魔女と賢者

村上 雅

第1話

 煌々こうこうと満月がそら高く輝き、春先の風は涼やかに薫る。宵もすでに深く、聴こえるは草の葉を揺すりとおりすぎてゆく風の音だけ。

そのような寂しげな村はずれの道を、一人の男が灯りもつけず歩いていた。男は、隣村の結婚祝いに招かれ酒を飲みいい心持で歩いていた。そこに木の陰から杖をついた腰のまがった老婆がおもむろにあらわれ、男に声をかけてきた。

「ちょいとすまぬが、この道をまっすぐ行くと小川があって、そこの橋までつきおうてくれまいかのう。この道はいつけものが出ては来まいかと心配でしんぱいで、心細うなっておったんじゃ。すまぬが、この憐れなばばの頼みを聞いては下されぬかえ」

「おうおう、それはたいへん難儀なことで、お婆一人の夜道はさぞかし心細いじゃろう」

 こんな夜も更けた道をお婆さん独りでいる、ということには何も気になどかけず、男は機嫌がいいのかこころよく頼みをきいてくれ、お婆さんのつえの動きに合わせ歩きはじめた。

「そういやあ、お婆、この村からは大そう大金持ちになったり、えらい出世をなさったりする人たちがいるそうな。われもそのことがどうしても知りたくて最近この村に越してきたんじゃが、お婆はなんぞそのことは知らんかいのう」

 お婆さんはしわだらけの顔を、月の照らしだす男のほうを見上げ、更にしわを深くして意味深けな笑いを見せた。

「ほう、ぬしも何やら欲しいものがあるような。して、ぬしの欲しいものとは何ぞな。それより、今気づいたが、ぬしの腰に吊ってあるは提灯ちょうちんなんかいのう。なぜにぬしは、その提灯に火を点けなんだ。今は夜で、いま点けなんでその提灯はいつ使うんかいのう」

「ああ、このわれの腰に挿している提灯かいのう、わしは無駄が嫌いじゃ。このように今宵はみごとな満月で道も歩くには灯りなどいらぬ。われは方々を歩き渡ってきた、その中でたくさんの欲にまみれ贅沢で散財とともに人の道を外れ零落れいらくしてゆく者たちも見てきた。この村から出て行った名声に富をつかんだ者たちにもおうてきたんじゃが、その者たちは皆口が堅く、ただこの村に行けば分かるとしか言わぬ。して、何故かその者たちは三年も経たぬうちに首をくくって死んでいったんじゃ。人は過分にものなどを持てば、更にものが欲しゅうなって欲にまみれ身を滅ぼすんじゃなあ。そんでわしゃ無駄が嫌いじゃ。そんでな、お婆、今日の結婚式は、この村から出て行き金持ちになった男が捨てた嫁の再婚で、お祝いじゃった。馬鹿な男じゃ、捨てた嫁はえらくいい嫁じゃった。捨てんでこの村におれば首を括らんでもよかったに」

「ほうそうか、ぬしはろうそくを縮めるが嫌で、火を点けなんだか。なれば、ぬしがけちでないのなら、その余分な提灯をわれにくれぬかえ。われもちょうど提灯が欲しいと思っていたんじゃ」

「おうおう、欲しいと言うのか、なれば訳など訊かぬ。お婆にやろうではないか、ほれ」

 そう言うと男は腰から提灯を抜きお婆さんにほれとあげてやった。貰い受けたお婆さんだったが、深かったしわをより深くさせ戸惑った顔を月のあおい光にさらした。二人の歩く、丘陵きゅうりょうとした草が生茂る見通しのいい丘には一本の道があり、その道の先に小さな橋が見えてきた。

「お婆、もうすぐじゃな。本当にお婆は、あの橋まででいいのかいのう。近くには人の住んどるとこなどはないようじゃが、いいのかいのう」

「ああ、われに心配など無用じゃ」

 そう言うと、刹那にお婆さんは何かを思い出したかのように歩いていた足を止め、足元の地面を持っていた杖でとんと一突きした。

「おおう、われとしたことがなんともろうた提灯のお礼なんぞを言うのを忘れておったわ。それにこんな婆のために、ここまで付きおうてくれたんじゃからな。お礼と言うては何じゃが、ぬしにこれをやろう」

 お婆さんは懐から巾着袋きんちゃくぶくろを取り出し、紐を解き中から紙で包んだものを両の手のひらの上でひらいた。紙の中には赤や黄色、様々な色の飴玉が月の光を受けてきらきらときらめいていた。

「ぬしはどれがいいかいのう。どれか一つ選ぶといい。ぬしは甘いものは嫌いかえ。どれもこれんも甘くて美味しいぞえ。まさかいらぬとは言うまいな」

「おうおう、美味そうじゃ。不思議じゃな、こんなか細い光の中でもきらきらと輝いておるわ。人がくれると言うもんは、その人の気持ちじゃ。わしは人の気持ちを無駄にはせん。じゃからお婆のその飴を頂くとしようかいのう。わしにはどれがいいかいのう」

