第11話「ホテルマンのホテルデート」
ホテルに入ると、フロントへは向かわずにそのままエレベーターへと乗り込んだ。横切っただけだったが、さすがは高級ホテル、粗末な服装の者は誰一人としていない。逆に普通の格好をしている俺が場違いにも思えてしまう。
上昇するエレベーターの中で、恋華がさっきのホテルマンについて話した。
「颯斗、さっきのはドアマンよ。主な仕事は車の手配やお客様の送迎、ホテルによってはドアパーソンとも呼ばれてるわ。友恵のホテルにはいないでしょ」
「詳しいな。でもなんでうちにはいないんだ? 割と重要な役っぽいけど」
「レセプションが最上階にあるからよ。ドアマンはフロントやベルとの協力が不可欠な職務なの。うちの構造じゃドアマンだけ一階に立つことになるでしょ? それじゃ逆に仕事がやりにくくなるから必要ないのよ。その分、ベルやコンシェルジュがフロントの仕事を手伝えば補えるしね」
なるほど。お客様全員に最上階の景色を堪能してもらうという、総支配人のコンセプトとは相性が悪いというわけか。
「それにホテルクラウンはドアマンが必須なのよ。あの広い庭園を歩くのは大変でしょ?だから基本的には車での移動を行うから、入り口にドアマンがいないと困るってわけ」
そういうことか。たしかにあの道は歩きながら自然を満喫するためのものだが、それが逆にお年寄りなどには不自由になってしまう。それを回避するため、送迎が行えるドアマンが配置されているのか。
「面白いでしょ、ホテルにも色々あるのよ。その環境やお客様へのホスピタリティによってやり方は変わってくるってこと」
少し、面白いと思ってしまった。一概に言えば同じ一流ホテルだが、お客様からに与えるものや、お客様が求めるものは様々ということなのか。
そしてそれを知っている恋華は、本当にホテルのことが好きなんだな。夢中になれるものが一つでもあるってのは、なんだか凄く羨ましい。
「ほら着いたわよ、このホテルの目玉である展望レストランに」
エレベーターの扉が開くと、まるで舞踏会のように華やかで美しい光景が視界一面に広がっていた。円形状のホールは壁に大きな窓ガラスがはめられ、景色を楽しみながら食事ができるようになっている。テーブルには芒色のクロスがかけられ、細かいところまで高級な雰囲気が欠けることのない内装だ。奥には大人の匂いを漂わせるバーがあり、カウンターの向こうでは口髭を生やしたいかにもなバーテンダーが豪快なシェイクを披露している。
「予約していた如月よ。案内してくれる?」
「お待ちしておりました。こちらのお席へどうぞ」
若いウェイターが壁側で最も奥にある二人用の席へと俺たちを誘導する。
テーブルの上には食器やグラス、ナプキンなどが配置されている。
先に着くと、俺はまずメニューを確認した。高級レストランというだけあって、俺の財布じゃ相手にならない品ばかりだ。そっとメニューを閉じた。
「どうしたの? 食べないの? 好きなもの頼みなさいよ」
初めての高級レストランで緊張しまくりの俺と違い、恋華は非常に堂々としている。ホテルの仕事で厨房に出向くことはあったが、いざ席に座るともうそこは別世界だ。俺は一品の値段だけで面食らっているというのに、恋華は全く動じない。
「いや、あの……お金が」
掠れた声が漏れた。
「気にすることないわよ。私が払うから」
「は? いやいやそれはまずいって! 男が女の子に払ってもらうなんて!」
たしかに元々俺を連れ出したのは恋華だが、さっきからずっと任せっきりだ。勤め先のお客様に何から何まで頼りっぱなしというのは、ホテルマンとしても、一人の男としても情けなさすぎる。
「颯斗、出世払いでいいわ。私は元々、あなたを教育するためにこのホテルに連れてきたんだから。ここでの経験を活かしてくれれば構わないのよ」
「で、でもなぁ……」
「たしかにホテルマンは決してお客様からチップを受け取ってはならない、それはどのホテルであっても絶対のルールよ。けどね、あなたはホテルマンであると同時に、私の大切な友人でもあるの。その好意は受け取りなさい。それにあくまでも貸してあげるだけなんだから。食事は一人より二人で食べる方が楽しいし、美味しいでしょ? 私のためにも一緒に食べなさい」
「わ、わかったよ。じゃ、じゃあ……俺も恋華と同じメニューで頼む」
「まあ、颯斗のセンスより私の方が高いのは間違いないし、慣れない料理を自ら選ぶよりは賢い選択ね」
なんか知らんが褒められた。
しかし、恋華は冷ややかな視線を俺に向ける。結局、他力本願なままの俺に軽く失望したのだろうか。
「できれば颯斗の好みも知っておきたかったんだけどな」
恋華は蚊の鳴くような声でボソッ、と呟く。だがその内容までは聞き取れなかった。
ただ聞き返すのも失礼だと思い、俺は何も言わなかった。
しばらくして、注文した料理がテーブルへと運ばれる。初めて見る料理ばかりだ。だが知っていなくても、一目でその価値は理解できる。
メインの料理にナイフを通すと、まるで紙のように力を込めることなく自然と切れていく。俺が普段行く安いファミレスとは比べものにならないレベルだ。ゆっくりと口に運ぶ。グルメレポーターでもないのに、思わず語ってしまいたくなる美味しさだ。それは今まで味わったことのない、新しい食感。口当たりもよくまろみがある。どこにでもいる平凡な高校生の稚拙でお粗末な感想だが、それ以外の感情が浮かんでこない。もう俺の舌は完全に支配されたと言ってもいい。
「どう? 昼間っからこんな美味しい料理食べられて、私に感謝しなさいよね。あ、少しはこのホテルの良さがわかったかしら?」
「いや、ホテルより料理の印象の方が凄いんだが」
この展望レストランが目玉になる理由がよくわかった。まだ一品しか食べていないうえ、高級料理すらそもそも初めてで、色々と補正がかかっている気がしなくもないが。それでも毎日通いたいと思える美味しさだ。
「でももちろん、凄いのは料理だけじゃなくってよ。まだまだこれからなんだから。その辺ちゃんとわかってる?」
これでもまだ序の口かよ。そりゃホテルの良さがレストランだけなら、ホテルにする意味がそもそも無くなってしまうだろうけど。これに勝る魅力が他にもあるのか?
