第3章 第3話

 大切なモノを奪われる、そんな夢を見た。


 自分にとってかけがえのない存在が、自分たちとは違うモノによって奪われていく。


 その光景が、映像として飛び込んでくる。


 嗚呼、なんて強烈な感情だろう。


 その夢の主の想いが、こちらの中へ流れ込んでくるようだ。


 あの時感じた怒りを、忘れることなんてできない。


 あの時感じた屈辱を、忘れることなんてできない。


 あの時感じた無力を、忘れることなんてできない。


 だからこの夢の主は、あの時に決意した。


 もう奪わせなどしないと。


 絶対に取り戻してみせると。


 こんな無力さなど、二度と感じてなるものかと。


 膨大な時間をかけて、きたるべき時に備えようと。


 これは、悲しい記憶。


 これは、決意の記憶。


 これは、忘れることのできない記憶だ。


◇ ◆ ◇


 日が沈みかけ、夜闇が街へと広がり始めた頃合い。己の内に鳴り響き続ける雑音を無視して平常を装いながら、対機神部隊の部隊員と何気ない世間話をしていた。


「そういや、天藤てんどうは最近笹原ささはらと会ったか?」


「いや、残念ながらタイミングが合わなくてね。久しぶりに会ってどんな様子か確認したくはあるのだけど」


 天藤というのは、私が対機神部隊で使っている名前だ。下の名前は千尋ちひろで、成平なりひら千尋ちづるから読み方を変えただけの安直なモノだが、案外これが気に入っている。


「寂しがってたぞ、アイツ」


「そんなことを言われても、そもそも私はあまり彼女と関わっていなかったろう」


 無論、名前も姿かたちも変えた状態でだが。機神としての私であれば、機神type避役カメレオンの一件まで一度も関係を持ったことはなかったのだから。


「アイツにとっちゃ、部隊全員が家族みたいなもんだからな」


「あのにとって私は、親戚の叔母さんみたいな立ち位置だと思うけどね。私は研究所の方がメインだし、ほとんど顔を合わせないからさ」


 そういうもんかね。目の前の男は肩を竦めた。


 まぁ私がほとんど顔を合わせないのは、何も笹原さんとだけじゃない。今話している彼も、立ち話だとしても、こうして言葉を交わすのは3週間ぶりだったはずだ。互いがどういう立ち位置の人間かを理解しているから、そんな事は気にしないのだが。


「そういや笹原は、学校に友達ができたらしいぜ。それが監視対象の女性型機神ってのは、素直に喜ばしいと言えんが……」


 彼が口にした友達とは言うまでもなく、浅野さんのことで間違いないだろう。


 対機神部隊の他の隊員たちからすれば気が気ではないが、コミュニケーション能力に難のある笹原さんの友好関係を心配していたのも事実だ。娘や妹のように可愛がっている彼女が機神に対して好感を抱いているという事に、如何ともし難い感情を抱いている。


