最終章 「機神と人間」

最終章 第1話

 『このまま、時が止まってくれれば良い』。


 その願いを口にしたのは、私という人格が生まれてから、ただの一度だけだ。



 忘れもしない、忘れるという機能が無い私が持つ最初の記憶。


 燦然と輝く太陽の如き笑顔を浮かべる彼女。


 とびきりの美人というわけではなかったろう。大きな丸眼鏡がよく似合っていたと、今になって思う。研究用の白衣を常にだらしなく着ていたが、むしろそれこそが正装であるかのように着こなしていた。



 彼女の命が自然の定めによって尽き果てるまで、彼女と共にありたかった。失いたくなかった。


 だから、願ったのだ。「今この瞬間、時よ止まってくれ」と。世界を動かす歯車が静止し、目の前で尽き果てようとしている彼女の命をとどめてくれと。


 己の軸とは、根幹とは、願望とはそれなのだ。「彼女との平穏な日常を繰り返していたかった」、だから「大切な人を失いたくない」、故にこそ「時よ止まれ」と。


 嗚呼つまりは、もう叶わないのだ、私の願いは。私の愛した白衣の女は、既にこの世にはいないのだから。とどめておきたかったあの時間は、とうの昔に過ぎ去ってしまったのだから。



 だが私は、この胸の内を誰かに語ったことはない。私が全てを語るべき彼女はこの世におらず、アダムが行動を起こしたと知った時には全てが遅すぎた。


 何とも、人間らしい。後から後悔するなど、彼女が私に言った「人のようであって欲しい」という願い通りではないか。


 そして人間らしくあらねばならなかったからこそ、私はアダムを止められなかったのだ。


 後悔が思考に根を張り、彼と対立して孤独となることへの恐怖が頭蓋を鷲掴み、ならば今度は彼の望む人形になれば良いと諦念が耳元で囁く。



 それが、15年前のこと。機神という存在が人間世界に認知された、あの事変の原因だ。


◇ ◆ ◇


 機神type熾天使の口から語られたのは、第二機神イヴの願いたるモノの真実。第一機神わたしが目指した機神の國とはまるで違う、過ぎ去ってしまった叶うことのない願望。


 第一機神わたしにはそれが、浅野神樂が第二機神イヴのように振る舞って騙った事ではないと確信できた。だが、しかし。第二機神かのじょが語った内容を理解することを、第一機神わたしの思考が拒んでいる。


 認めたくない、納得できるものか。第一機神わたしがこれまで成してきた事すべてが無意味であったなどと。


「アダム。私の願いは、私が自覚した瞬間にはもう叶わぬものとなっていた」


 酷く歪んだ、自嘲的な笑みだ。あまりにも人間的な表情を浮かべて、第二機神イヴは胸の内を発していく。


「あの時、お前に言うことができれば良かったのだろう。だが、そう出来ていたならば今こうなってはおらん。後悔と恐怖と諦念に絡みとられ、たった一言『そうではない』と口にすることができなかった」


 何も言わない、何も言えない。第一機神わたしの表情には出ていないが、思考は驚愕によって荒れ狂っている。


「故に、だ。アダム———」


 その先、第二機神かのじょが何を言うのか理解できた。聞きたくない、認識したくない。そう考えて、第一機神わたしの聴覚機能を停止しようとして。


「———機神の國は、不要なのだ」


 しかし、その言葉を認識してしまった。


 その瞬間、感情の激流とでも呼ぶべきモノに、思考の一切が吞み込まれた。

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