第9話「男子の夢」

 話し相手になってほしいから待っていろとのことだが、扉一枚隔てた向こう側で女の子が脱いでいると思うと妙に緊張する。


 部屋が静かなため、扉越しにしゅるしゅると服を脱ぎ捨てる音が聞こえてくる。自然と脳内でイメージが膨れる。まずい、これじゃただの変態じゃないか。

 俺はなんとかごまかそうと、髪の毛を手でくしゃくしゃと掻き乱す。


「颯斗? ちゃんといる?」

「いるよッ! ああああッ! ちくしょう!」


 俺、完全に変な奴だと思われただろうな。理不尽だ、絶対おかしいのは恋華のはずなのに。

 俺は背中を扉に預ける。後ろから微かに聞こえてくるシャワー音、再び俺の中でイメージが浮かび上がる。思春期の男子には厳しい。


「ねぇ颯斗、あなたってこのホテルのことどう思ってる? 好き? それとも嫌い?」


 恋華はまた妙な質問をする。俺は少し長考し、間を空けてから答えた。


「嫌い……って言ったら嘘になるかな。このホテルは好きだよ。スタッフのみんなは優しいし、なにより楽しい」


「ふふっ、やっと言ってくれたわね。楽しいって」


 顔は見えないが、俺は恋華が微笑んだように感じた。途端に臭いセリフを言ってしまったと思い、恥ずかしくなる。


「颯斗は、このホテルでどうしたいの? 何のために、ここで働いてるの?」


「さっきからなんだよ?」


「いいから、答えてよ」


 俺は一拍置き、一度息を吐いてから答えた。


「夢を……何か一つでも見つけられたらなって思ってる。総支配人も、俺にホテルで何かを得てほしいみたいで期待してくれてるし」


「なるほど。ってことはまだ何も決まってないのね。ふふ、新鮮でいいじゃない。素敵なことよ、ホテルで夢を見つけるって」


「そ、そうかぁ?」


「そうよ。ホテルって、色々な人が色々な想いを胸に訪れるでしょう。中には悪い思惑とかだってある。けど、その人にとってはとても大切なことが詰まってるのよ。このホテルの、部屋ひとつひとつに」


