く顔を見てみたいからと止められた。いいのだろうか、本当にこれで。俺の中には若干だが不安が残っていた。

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