第7話「如月恋華は一流ホテルをこよなく愛する」
俺はいつも以上に顔を青くし、憂鬱な表情を浮かべながらフロントの前に立っていた。
お客様の中でもトップクラスで厄介な長期滞在者、如月恋華。
いったいどんな人物なのだろう。本堂先輩が言うには、あの変態副支配人にも引けを取らないとのことだが、全く想像がつかない。
俺が緊張してガチガチになっていると、コンシェルジュか優しく声をかけてきた。
「颯斗くんは如月様とは初めてだし、色々とわからないことがあるでしょ。何かあったら私に聞いてくれ」
「ありがとうございます。コンシェルジュ」
仕事のことになるとやはり頼りになる。そうだよ、俺は一人じゃない。全部抱え込もうとしないで、他のスタッフに相談すれば別に臆することはない。
それに相手は大切なお客様だ。そんな厄介者扱いするような気持ちじゃ、仕事や態度に出てしまう。お客様から信頼される一流のホテルマンらしく、誰にでも平等に接しなければ。
そう自分に言い聞かせていたが、一度先入観を覚えてしまうとそう上手くはいかない。
「不安そうだな、葛原颯斗」
副支配人の村上が歩み寄る。如月恋華よりも先にこっちの変態と遭遇してしまった。
「総支配人は君に色々と期待しているらしい、それを裏切るような結果はやめておくれよ。如月様は非常に扱いが難しいからな、十分気をつけるように」
珍しくまともなことを言っている。こりゃ天気が荒れるな。
「あの、具体的にはどう厄介なんですか?」
「そうだなぁ、ワガママなお嬢様、いやお姫様と言うべきか。そのうえ気に入ったホテルマンには無理難題を押し付け、プライベートにまで我々を巻き込む。通称、専属だ」
専属、総支配人が言っていたのはこのことだったのか。
「要は、彼女に従属の首輪をはめられた執事みたいなものだな」
「都合のいいおもちゃってわけですね」
「まあ、そんなところだな。だが、彼女が特殊な理由はそれだけではなくてね」
「他にもまだ何か?」
俺が訊くと、副支配人はため息をつきながら頭に手を当てる。
「まあ、会ってみればわかるよ。そろそろチェックインだ、気を引き締めろ」
俺は軽く両頬を手で叩く。そうだ、相手がどうであれ仕事はしっかり真っ当しなければ。
するとエレベーターホールの方から、カツカツと靴音を立て、少女が一人歩み寄ってくる。
黄金色に輝く美しい長髪、肌もきめ細かく、モデルのようなスタイルだ。それは異国のお姫様を彷彿とさせる。ピンク色の気品あるドレスに身を包み、歩き方一つにも品位を感じるほど。
まさに一流ホテルにピッタリなその風貌は、思わず見惚れてしまうレベルだった。
「お帰りなさいませ、如月様」
コンシェルジュと副支配人が揃って頭を下げる。俺もそれに続いた。
「久しぶりね村上。ったく、お父様ったら相変わらずべそっかきで困るわ。私がこのホテルに住んで半年経つのというのにまだ受け入れてくれないのよ。まあ、何度かこうやって実家に顔を出してあげるとバカみたいに喜んでくれるから、そういうとこは単純で楽だけど」
丸く開いた唇の奥から、その見た目によく似合う甲高いアニメキャラのような声で少女は言った。
「あら、そちらの可愛らしいベルボーイは新人さんかしら」
「はい! 数日前からこのホテルでアルバイトをしています。葛原颯斗です!」
「良い返事ね。これから長い付き合いになると思うから、よろしくね新人さん」
なんて清楚で上品な子なんだ、口調からは育ちの良さが伺える。どこがこの変態と同じくらいやばいのか想像がつかない。もしかして俺、実は無駄にびびらされてただけだったんじゃないだろうか。なんか警戒して損した。
「あなた随分と若いけど、学生さん?」
「はい。高校一年です」
「あら、私と同じじゃない。同年代の方にお世話してもらえるなんて嬉しいわ、色々お話しましょう」
嘘だろ。俺と同い年の女の子がホテルで一人暮らしって、住む世界というか次元が違いすぎるんだが。いったい何者なんだよ。
「顔も悪くないし、私としても年齢が近い方が安心するのよね。そうだ村上、彼を私の専属にしてくれないかしら。何かあった時は他の誰かではなく、彼を私のところによこして」
「かしこまりました」
「え、副支配人、今のどういう意味ですか?」
