第9話 スイッチ

 サクラは今日は我ながら上手く皇女になっていると思っていた。

 特訓のかいあってシルヴァンのキラキラ王子スマイルに動じずに隣を歩けているし、花農園では多少しゃべりすぎてしまったが、気づくほどではないはずだ。


 主人や他の侍女のためのジュースと、女官と自分のためのワインを農園主の説明を聞きながら選んで満足したサクラは、シルヴァンのいる後ろを振り返った。

 瞬間、目の前に光が走ったように意識が遠のき、頭に錘がついたようによろける。


「大丈夫ですか?」


 どうやら立ち眩みしたらしい。

 しっとりと甘い声が耳をくすぐり、目を開けると、温かいぬくもりの中にいた。


 どっくんと大きく心臓が鼓動がして、スイッチが入ったように全身の血が沸騰する。

 今、顔はシルヴァンの首元にあった。もし顔を合わせてしまったら、皇女の仮面はあっさり剥がれてしまうだろう。


 ───特訓を思い出すのよ、サクラ!!


 自分に言い聞かせても、赤く染まってしまったものは引いていかなかった。むしろ意識すればするほど、体が熱くなっていく。


「立てますか?」


 吐息が耳にかかる。心臓が口から飛び出そうだった。

 ゆっくり頷いて、顔を見られないように上半身を起こす。


 どうやらしゃべりすぎたようだ。

 魔力が足りない気がする。


「お疲れのようですね。ちょうどもう帰る時刻です。飛馬車まで歩けますか?」


 無言で頷いて、シルヴァンに支えられながら歩く。後ろに付き従っている従者たちの視線が集まっている気がして恥ずかしい。


 ───ツバキ様なら、こんな醜態さらさないのに。


 役に立ちたくて代わったはずが、主人の評判を落としてしまった。

 恥ずかしい上に情けなくてたまらず、胸の中に石が落ちてきたように気が沈む。


「セイレティア様?」


 黙って歩いていたとき、不意に顔を覗かれた。


「……!!」


 サクラの顔を見たシルヴァンの顔が急激に赤くなる。

 照れているわけでも怒っているわけでもない。笑いを堪えていた。


「…………っ!」


 手で顔を覆って、周囲に気づかれないよう声を殺して笑っている。

 こんなに笑われるなんて、どんな顔をしていたのだろうか。恥ずかしくて情けなくて泣きそうなときだったから、きっとものすごくぐちゃぐちゃな顔だったに違いない。

 それにしても。


「シルヴァン様。笑いすぎです」

「すみません。あまりに可愛らしくて」


 屈託のない笑顔を向けられ、思わず赤面する。

 しかし、可愛らしいなんて嘘に決まっている。

 咎めるように上目遣いで睨んでみたが、横目で見返された。


「……やはり面白いな、君は」

「え?」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、シルヴァンは愛おしむような微笑みをサクラへ向けた。


「行きましょう、セイレティア様」


 皇女の手を取り、再び歩き出す。

 

 どきん、どきん、と鼓動がサクラの全身で響いていた。

 一度入ってしまったスイッチは、なかなか消せないらしい。


 ───勘違いしちゃいけない。あの笑みは、ツバキ様に向けられたもの。


 サクラはシルヴァンの横で歩きながら自分に言い聞かせる。

 これ以上表情を見られないように、触れ合う手を見ないように、うつむいて。

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