「颯斗、デザートは何食べる? ここの一番人気はオリジナルケーキなんだけど、一緒にどうかしら」
「へー、じゃあこのホテル限定ってことか」
「ええ、クラウンに足を運んだなら一度は食べるべきよ」
そこまで言うなら一口食べてみたいものだ。俺がこのレストランに来ることはもう二度とないだろうし、味わっておいて損はないだろう。
「もちろん、お金の心配はいらないわよ」
「はは……助かるよ」
だが、運ばれきたのは何の変哲も無い普通のショートケーキ。限定とは名ばかりで、特に変わったところはない。
「これがどうしてこのレストランで大人気なのか不思議なんでしょ?」
恋華に心を読まれた。
俺は素直に頷く。
「食べてごらんなさい」
そう言われ、俺はケーキを口へと運ぶ。食感はマシュマロのように柔らかく、スポンジ生地の甘みは少し強いがどこか控えめで、間にサンドされたイチゴの甘酸っぱさが最高のアクセントとなり、バランスの取れた味わいを引き出している。
俺は今まで何個もショートケーキを食べてきたが、これほど上品で味わい深いものは初めてだった。
「ね、美味しいでしょ? このイチゴはホテルクラウンの庭園で育てられた特別なものなの、まさにここでしか食べられないオリジナルケーキってわけ。生地や生クリームも他に劣ることのない最高の仕上がり、優秀なシェフやパティシエがいるからこそなせる美味しさね」
あの庭園では果物などの栽培も行なっているのか、となるとさっきの料理にもその類が含まれていたのかもしれないな。
だがイチゴの美味しさだけでなく、このケーキは何より味のバランスが素晴らしい。それにスプーンを当てただけで自然と沈む。このしっとりと焼き上げられたふわふわのスポンジ生地は、抜群の相性を考えられて作られている。加えて生クリームの香りも、食べなくてもその良質さがお客様に伝わる。何度も試行錯誤を繰り返して作られたということが素人の俺でもよくわかる。
思わず頭の中で思考をめぐされてしまい、スプーンを持つ手が止まってしまっていた。
「あら、感動しちゃった? まあ、それも無理ないわね。ゆっくり味わって食べなさい。ずっと待っててあげるから」
ケーキに心を動かされる日が来るとは夢にも思わなかった。
俺はケーキを食べ終わると、皿に向かって手を合わせる。美味だった、俺の舌は永遠にこの味を忘れないであろう。
「それじゃあそろそろ帰りましょうか、次のホテルにも行きたいし」
「あ、やっぱりまだ行くのね」
俺の休日は、しばらく恋華とホテルを巡る旅になるようだ。
「何よその顔は、もっと嬉しそうにしなさいよね、この私がデートしてあげてるんだから」
恋華が不満そうに目を細める。
「はいはい、嬉しいよ」
「ふふ、そう、それでいいのよ」
平気で自分から言っちゃうんだな。
恋華はウェイターに、財布から取り出した一枚の黒いカードを見せる。
「お支払いは全てこれでお願い」
「かしこまりました」
それは道楽息子などがドラマや漫画などで使われるゴールドカードではなく、真っ黒な漆黒のカード。俺の失った厨二心をくすぐる。
「なんなんだ? その禍々しいカードは」
「これはお父様から貰った私専用のブラックカードよ。これさえあればどんな買い物だって可能になっちゃうスーパーアイテムなんだから」
さすがは天下のお嬢様だ。もはやレベルが違いすぎる。
「ねぇ、どうだった? このホテル」
「楽しかったよ。展望レストランってだけあって眺めは最高だし、なりより出された料理が美味かった。連れてきてくれてありがとな」
恋華は俺と目を合わせなかった。少しだけ、気恥ずかしかったからだ。
「やっぱりね! そう言うと思ったわ! 颯斗もちゃんとわかってるじゃない! さすがは私の専属ホテルマン! ホテルの素晴らしさが理解できてきたようね!」
途端に恋華は上機嫌になり、やや興奮気味に早口で話す。
「それじゃあ次はバラをシンボルとしたホテルローゼンクロイツ、その後はロシア風ホテルカチューシャに行くわよ!」
まだこれから二件もホテルを回るのかよ。
「ほら遅い!置いてくわよ!」
恋華に急かされ、俺たちはホテルクラウンを後にした。
時刻は夜八時過ぎ、一日中恋華に振り回されたため、俺の足は悲鳴をあげていた。
