第5章 第6話(終)

 声がする。第二機神が操る体を通して、私に彼女の言葉が届く。


『君が今扱っているのは、浅野神樂の体だ。いつまでも好きに扱えると思わない方が良い』


 彼女の吐いたセリフに同意を示す。藍(私)が愛した神樂(私)の体だ、いつまでも、私以外の者に使わせておくわけにはいかない。


 元々、浅野神樂という少女は自分への執着というモノをまるで持っておらず、他者の日常というモノを大事にしすぎるきらいがあった。対して榎園藍という少女は、神樂以外への執着をまるで持っていない程に一途で、偏執だった。


 だからこそ、だろうか。今の私は、自己への愛は藍が持っていた程に強すぎて、そのくせ自分の知る者の日常を壊したくないという二つの願いから成っている。故に。


「返してもらうよ、私の体」


 そうだろう、そうだとも。私の友人が戦っていて、己の体が見ず知らずの女にいいように使われている。許せない、許せるはずがない。


『何を言っている、とでも思っているんだろう第二機神。嗚呼だが、私からすれば当然のことを言ったに過ぎない。だって、そうだろう』


 私には、成平さんのことを誰よりも嫌っているには、理解できる。挑発的な口調で放たれた言葉は、実際は第二機神などには向いていない。


『なぁ、榎園藍。君が浅野さんの体を、いつまでも他の者に使わせておくなんて許せるはずがない』


 成平さん《あの女》も、よくのことを理解している。その通りだ。甚だ不本意ではあるが、否定なんてできるはずもない。


 体に接続されていながらもその機能を停止していた機神type蜘蛛スパイダー中枢コアが、全身へと命令を発する。第二機神の中枢から送られる命令を押し退ける。


 意志の強さならば、今の神樂とわたしは如何なる機神をも凌駕すると自負している。


 神樂のことはが一番よく知っている、第二機神に劣るはずがない。

神樂とわたしの中枢が、神樂の体を支配する。


 指先が僅かな風を捉え、己の支配する領域が次第に広がっていくことを実感させる。今までモニター越しに見ていたかのような景色が、己の瞳を通して直接映し出された。


 わずか数十時間しか経っていないが、自分の目で世界をとらえることが何とも懐かしい。


『貴様、体を取り返したからとどうするつもりだ。私を体の奥底へと幽閉した状態で、アダムを説得できるとでも思っているのか』


 第二機神の声が、頭に直接響くかのように伝達される。その声音に悔恨は無く、純粋な疑問だけが秘められている。


「何とも思わないんだね。再び自由じゃなくなったって言うのに」


 第二機神へと語りかけながら、繭の如く閉じていた翼を広げる。


『……また、戻るだけだからな』


 第二機神はそれ以上、何も発しなくなった。


 視線を上げた先には、笑みを浮かべる女性型機神が立っていた。


「お帰り、お2人さん。いいや、もう2人ではないのかな」


 私が信頼している、嫌いな機神ひと


「えぇ、ただいまです。頼んではいませんでしたが、助けていただいてありがとうございます」


 そんな私の皮肉を含んだ返答に、彼女は呆れた笑みを返した。


◇ ◆ ◇


 視界の端で、機神type熾天使の纏う空気が第二機神イヴのものでなくなったのを捉えた瞬間、果てしないほどの熱が、己の中枢から放たれるのが分かった。


第二機神イヴをどうした」


 抑揚のない、しかし地の底から響くような音であっただろう。これが怒りの感情か、と理解するのに、刹那の時間もかからなかった。


「この体の主導権が私に移っただけで、別にどうもしてないわ。中枢はちゃんと動いてるよ」


 呆れたような声音でただ事実だけを告げるように、浅野神樂と呼ばれていた少女が言う。第一機神わたしにとっては、既に眼前に立つ女など意識の外であり、放たれる攻撃に対して意識せず機械的に反撃しているに過ぎない。目の前の少女が忌々し気な表情を浮かべているが、そんなことはどうでもいい。


「有り得んだろう。そもそも何故、貴様は意識を保っていられる。浅野神樂という人間の記録は全て消去し、その上で第二機神イヴのデータを移行したはずだ」


 少女の人格が未だ残っている、それは第一機神わたしにとって不可解な事象であり、納得できない事態だ。不意に、目の前に立つ少女が、言葉を放った。


「彼女は、機神type蜘蛛スパイダーの中枢を残していた。そして、第二機神の情報をカグラの体へと移す際に、アナタは蜘蛛彼女の中枢の存在に気付かなかった」


 驚愕と自責の念が、己の思考の中を蛇の如く駆け巡る。この少女の言った事が本当ならば、第一機神わたしの不注意が招いた結果に他ならない。

怒りが込み上げる。そのような小癪な真似をした機神type蜘蛛スパイダーに対してもそうだが、その存在を発見することができなかった己自身に対して、果てしない程の怒りが込み上げる。


 嗚呼なるほど、これは我慢ならんはずだ。人間がどの程度の頻度でこの様な激情を抱くかは知る由もないが、生が終焉を迎えるまでに一度はそういう場面に出くわすことがあるに違いない。それと同時に、第二機神かのじょをその内に封じられたことに対する悲嘆を認識した。


「なるほど、貴様らが躍起になって浅野神樂を取り戻そうとした理由わけが理解できた」


 確かに、第一機神わたし第二機神イヴを取り戻すために長い年月をかけた。だがそれには怒りや焦りといったものは微塵も無かったと断言できる。


 目の前に立つ彼女らの激情に充てられ、伝播でもしたか。或いは、長い年月をかけるうちに人間というモノを理解し、己もそちらへと引き寄せられたか。どちらにせよ、現状の第一機神わたしは酷く、人間のようであるだろう。