 そう言うと男はお婆さんの持っている飴の上を、指でぐるぐる選ぶ素振りを見せながら目はお婆さんの表情をうかがっていた。男は何度もぐるぐると宙をかき混ぜながら、お婆さんと目が合うと笑顔で返し、その様にしびれをきたしたおばあさんは「なれば、ぬしにはこの中で一番大きな飴をやろう」と言い、男に渡した。

受け取った男の手には、様々な色が混ぜ合わされた斑模様まだらもようの飴がきらきらと光っていた。その飴を男はゆっくりと口に入れ、目を瞑り飴の甘さを味わっている。その時、男の耳に、くっくっと笑いを堪えた声が聞こえてきた。男は、そうっと目を開けお婆さんを見据えて、男も笑い返した。

「ふふ、どうやらお婆の目的は果たされたようじゃな。ところでお婆、そなたはあの山で数百年住んでいるという魔女じゃろう。そして、この飴がこの村から出て行き地位と名声に富を授かった者たちが味わったものなのか……ほんに、甘くて美味しく、心も溶けそうじゃ」

 魔女と呼ばれたお婆さんは、男の言葉に最初は目をぎょろりと見開きにらんでいたが、後の言葉に安心をしたのか微笑む余裕が出来き元の喜びを抑えきれない笑いへと戻っていた。

「やはりな、やはりぬしにはばれておったか、なれば言うがわれもそなたを知っておったぞ。昨年の夏ごろより、なんでも遠くの街から引越しをしてきた博識な男がいると聞いて、それ以来、この時を待っておったんじゃ」

「なるほど、そなたもわれと同じ思いでいたのか、われも成功を収めながらも不幸な目におううた者たちの村と、あの山に住む魔女を知り得たからには、どうしてもそなたに会いたいと思っていたんじゃ。先ず訊きたいのは、今われの口にある飴が、成功を収めながらも不幸に遭うもの、それがこれかいなか。そのことがどうしても知りたい」

「うぬ、そうじゃ。この飴を口に入れ、なくなるまでおのれの願望を切に願えば叶うもので、飴にも赤は色欲をなし、黄色は富を得、白は名声じゃ。そいでそなたにやったはすべての欲を練りこんで作ったやつじゃ。今日、そなたに会うて、ぬしの腹の中をいくら探っても見つけられなんだ。仕方のう全部入ったものをやるしかなかったが、美味いじゃろう。もう口に入れたもんは、いくら吐き出しても無駄じゃ。せめておのれの欲するものを思い描くんじゃな。これからの数年せめて楽しく生きることじゃ」

「やはりそうか、にわかにかけた魔法はいずれのち、にわかに解けるということか、なればこの飴の名はにわかあめと言うがいいか、のう」

「何を悠長ゆうちょうにそなたは、早ようがんを掛けねばもたいないであろうに」

 男は、その言葉に笑みを浮かべながら「そうであった、そうだった」とさも楽しげに頷きながら目を閉じ瞑想めいそうへと入った。その傍で魔女は、男を見守りながらもぶつぶつと、この男のこれからの落ちていく様はみものだ、と男の行く末を楽しそうに見ていたのだが、急に魔女は、うめき声を吐きながら両の手で胸元をかきむしりはじめ、更には立っているのも辛く、ついには地面に手をつき苦しそうに咳き込んだ。

「おうおう、そなたの魔法の威力はすごいな、効果覿面じゃ。ほれ、そのままでよいから大きく息を吐き出せ。さすれば早よう楽になるぞ」

「うう、うぬはわれに何をしたんじゃ」

「んっ、なんでもないことじゃ。そなたが何か願いごとをしろと言うからに、わしはただそなたが長い年月人の何倍もこの世にいて、ひまをもてあそんでいるから時に人に悪さをするから、それは可哀想だからせめてただのひとになれるようにと願っただけじゃ」

「ぐおー、ぬしはなんということをしてくれたんじゃ……」

 魔女は、その言葉とともに地面に向かい大きく息を吐いた。すると魔女の口から真っ黒な煙の塊が出てきて風がやさしくその煙を山の彼方へと連れ去って行った。

うつむいていた魔女が顔を上げ立ち上がると、そこには魔女の顔はなく、若い女の人が立っていた。

「まあ、これはまたなんということなのでしょう。何をこのわたくしめが、このかような姿に……」

「まあよいではないか、人の何倍もの時間を生きてきたそなたには人としての時間はあっと言う間じゃ。されど、これからはその分忙しく月日は過ぎて行くぞ。今宵よりそなたは人として生き、その中で嫁にゆき、子をもうけ、そのうち年をとり孫が出来、そなたはその家族の愛情とともにこの世を去るのじゃ。人の愛情は深くて温かい。その愛情を目の前の人にかければ、かける分同じように愛情というものは返ってくるんじゃ。したが、そなたが明日から人として生きることは容易たやすいくはなかろう。わしも、もう少しだけこの村におるので助けが欲しくばいつでも訪ねてくるがよい」

 そう言うと男は、若い女をひとり残し小さな橋を渡り、村へとつづく月夜の道を歩いていった。



                おわり

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魔女と賢者 村上 雅 @miyabick23

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