第3章 第5話

 巨大な蛇型機神の動きには、強い意思が見て取られた。即ち、こちらを喰らい殺すということ。猪突に身を任せるのではなく、こちらの放つ攻撃の中でも致命的な打撃と成り得るモノだけ避けてくる。あと5秒もすれば、誰かがその牙によって骨ごと噛み砕かれるだろう。


「どうすんだ畜生!」


 こちらの兵器が、大型の機神の装甲にダメージを与えられない。真正面からの一撃ならば敵を怯ませ、運が良ければその顔面を破壊することも可能だろう。だが、足りない。相手との距離が、時間が、あらゆるものが足りていない。


 この地下通路の天井が破壊されるなどと思いもしなかったのだから。


「退路なんてねぇぞ!」


「わかってるわよそんなの!」


 時の流れが、やけに緩やかに感じられる。1秒にも満たない一瞬で浮かんだ思考は、また大切な人を失うのかという恐怖と絶望。


 何故、ワタシはこんなに無力なのだろうか。だが無力であっても、逃げているだけなどできるはずがない。ワタシはそういう風に出来ていない。


「ッ!」


 蛇型機神に狙われていた女性隊員を弾き飛ばし、代わりにワタシの左腕が食い千切られた。眼球が床と天井をで交互に捉え、激しく床を転がったのだと理解する。


「なんで……」


 隊員たちが、ワタシに向かって何かを叫んでいるのが目に入る、だが、あまりの激痛に意識がもうろうとして、彼らが何を言っているのか理解できなかった。


「なんで……オマエたちなんかに……」


 弱者であることが憎い。大切な家族を守る力を持たない、無力な己が許せない。


「ワタシは……」


 左腕があった場所から大量の血液を吐き出しながら、怒りに任せて立ち上がった。己の双眸そうぼうに憤激を滲ませている姿が、磨かれた鏡の如き鋼鉄の装甲に映し出されていた。


 信じがたいモノを見た。脳が理解を拒み、理性が事実を否定する。だが、その視界にある姿は確かな真実に違いない。


 妙な静寂が、場を支配する。この一瞬だけは、ワタシを含めた部隊の皆だけでなく蛇型機神すらも、沈黙を貫いてた。次の瞬間、人間たちは驚愕の感情を、蛇型機神は耳をつんざく様な咆哮を放った。


「笹原ァ!」


 蛇型機神に映る自分の姿は、異様と言って相違ない。日本人特有の黒色をしていたはずの瞳は翠玉の如く青緑色に輝き、傷口から流れ出るはずの血液は白銀色に輝いている。己の内側が、別の物質に置き換えられていく。人ではない、眼前に迫る蛇の姿をした金属生命体と同様の存在へと。


 嗚呼だが、間に合わない。ワタシの肉体全てが鋼鉄へと変わりゆく前に、蛇のあぎとに噛み砕かれて終わるのだ。あと数秒、コレが起こるのが早かったなら。

 諦念ていねんに身をゆだねた、その瞬間。


「なっ……⁉」


 隊員の驚嘆と共に、蛇型機神がきしみを上げる。銀色を放つ鉄線が、その巨体を縛り上げている。


「生きているわね。なら、助けに来た甲斐かいがあったというものだわ」


 鼓膜を震わす澄んだ声はこの一ヶ月で聞き馴染んだ音であり、しかし馴染みのない冷たさをはらんでいる。


 刹那、鉄線の力に耐えきれず、蛇型機神が無残な鉄屑へと姿を変えた。


 舞い上がる埃の中から現れたのは、6対12枚の羽を持つ天使の如き人型の機神。


「立ちなさい、神樂の友達。貴女の望みを叶えに行くわ」


 カグラの声で、カグラの姿で、カグラではない表情で、榎園藍はそう言い放った。

 次の瞬間、銀の血液がワタシの身体を取り込んだ。


◇ ◆ ◇


 地上の有象無象を蹴散らし、地下で暴れる巨大な蛇に終焉を与えた先に立っていたのは、私にとっては微塵の興味もない人間。けれどもだ。ソレらが笹原朱希の友人であるというのなら、話は別だった。


「神樂の友達と、その家族ね」


 榎園藍わたしにとって、浅野神樂愛すべき人以外の生命体など気にもかけない存在なのは違いない。だが、だからといってそれを無視しては、神樂が悲しむ結果になるというも理解している。


 故に神樂の友達とその身内くらいは、助けられるのならばそうしておこうと思っているわけなのだが。


 機神typeスネークの残骸の上から、無感情に見下ろした。銀色の液体を垂れ流す翠玉の瞳の少女は、もはや人間を逸脱しようとしている。生物を機神と化す因子が、彼女の肉体を変貌させようとしている。