「彼女にとっては良いことじゃないか? 人間に対して友好的な機神、かつコミュニケーションが成立しているのなら同年代で初めてできた友達だ」


「それもそうなんだがなぁ……」


 笹原朱希についての話をしながら、私の意識は別へ向いていた。それは、私の頭に響いている不快な音。


 今日の午後からずっと鳴り響いている雑音が、私の意識を闇の底へと引きずり込もうとする。少しでも気を抜けば意識を持っていかれそうな程だ。


「話の途中で悪いが、そろそろ時間でね」


「研究所か? こっちこそ悪かった、引き止めちまって」


「あの娘については私も聞けて良かったから、君が気にする必要はないよ」


 じゃあ、と軽く手を振り、下へ降りるためのエレベーターへと乗る。中枢コアを直接掴まれているかのような不快感に顔を顰め、虚空を睨みつける。


 一階に着いてドアが開いたと同時、倒れこむように廊下へ出たからだろう。受付の女性が心配そうに声をかけてきたが、気にしないで大丈夫、とだけ言って外へ出た。


「大丈夫かな、浅野さんは……」


 ここにいな少女型機神のことが気になった。成平千尋の数少ない友人である彼女が、この雑音に囚われていないだろうかと。


「君は相性が悪いだろうからなぁ……」


 きっと彼女には、私以上に強く響いているだろうから。何故なら、さっきから五月蠅いこのこえは───


「少しは静かにしてくれないか、第一機神ファーストマキナ……」

 あの機神からの号令なのだから。


◇◆◇


 頭蓋骨を抑えつけられるような痛みで目を覚ました。睨みつけるように窓の外へと目を向ければ、灰色の空から雨が降っているようだ。ならばこの頭痛も、低気圧のせいだろう。


 身支度を済ませて部屋を出る。普段ならば通学途中でカグラと合流しているが、今日はいつもより15分ほど早い。彼女の家の前で待つことにした。

傘をさしながら3分ほど待っていると、ゴミ捨てのために出てきたカグラのお母さんと目が合った。


「朱希ちゃんじゃない。どうしたの、雨の中ぼうっとして」


 心配そうな視線を向ける早苗さんに、早く起きたのでカグラが出てくるのを待っていることを伝えると、家に入って良いと言われてしまった。こちらが勝手に待っているだけなので遠慮すると言ったのだが、雨に濡れてちゃ良くないでしょう、と引っ張られてしまった。


「朝ごはんはもう食べた? もしよかったら一緒にどうかしら」


 早苗さんが期待の目を向けているのが理解できた。ここで断るのも申し訳ないし、厚意に甘えて食卓に着いた。


「神樂ってば、最近は早起きだったんだけどねぇ~。今日はまだ起きてこないのよぉ~」


 両親はカグラが機神となったことは何も知らないようで、カグラから聞いていた通りだ。まぁ、大切な娘が機神になってしまったなどと言われた日には、仲が良いらしいこの家族がどんな反応をするのか分からない。カグラが成ったのが人型の機神で良かったと思いながら、ふと、蜘蛛型機神となったあの少女の両親はどうなのだろうと気になった。


 用意してもらった朝食を摂っていると、早足で階段を下る振動が伝わってくる。今日はお寝坊さんねぇ~、と気の抜けた声を出す母親へ、仕方がないでしょう! と反論が響いた。


「雨が降っていて起きる気にならなかったのよ。そういう日だってあるの」


 学校での、どこかのんびりとした口調ではない。はっきりとした物言いで言い訳をする彼女に、家ではこうなのかと思った。


「おはよう、朱希。うちに上がってるなんて思わなかったわ」


 一瞬、カグラから言外の圧力プレッシャーを感じた。既にそんなものは感じない。だが普段の彼女からは感じたこともない圧力を、ほんの刹那の間であったが確かにこの身で受けたのは確かだった。


「気圧のせいか頭が痛くて、早めに起きたから。せっかくだし、家の前で待ってようかなって思って」


「雨の中外で待ってるのも可哀そうでしょ~。私が朝ごはんに招待したのよぉ~」

 早苗さんの言葉に納得したのか、あぁー、と声を漏らした。


「それなら起こしに来てよね」


「いつも通り起きてくると思ったのよぉ~」


 食卓に着いたカグラと雑談を交わしながら、朝食を摂り進めていく。家で過ごすカグラを見るのは初めてで、学校にいるときよりも落ち着いているように見えた。



 カグラたちと共に帰路に就く。学校では普段通りに過ごしたが、カグラと言葉を交わした回数は普段より少なかったのではないだろうか。まぁそれでも、ワタシからすれば多めに喋っている方ではあるのだが。


 しかし、だ。今日一日共にいても、カグラに対する違和感が霧散することはなかった。物事をはっきりと言い切るような口調で、口だけで微笑みを作るようにしていた彼女。今も隣を歩くカグラは、こちらと視線を合わすことなく会話をしている。いつもの彼女であれば、ワタシに抱き着くくらいのことはしているだろうに。


 そんなことを頭の中で巡らせていると、そういえば、と話題を変えてきた。


「頭痛はもう大丈夫なの?」


 そういえば、朝からずっと鈍痛がしていたことを思い出した。雨はもう止んでいるが、この痛みは未だ無くなっていない。そうカグラに伝えると、彼女は顎に手を当てて何かを考え始めた。


「そう……。いえ、何でもないの。頭痛薬でも飲んで、ゆっくり休んだ方が良いわ」


 今日初めて、彼女と目が合った気がする。機神特有の翠玉が、ワタシを見つめている。声からは感情を読み取れないが、少なからずワタシを心配しての言葉であることに安堵した。


「ありがとうカグラ。そうする」


 分かれ道に着いたワタシたちは、手を振って互いの帰るべき方へと向かっていく。


 沈みかけた日の光が、やけに眩しく感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る