第12話 咲きそうなのは
皇帝の授印であるリハルだった。
茶色い羽毛に包まれた人型の魔物は、何の説明もないまま片翼を広げてサクラを抱える。
「何事ですか!?」
『モッフリが会いたいって言ってたから、迎えに来たんだあ。森まて連れてってあげる』
「今はダメです!」
サクラは血相を変えた。
モッフリとは、巨大な綿のような姿をした綿伝という下級魔物の名だ。
綿伝は仲間内で意識がつながっており、手乗りサイズの子綿を介せば遠くの人とも会話が可能で、通常下級魔物は人の言葉を発せないが、子綿たちの母親であるモッフリとはカタコトだが直接会話できる。
問題は、サクラがモッフリと始祖の森で印を結んだことだ。
森は皇族以外立ち入り厳禁、侍女が魔物と契約するのもご法度。やむを得ない事情からリハルに連れていってもらったのだが、サクラは重罪を二つも犯しているのだ。
「今はお帰りください」
『でもお、印結んだなら魔力あげないとかわいそうだよお』
「で、ですからその話は!」
さっぱりわかっていない様子のリハルは、サクラが小声で話したにも関わらず普通の声量で答える。
「リハル様、あれほど極秘だと念を押したのに」
『そうなのお?』
「まさか、陛下には言ってませんよね」
『ジェラルド様にはあ、話したいこといっぱいあるからあ』
つまり話してはいないが、理由は秘密だと約束したからではなく話す価値もない瑣末事だからのようだ。
魔物にとってはそうでも、侍女にとっては死活問題である。
「絶対絶対、秘密ですからね。今度好きな果物贈りますから、言わないでくださいね」
『んんー。僕はあ、ヤママオオルガの幼虫が好きだなあ』
「虫……」
巨大な蛾だ。幼虫もしかり。
リハルは体の割に小さな頭を傾げると『よくわかんないけど、たくさんくれるなら、ヒミツ? にするよお』と不穏な言い方をして飛び去っていった。
「………………」
「………………」
強風に煽られた髪を押さえるサクラと、呆気にとられたままだったシルヴァンの目が合う。
「えっと……。始祖の森で皇族の魔物と印を結んだのですか?」
完全に聞かれてしまった。サクラは先手必勝とばかりに地に膝をつく。
「このことは内密にお願いいたします!!」
「しかし、ジェラルド様もご存知ないのであれば、どうしたものか……」
シルヴァンが躊躇うのは当然だ。
皇族の魔物と勝手に印を結んだ侍女を匿うのは、犯罪者を匿うのと同じこと。他国の王太子が抱えていい秘密ではない。
かなり身勝手なお願いをしているのは承知の上だが、これが明らかになればサクラのみならず、秘密を共有する他の侍女や女官までもが厳罰に処されてしまう。
「どうか、どうかお願いいたします。なんでもしますから!」
祈るように手を組んで震える声で切実に乞うと、シルヴァンが目を
どんな感情かはわからない。対処を考えあぐねているのだろうか。
「ひとまず、事情を聞かせてください」
シルヴァンに促されて再びベンチへ腰を下ろすと、サクラは服をギュッと握りしめ、印を結んだ経緯――行方不明になった主を探すために手段を選んでいられず、リハルの協力で森へ入り、綿伝の母親と契約したこと――を説明した。本当は侍女三人で森へ入ったのだが、一人だったということにして。
シルヴァンは時折質問を交えながら、深刻な表情で聞き入っていた。
「――それで、すべて落ち着いてから印を消してもらおうとしたのですが、断られてしまったので、まだ手首に残っているんです」
「では今も魔力を与えるため継続的に森で会っていると」
「……はい」
印を結ぶと思念で会話できるため、しきりに催促されていた。先程のようにリハルも頻繁に会いに来る。
シルヴァンが頷いた。
「印はつけるのも消すのも魔物次第ですし、綿伝の母親はかなり大きいですから、会いに来られても困りますしね」
「ご存知なのですか?」
シルヴァンはそれには答えない。
「経緯はわかりました。ですがやはり、このままという訳にはいかない」
「そう、ですね」
やはり報告するのだ。
と、うなだれたが。
「とりあえず、他言しないようリハル様には僕からヤママオオルガを贈っておきます。印を消してもらえる方法はそれから考えましょう」
意味がわからず、サクラは顔を上げる。
シルヴァンがふっと目を細めた。
「このことは、秘密にしておきます」
「よろしいのですか?」
予想に反してあっさり承諾された。
「大丈夫。約束します」
シルヴァンの長い指がサクラの涙をそっと拭う。
「……!」
触れられた頬が一瞬にして熱くなった。心拍数も一気に上がる。
「これで僕は貴女の秘密を二つも知ってしまいましたね。先程の約束についてはじっくり考えておきます」
何を約束したんだっけ、と束の間呆け、「なんでもする」と言ったことを思い出す。
顔全体が赤くなった。なんてことを約束してしまったのか。
ドキドキが止まらず、言葉も出ない。
ただただ、縫われてしまったように黒曜石の瞳を見つめるばかり。
動揺と緊張で固まったサクラを見つめ返していたシルヴァンが、今までにない笑みを見せた。
優しそうだが、それ以上に、楽しそうな。
ドキドキするが、それ以上に、ゾクゾクするような。
シルヴァンは黒曜石の瞳を妖しく煌めかせて、サクラの耳に唇を寄せる。
「なんでもするなんて、他の男に言ってはだめだよ」
甘い声が耳から全身へ駆け巡り、ばっと両手で左耳を押さえた。
相変わらず二の句が告げず、口をパクパクさせる。
翻弄されっばなしのサクラとは対照的に、シルヴァンは何事もなかったかのように立ち上がると、「咲きそうですね」と小声で告げた。
その顔は品行方正な王太子に戻っていた。
「また会いましょう、サクラさん」
返事を待たず爽やかに去っていく。
サクラは呆けた顔で、夕陽を浴びる彼の背中を見送ることしかできなかった。
月瑠の花言葉は、密かな恋心。
ゆっくりと、咲き始めていた。
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