「たしかに宿泊するってことだけでも、本当に奥が深いからな。ホテルって場所は」


「ふふ……わかってるじゃない。見つかるといいわね、颯斗。あなたの夢」


 夢か。子供は消防士とかが多いんだろうな、あとはヒーローとか。でも俺は具体的に何がしたいとか、将来どうなりたいとか、全然わからない。

 ここで働いていれば、その答えにたどり着けるのだろうか。


「あっ、そうだ颯斗! 週末は予定を空けておきなさい。私と一緒に出かけるわよ」


「は? 出かけるってどこに?」


「それは当日までのお楽しみよ。ふふ、友恵には私があなたをシフトから外してもらうように頼んでおくわ」


「なんかミステリーツアーみたいだな」


 不安だ、全然ワクワクしない。


「はぁ、でも拒否権ないんだろ? 俺には」


「ええ、言ったでしょ、お客様は絶対なの。たとえ指名したホテルマンがまだ出勤してなくても、その時間を早めたり、休みだったらキャンセルしたりだってするんだから」


 容赦ないな。ホテルマンってのは人に尽くしたいって気持ちが大きくないと難しそうだ。マゾの仕事だな、もはや。


「ふぅ、気持ちよかったぁ」


 恋華が湯船から上がった水しぶきの音が響く。


「中々に良い湯だったわよ」


「ははは、そりゃどうも」


 湯のことを褒められてもあまり嬉しくないけどな。しかし扉を隔てた向こうに風呂上りの女の子がいるってのは、どうも緊張感が消えない。


「あっ!」


「ん、どうした?」


 コンコンッ、と扉を叩く恋華。


「ごめん颯斗、パンツ忘れちゃった。ちょっとクローゼットの方から取ってきてくれない?」


「は?」


 俺は一瞬、恋華の言っていることが理解できなかった。


「だから、パンツよ。クローゼットの中に入ってると思うから」


「はあああぁ? いやいや、無理に決まってんだろッ!」


 思わず叫び声を上げてしまう。パンツを取ってくれって、何考えてんだこの女。


「大丈夫、ブラはあるから!」


「何も大丈夫じゃねーよッ! 大問題だからッ! 俺は男なんだぞ?」


「ないのは下全部だけよ」


「下全部って、パンツだけじゃねーのかよ!もっとまずいだろ!」


「大袈裟ね、私は気にしないわ。颯斗のセンスに任せるし」


「俺は気にするんだよッ! 俺は部屋の外にいるから、自分で取れ」


「お客様に下半身丸出しで部屋の中を徘徊しろって言うの?」


「自分の部屋だろッ! そんくらい気にすんじゃねぇ!」


 俺が叫んだ瞬間、バスルームの扉が解放され、恋華が躊躇いもなく飛び出した。俺は思い切り目を背け、両手で自身の視界を隠した。


「颯斗、何してるの?」


「だってお前……パ、パンツ! ああもうッ! 早く何か履けッ!」



 今見たら社会的に死ぬ。


「いいわよ、見ても。怒らないから」


 恋華は滑らかな肉声で囁く。あだっぽいその口調に、俺の理性が揺らぐ。


「ほら、今だけよ。いいの?」


 だが俺は耐えた。普段から本堂先輩にセクハラまがいのイタズラをされてきたおかげか、なんとか踏みとどまることができた。だからと言って先輩に感謝はしないけど。


「ってうっそー、本当はワンピースだから関係ないわよ。ちょっとからからっちゃった」


「はあぁ、ったくお前なぁ、ふざけんなよ。いやマジで」


 俺は安堵の声を漏らし、恋華の方を振り返る。


「あ、でもノーパンなのは本当よ」


「それを先に言えッ!」


 目の前にいるノーパンワンピースの美少女に、俺は再び背を向けた。


「久しぶりに楽しい時間だったわ、颯斗ってばほんと素直でからかいがいがあるわね。気に入ったわ」


「さいですか」


 恋華は長く綺麗な髪をドライヤーで乾かしながら、意地の悪い笑みを浮かべる。俺は何故こうも女性に振り回されるのだろうか。総支配人には半ば強制的にホテルに連れてこられ、先輩のフロントクラークにはセクハラまがいのイタズラをされ、お客様にはオモチャにされる。マゾならばこの状況に歓喜するのだろう、だがあいにく、俺にそんな特殊な趣味はない。


「ていうかいちいちオーバーなのよ颯斗は、中学生じゃないんだから。あ、もしかして彼女いない歴イコール年齢の童貞だったりとか? さすがにそれはないわよね、高校生にもなって」


 俺は不意を突かれて黙り込む。


「え……もしかして、図星?」


 もはや死体蹴りだ。もうこれ以上俺の傷口をえぐらないでくれ。

 俺は胸が苦しくなり、右手で押さえた。


「まあまあ、気にすることないわよ。きっとそのうち良い人見つかるって。それにほら、私だってそういう経験ないし」


「へ、へぇ……意外だな。恋華って可愛いしスタイルもいいから、てっきり経験豊富なのかと思ってたよ」


「え……か、可愛い? 私が?」


「ああ、普通にクラスとかならトップ狙えるくらいのレベルはあると思うぞ」


 こいつ、自覚ないのか?

 どう考えても上玉だろうに。


「ふ、ふん! おだてたって何も出ないわよ? どうせ颯斗って、女の子には誰でも軽々しく可愛いって言っちゃうタイプでしょ。そんな簡単に私が落ちると思ったら大間違いなんだから」


 恋華は頬を膨らませながら、俺から目を晒してそっぽを向く。可愛いと言われ、心なしかちょっと嬉しそうだ。


「誰にだって言ったりしねーよ、俺がそんなプレイボーイに見えんのか? 恋華だから言ってんだよ。割と俺の好みだしな」


「な、なななな! は、颯斗! そ、それって……えええッ! こ、このタイミングで? ちょっと待って……そ、そそ、そんな急に言われても。い、嫌じゃないけど……さ、さすがに突然すぎっていうか」


 恋華はうわずったような声を出す。

 どうも少し挙動がおかしい。


「い、いくら二人っきりだからって。こ、告白するにも、その、ムードってものが」


 俯いて、頬を紅潮させる恋華。ぶつぶつと仕切りに何かを呟いているが、声が小さくてよく聞こえない。


「……ま、まあいいわ。考えといてあげる。この話は一旦保留よ。もう少し時間をかけてお互いのことを知ってから改めてね」


 いったい何の話をしているんだ?

 何故か体をもじもじとくねらせ、落ち着きのない様子の恋華。俺はその様子を見て眉根を寄せた。


「おい、トイレならさっさと行ってこいよ」

「……はぁ?」

「さっきから変にそわそわしてるけど、トイレ我慢してるんじゃないのか?」


 刹那、恋華の拳が顔面に直撃し、俺は後方に吹き飛んだ。


「がはッ!」


「違うわバカ! 死ねッ!」


 恋華は甲高い声で叫んだ。

 俺は殴られた理由がわからず困惑した。

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