「さっきも言っただろう。彼女は自分の気に入ったホテルマンを一人選ぶんだ。君は今まさに彼女の目にとまった、それだけだ」
「そういうこと、これからよろしくね颯斗」
ダメだ、状況がまるでわからない。なんか勝手に話が進められている。
すると裏の事務室から総支配人が顔を出し、如月恋華に深く頭を下げた。
「如月様、お帰りなさいませ。いつも当ホテルをご贔屓くださってありがとうございます」
その口調は普段の尊大なものとは打って変わって、気持ちの悪いくらいに丁寧だ。
「いいのよ友恵。それよりこの新人くん、私の専属にするわね」
「構いませんよ。彼は私が特別に目をかけていますので、如月様のおそばでホテルマンとして色々得ることができると期待しています」
「あら、そうなの。ちょっと意外ね。友恵が期待している新人なんて、中々いないんじゃなくて?」
「彼は私が見てきた中でも逸材かと。颯斗、早速お部屋の方にご案内を」
「あ、はい! わかりました!」
俺は如月恋華の荷物を手にし、彼女がいつも使っているスイートルームへと向かった。階は総支配人のスイートがある三十八階の一つ下だ。さすがに長期滞在者とだけあって荷物が多い。スーツケースのサイズも普通より大きめだ。運ぶのも楽じゃない。
「ほら、早くしないよウスノロ。あなたこれからは私の専属なんだから、しっかりやんなさいよね」
如月恋華は目を細めながら、ため息混じりに言った。
なんか久しぶりに聞いたな、ウスノロとか。少し使い方違う気がするんだが。
「すみません、ただいま」
「うーん、なんかあなたのその敬語、少し違和感あるからやめてくれない?同い年なんだし」
「え? い、いや……でもお客様ですから」
「同年代に敬語使われると妙に落ち着かないのよね。特別にタメ口でいいわ、私が許可してあげる」
そう言われても、はいわかりましたって急に敬語をやめるなんてのは無理だ。既に俺の体に染み付いてる。
如月恋華は荷物を持っている俺に気を使い、足並みを合わせた。
「あなた、名前なんだっけ?」
もう忘れたのかよこいつ、さっき自己紹介したばっかじゃねーか。
「葛原……颯斗」
「なら私は颯斗って呼ぶから、あなたも私のことは恋華って呼びなさい」
まさか初対面のお客様にタメ口と呼び捨てを強要されることになるとは思わなかった。なんだか調子が狂う。
程なくしてスイートへと到着した。総支配人に会うために普段からスイートに足を運ぶことは多いが、実際にお客様の応対で案内したのは初めてだ。少し新鮮である。
恋華は俺がベッドメイクしたベッドに腰を落とすと、小さな紙のメモを渡してきた。紙には可愛い字で『週刊ホテル』と書かれている。
「颯斗、早速で悪いんだけど、そこに書いてある私のお気に入りのホテル雑誌、ちょっとそこまで行って買ってきてくれないかしら」
「ホテル雑誌を、ですか?」
「ほら敬語! それダメって言ったでしょ、気持ち悪いのよ。次から禁止」
恋華は人差し指を突き出す。
やっぱりそう簡単に切り替えられない。俺もこの仕事に慣れたってことなのだろうか。
「颯斗って……結構真面目だったりするわけ? それとも頭がガッチガチなだけ?」
どちらでもないとは思う。多分、俺からしたらお客様相手にタメ口ってのが気持ち悪いんだよな。自然とストッパーがかかってしまう。
「あなたねぇ、一流のホテルマンなら秒でタメ口に切り替えられるわよ。いくら学生でも、お客様相手にはプロでいなさい、そんなの言い訳にならないんだから! この際だから教えておいてあげる、ホテルではお客様がルールなの。次からは絶対やめなさい、いいわね」
「わかったよ、これでいいか?」
「よろしい! それじゃ、お使い頼んだわよ!」
恋華は満足げに笑った。普通に笑顔は可愛いからずるい。
「……で、これどこに売ってるんだ? 本屋? それともコンビニ?」
「そんなの自分で探しなさい。ホテルマンなら当然でしょ」
顎を突き出し、見下した視線を俺に向ける。
まあ、副支配人かコンシェルジュあたりに聞けば済む話か。
俺は特に気にせず、部屋を後にした。
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