俺は控え室にある机に突っ伏して座り、ヘトヘトになった体に安らぎを与えていた。
「休日なのにお疲れ様。コーヒーあるけど飲むかい?」
コンシェルジュが仕事の合間、俺の傍に淹れたてのコーヒーを持ってきてくれた。さすがはグランドホテル・ヘブンの良心。
「如月様は今どうしてるの?」
「恋華なら、道すがらに買ってきたホテル雑誌を部屋で読んでますよ。その間に休んでろって言われました」
「勤務外でも振り回されるのは大変だろう。ただ、あまり無理はしないでくれよ」
「大丈夫ですよ。たしかに大変だし面倒なところもありますけど、俺はそれ以上に恋華のことを気に入ってます。あいつはただ純粋にホテルが好きで、それに一生懸命になってるだけなんですよ」
コンシェルジュは感心したように「ほぉ」と一言呟く。
「まだ数日だってのに、随分と仲良くなったじゃないか。歳が近いからかな」
「それもありますけど、俺自身がホテルってものを何もわかってなくて、彼女が新鮮だからかもしれません。厄介者かもしれないけど、俺はもっと恋華から色々なことを教えてほしいんです」
柄にもなく臭い言葉を吐いてしまった。コンシェルジュ相手だと色々話してしまうな、それだけ俺がこの人を信用してるからなんだけど、自然となんでも語ってしまう。
その瞬間、控え室の電話からコール音が響く。
コンシェルジュが受話器を取り、数秒話してから電話を切った。
「颯斗くん、総支配人からだよ。すぐに部屋に来いだってさ」
「え? あ、わかりました」
いったい何の呼び出しだろう?
俺は嫌な不安を抱きつつも、すぐに下のスイートルームへと向かった。
軽く三回ほどノックをすると、扉がガチャリと解放される。
「はい、お疲れ。とりあえず中へ入れ」
「失礼します」
俺は総支配人に招かれて部屋へと入る。休日にまで呼び出されるとは、もしかしてここはブラック企業か?
総支配人はソファに腰を下ろすと、俺にも座るようにと手で促した。俺はそれに従い、適当に近くの椅子に座った。総支配人と向かい合ったソファに座るのは、少々難易度が高い。
「授業が始まるのは九月からか?」
「え、はい……そうですけど。それが何か?」
「いや、貴様はホテルマンであると同時に学生だからな。さすがに学業の方を優先しなければならなくなる。そしたら、今ほど自由には働けないだろう。だが、貴様には覚えてもらわなければならないことが山ほどある。せめて長期休みの間だけでも色々な時間に勤務してもらおうと思ってな」
「ああ……なるほど」
総支配人は夏休みの後も俺が働くということを前提に話している。最初に交わした約束じゃ、夏休みの間だけっていう話だったはずだ。俺がここに残るだろうという自信があるのか、それとも忘れているのか。
「貴様には休みのうちから夜勤の仕事を担当してもらう。本来ならば高校生の貴様を夜に働かせるわけにはいかないが、ここはもう家みたいなものだし、夜更かしついでのお手伝いってことでいいだろう。給料も小遣いだと言えば何の問題もない」
いや、既に色々と問題だらけな気がするが、それこそもう今更か。
「学校に通いながら夜勤の仕事を覚えるのは難しいからな。だがもしもの時に人手が足りなくなったりしたら、住み込みで働く貴様にはそれを補ってもらう必要がある。だから夏休み中に内容を覚えてもらいたい。明日明後日あたりに夜勤業務を追加しておくからな、早いうちに予習しておけよ」
「はい、わかりました」
俺は言われるがままにそれを引き受ける。元々逆らえる相手ではない。ちょうどホテルというものに興味が湧いてきたところだし、この時期に夜勤の仕事をやってみるのも悪くないか。
「まあ、私も鬼じゃないからな。コンシェルジュと本堂かいる時間に入れてやる。お前ら三人は仲が良いからな、せめてもの慈悲だ」
「ありがとうこざいます」
それは本当に助かる。初めての勤務時間ではわからないことだらけだ、見知った人間がいれば俺としても気楽でいい。ただ、先輩と一緒というのは少し不安だが。
「ちなみに、あのバカもその時間いるから、そのつもりでな」
「それって誰ですか?」
「……村上」
上げて落とされた。
って、結局いつものメンバーじゃねーか!
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