「突然どうしたの?」


 第二機神イヴの体を使う女が問い返してくる。


「憤怒と悲嘆だ。かつてより人間の感情を理解した今ならば、大切にしているモノを奪われるという事がどれほどの怒りと悲しみを齎すのか。それを理解した」


 だからと言って、それを許容できる訳ではない。


「嗚呼理解したが故に、第一機神わたしはやはり引くことはできない」


 悲しみがある。それに勝る怒りもある。だがそれ以上に、叶えねばならぬ願いがある。


 第二機神イヴが願いを、第二機神(彼女)が望んだ世界を実現する。それこそが、第一機神わたしの存在意義なのだから。


「『時が止まって欲しい』、そう願った第二機神イヴのためにも、第一機神わたしはこの歩みを止めるわけにはいかんのだ。浅野神樂、お前の残った中枢握り砕いてでも、第二機神イヴを返してもらうぞ」


 激情に任せて放ったその言葉に、浅野神樂彼女の瞳が鈍く光った。


◇ ◆ ◇


 激情に任せ、第一機神がようやく口にした第二機神彼女時の願い。『時が止まって欲しい』。そんな願いを叶えるなんて不可能だ。


 時は止まらない。草木は陽光と雨水を受けて成長し、川は海に向かって止めどなく流れ、生物は老い死んでいく。それは不可逆な、自然の摂理。


 不可能だ、時を止めるなんて。


 だからこそ、第一機神は機神の國を造ろうとしているのだ。生物全てが機神であり、それら全てが、己の命令で活動を停止する。長い年月をかけて朽ち果てることを止められなかったとしても、終末を迎えるまでの年月は、通常の生命に比べれば遥かに長い。


 機神の國とは、『時を止める』という願いを最も現実的な形で実現するための、時の流れを限りなく零に近付けるための帝國だ。


「そんなの、認められるわけがない」


 ああそうだ、認められるわけがない。そこに神樂(私)が目指す日常はなく、が願う幸せもない。神樂と藍わたしが目指す平和な日々のためにも、認められるわけが無いのだ。


 そして、もう一つ。致命的なことを、第一機神は知らない。


第一機神ファーストマキナtype原初のアダム、貴方の目指す世界は、貴方の愛する彼女にとって———」


 決定的な勘違いを突き付けるように。あえて悲哀の表情を浮かべて、憐れむような視線を向けて。


「———第二機神セカンドマキナtype原初の女イヴにとって、初めから意味のないものなんだよ」


 寂しさを含んだ声音で放ったその言葉に彼は、意味の分からないモノを見るように、顔を歪めた。


 当然だ、あたりまえだろう。何故なら彼にとって今の発言は、『お前よりも自分の方が、お前の愛する女を理解している』と宣言されたようなものなのだから。


「浅野神樂、貴様は……」


 震えるような声だ。様々な感情がゴチャ混ぜになった、人間のような、震えるような声。


「何を知った……」


 それは怒りだ。おのれのプライドに槍を突き立てられたかの様な怒り。


「それはどういう意味だ……?」


 それは焦りだ。己が今まで成してきたことがまるで意味のなかったものなではという焦り。


「何を理解した……⁉」


 それは、恐怖だ。己が愛する第二機神の願いを自分の都合のいいように解釈していたのではないかという、恐怖。


第一機神わたしは、何を間違えた」


 哀れだ、とは思わない。一瞬前まで信じていたものが、砕け散る鏡の如く崩れ去ったのだから。人間であれば、失意のうちに泣き崩れていてもおかしくはない。けれど、けれども、彼は機神なのだ。


第二機神イヴにとってあの願いが意味のないモノとはどういう意味だ、浅野神樂⁉」


 認められないはずだ。納得などできるはずもない。だが、理解しなければならない。私の放った言葉の意味を、第二機神の真意を、正しく把握しなければならないと。


「答えろ……!」


 第一機神の怒りに応じて、周囲の機神が一斉に迫り来る。斜め前に立つ朱希が身構えたが、肩を掴んで私の後ろに下がらせる。


 私の体を第二機神彼女が使っている最中に、数多もの機神を喰らったのだ。カタログスペックだけなら、私はこの場の誰よりも優れている。


「貴方は知らないものね」


 放った言葉に乗せられたのは、侮蔑でも嘲笑でも、憐れみでもない。私の中にあるのは、正しく理解されないことへの悲しさだ。


「ちゃんと言葉を交わさないと」


 眼前を埋め尽くす機神の群れを、6対十12枚の羽で以て払いのける。1機たりとて、私たちに触れることは叶わない。


「貴方たちは、人間になろうとしたんだから」


 有象無象では、私の歩みは止められない。第二機神彼女が機神type熾天使を最強の存在へと押し上げたのだ。


 第一機神は動かない。無数の感情の嵐にその思考を晒されているが故に、その場から動くことができない。


「あぁ、そうだな」


 そんな第一機神に、彼女が語り掛ける。私の身体を借りた、心を決めた第二機神が。


「確かに、こうしてしっかりと話すのは初めてだ、アダム」


 それは、どこか自嘲を含んだ声音。第二機神が、己の不甲斐無さを嘆くかの如き重量を持った音。


「私の願いは……、もう二度と叶うことのない、私の願いは———」


 私の口で彼女が語るのは、神樂と藍わたしが生まれるよりも前の話だ。


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