 しかし、彼女は未だ人間の肉体を保ったままなのは何故なのか。私の場合はすぐに機神に成ったというのに。


 両者の違いは明白だ。即ち、人間という存在への執着があるか否か。私は人間の形である事に拘りは一寸も無く、笹原朱希は未だ人間である事を捨てきれていない。

 だが私1人では、彼女の家族全員を助けることはできない。私という個が如何に強力であったとしても、多数を守るには手数が足りない。ならば、どうするべきか。


「立ちなさい、笹原朱希(神樂の友達)。貴女の望みを叶えに行くわ」


 彼女を、機神こちらへと引きずり込むしかないだろう。人間である事への執着を捨て、己の願望を叶えるための機構へと成り果ててもらうしかない。


「ッ⁉」


 視界の端で、彼女が震えた。吐き出されていた銀色の液体が身体を取り込み、新たな形へと変貌させる。その光景に彼女の仲間が驚愕しているが、生存しているならば彼らの感情などどうでもよい。


「対機神部隊の方々。これより機神マキナtype熾天使セラフアンド蜘蛛スパイダーこと榎園えぞのあいが、貴方がたとそこの友人に協力します。死にたくなければ付いて来て下さい」


 あえて傲慢に、己の方が上位であると見せつけるような態度で振る舞う。


「行くわよ」


 視界の端で、銀色の液体が次第に形を定めていく。広げられた見事な翼に、見る者を威圧する翠玉の瞳、そして鋭く伸びたくちばしを生やす鳥型の機神。即ち、機神typeホーク


 笹原朱希は、私の言葉に呼応するかのように鳴き声を上げる。

常人には理解できないだろう音。だが機神である私には、言われなくとも、と彼女が理解できた。


◇ ◆ ◇


 どれだけの機神を破壊しただろうか。人間を遥かに凌ぐ破壊力を有するのが機神だ。それらを一方向からだけとはいえ、1時間以上も相手にしているのだ。


 地下施設の通路には無数の亀裂が走り、先程まで殺戮を尽くさんと暴れ回っていた機神の残骸が転がっている。だというのに、迫りくる機神は留まるところを知らない。間違いなく、この街にいるほぼ全てがここに集結している。


「局長、このままでは……!」


 既に3度後退し、次の防壁を突破されればこの指令室が餌食となる。壊滅も時間の問題だ。


 ならば研究所への撤退の準備をするべきかと思考を巡らせていると、研究所方面の扉が開いた。


ラボ方面分隊及び笹原朱希、帰還しました!」


「ッ、あちらはどうなって———」


 研究所へと続く通路の確認に向かっていた部隊の面々が、全身に傷跡を残しながらも帰還した。だが、その事実に安堵する間もなく私の目に飛び込んできたのは、鋼鉄の翼を持つ1体の機神。


 おかしい、数が合わない。熊野は今、彼が率いる部隊と笹原の帰還を告げたはずだ。だというにそこには、笹原の姿が確認できない。嫌な予感が、指令室に広がっていく。


「通信機器が破壊されたので連絡が遅くなりました。研究所との通路に蛇型機神が出現、一部天井が破壊されていますが、人が通る分には問題ありません」


 退路が断たれていないことは僥倖。しかしならば、蛇型機神はどうしたのか。


「蛇型機神に関しては、突如現れた12枚羽の機神が撃破しました。我々に協力する意を示し、彼女が地上の機神を掃討する手筈になっています」


 恐らく浅野神樂のことだろう。彼女は何度か対機神部隊に協力してくれたという事実がある。今回もそうであると考えれば納得できるし、個人的な感情を述べれば感謝しかない。


「そしてこの鷹型機神が、笹原朱希」


 そう、それだ。熊野の肩に止まっている鋼鉄の鷹。ソレが、一体何なのか。


「機神となった、対機神部隊の笹原朱希です」


 数秒、指令室を沈黙が覆いつくした。何と言葉を放てば良いか分からず、困惑と疑問が思考を支配している。だがこの数秒は、今の状況において余りにも致命的だ。次の瞬間には指令室の扉を突き破り、無数の機神で埋め尽くされている可能性もあるのだ。故に、頭で考えるよりも先に口を開いた。


「理由も過程も後回しだ。正面の部隊がもう持たん、加勢してくれ」


 私の言葉に誰よりも早く反応したのは、笹原だという鷹型機神だった。彼女は鷹そのものと言わんばかりの鳴き声を発し、正面へ続く扉の前で制止してこちらを見つめた。恐る恐る頭を撫でると身を摺り寄せてくる姿は、幼い頃の彼女を思い出させる。


 扉を開け放てば、銃撃と破砕の轟音がすぐ近くまで迫っているのが分かる。鷹型機神は迷いもなく、戦場の音色が奏でられている場所へと飛翔した。

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