第8話 王太子の疑問


 ──女性は化粧で印象が変わる。これは、そういうことなのだろう。


 昨日も昼間は我が国の民族衣装に合わせてかわいらしく、夜はドレスに合わせて大人っぽく印象を変えていた。そして今は清廉に。

 

 シルヴァンは花農園の主人にたおやかな礼をする皇女を不思議そうに見つめる。


 ──態度が昨日より硬く余所余所しいのは、プロポーズしてしまったからだろうか。


「シルヴァン様?どうされました?」

 

 気づくと皇女が小首を傾げていた。


「いえ、なんでもありません」


 シルヴァンはさわやかに微笑んで、皇女を水葵が咲く水路沿いの温室へ案内した。

 そこで花を見ながら軽食をいただくことになっている。

 農園の主人の娘だという女性がシルヴァンと皇女の前に湯の入ったカップを置いた。


「これはミチェル・ルビーという新商品です」


 女は自分の前にも用意していた湯の中へ、深紅の小さな蕾を浮かべる。

 すると蕾が開き、ふわっと花の香りが広がって、花が溶けて湯が紅茶へ変わった。

 シルヴァンは女から花を受け取って匂いを嗅ぐ。紅茶と同じ爽やかな香りがした。


 手折って湯に浮かべると紅茶になる花は、サタールで育てられている特産品だ。十年ほど前に開発し、すでに二十品種ほど売られている。


 皇女も同じように蕾を湯に浮かべて花から紅茶に変わる様子を楽しんでから、一口飲んだ。


「見た目がかわいいだけでなく、香りが口の中に広がって幸せな気分になりますね。こちらのクッキーにも花が練りこまれているのでしょうか」

「こちらは茎を刻んでいます。甘い蜜を蓄えているので砂糖をあまり使用しなくてもいいんですよ」

「まあ、それなら紅茶に入れる蜜の代わりにもなるのでしょうか」

「はい、蜜は低カロリーで安価なので大変人気なんですよ」

「女性には嬉しいですね」


 女は皇女の可憐な笑みと親しみやすさに感激したのか、他の品種も次々と紹介してくれた。

 皇女も目を輝かせて聞き入っている。農園で咲く花にも興味深々だったし、花が好きなのだろう。

 ふと、バルカタルの城で出会った侍女を思い出す。

 皇女付きにも関わらず、庭園の手入れをし、さらに作業着まで自作するという変わった侍女だった。

 ころころと表情が変わるのも面白かった。あの侍女もこちらに来ているのだろうかと考えてしまい、止まる。


 ──何を考えているんだ。昨日皇女にプロポーズしたばかりなのに、他の女性のことを考えるなんて。


 シルヴァンは気を取り直すように紅茶を飲む。


 ようやく同盟締結の一歩手前まで来た。

 隣にある大国のウイディラは王位継承者争いが熾烈だ。現国王の弟と第一王子は何者かによって暗殺され、現在は第二王子と第三王子が争っている。そしてどうやら先にバルカタル帝国の州を手に入れた者が次の王になるのではないか、手始めに第二王子はリロイを、第三王子はサタールを狙っているという噂があった。


 その噂通り、第二王子がリロイを攻めた。

 となると、サタールが攻められるのも時間の問題だろう。

 援軍を得るためなら、昨日のように皇女に卑怯な言い方をしようと、例え彼女に想い人がいようと、同盟を確実なものにしなければ。


「花の中に何か入れることはできないのでしょうか?」


 皇女の生き生きとした声で我に返る。


「夜に閉じる花がありますでしょう?その特性を活かして、中に何か……例えば一言書いた紙か何かを入れたら、湯に入れて蕾が開いたとき面白いのではないでしょうか」


 女が感激したように目を見開き、皇女の手を取った。


「それは贈り物にぴったりの商品になります。交配させたらできるかもしれません」


 意気投合した二人は、この花がいいとかあの花がいいとか、次々と花の名前を出し合う。

 皇女は先に訪問した孤児院や病院では言葉少なだったのに、ここでは少しだけ饒舌だった。

 花の知識も豊富で、その語り口はやはり先日の侍女を彷彿とさせた。

 



 最後の視察場所は、大きな樽が並ぶ倉庫。そこで今年出来たばかりのジュースやワインを試飲する予定でいたが、昨日、皇女は酒が苦手そうだったのでシルヴァンはジュースだけを渡した。

 観察していると、皇女はジュースを飲んだあとワインが入った樽を五秒ほど見つめ、そっと目を閉じた。

 

 ──飲みたいのか?


 首を捻るシルヴァン。

 昨日は酒に目もくれず、食前酒も申し訳程度にしか飲まなかった女性が、あんな風に名残惜しそうに樽を見つめるだろうか。


「あ……あの、シルヴァン様?」


 皇女がほんのり頬を染めてこちらを見つめていた。

 違う、シルヴァンが皇女を見つめていた。

 はっとしたシルヴァンはにこやかに笑う。


「お好きなジュースとワインのお土産をご用意しましょう。何がよろしいでしょうか?」


 そう言った瞬間、皇女の目の奥が喜々として光る。


 そして、違いに気づく。


 ──そうだ。昨日は始終寂しそうな目をしていたのに、今日はそれがない。


 昨日、皇女は金色のブレスレットをつけていた。

 ブレスレット自体は、言ってはなんだが皇女としては不釣り合いの、見るからに安物だ。

 それでも皇女は何やら思い入れがあるのか、ことあるごとにそれに触れていた。

 おそらく無意識に。

 まるで精神安定剤かのように。


 それほど大切なものを今日はしていない理由も気になっていた。


 こんな考えが浮かぶなどバカげている。

 そうだったらいいという願望がそう思わせているのかもしれない。


 問い詰めるべきか、否か。

 黙考して、後者を選ぶ。

 

 シルヴァンは同盟さえ上手くいけばいいのだ。

 皇女の秘密など、取るに足らない。

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