第2章 第4話

 私の家の前で、笹原さんと別れた。親に気付かれぬように部屋へと戻った頃には、既に午前二時を過ぎていた。


 私から機神と打ち明けるわけにはいかなかったとはいえ、無理矢理が過ぎたのではないかと反省はしている。十中八九人間ではないと気付かれているだろうから、果たしてあの行動に意味があったのか分からない。


「だけど、これを見せるわけにはいかないしねぇー」

 ズボンを脱ぎ捨て、露わになった血塗れの右脚。人間としての部分と機械が、どういうわけか違和感なく繋がっているのだ。人間と機神入り混じったこの脚を、さてどうやって隠したものか。学校に行くときは指定のスカートを穿かねばならない。どうあっても膝が露出してしまう。


「……包帯巻いとくか」


 とりあえず、私にはそれしか思いつかなかった。確かリビングにあったはずだと、静かに一階へと降りていく。


「あ、あと成平さんに連絡入れておかないと」


 私たちを助けてくれたのは彼女だ。あの人であるから無事だとは思うが、万が一という事もある。安否を確認するメールだけ送り、私は部屋へと戻った。



 睡眠時間は3時間もなかったが、目覚めた瞬間には全く以て眠気が存在しなかった。学校へ向かうべく家の扉を開けたと同時に、「今日は学校休ませてもらうよ」というチャット通知がスマホを震わせた。成平さんからだ。昨日の(日付的には既に今日だが)戦闘で損害でも受けたのだろうか。一度だけ見た戦闘が藍を一方的に破壊したモノだったため敗北シーンを想像できないが、彼女とて全能の神ではないのだ。損害を受けることもあるだろう。


 学校に着いた私は、右脚全体を隠すように巻いてある包帯について色々と訊かれたが、適当なことを言って誤魔化しておいた。



 新たに機神の目撃情報が出たことで、それの対処が落ち着くまで再び学校は休みとなった。それが発表された今日は、朝のHRが終われば帰宅となる。荷物をまとめて教室を出ようとしたところで、私よりも頭一つ分身長の低い少女が立ちふさがる。少し下げた視線の先にいたのは、無表情でこちらを見つめる笹原さんだった。


「笹原さんじゃん。何か話?」


 無表情のまま、彼女は頷いた。


「……帰りながらでも良い?」


「うん」


 話しづらい相手だなぁー、という感想を抱きながら、何も話さず学校を出た。笹原さんは無言で、私の横を歩く。


「いつも、学校が終わったらすぐ帰るの?」


「うん」


 会話が続かない。話題を振っても即座にYes/Noで返されてしまう。話題のないまま黙々と食事を進める。果たして一緒に帰る意味があるのだろうか。そんな疑問を抱いていると、遂に笹原さんが口を開いた。


「ねぇ、アサノさん」


 校門をくぐったタイミング。神妙な面持ちで、私を見つめている。


「何ぃー?」


「その脚、もう大丈夫?」


 予想していた言葉だ。当然だろう、昨日あんなになってしまった片脚を、この同級生は直接見ているのだから。


「大丈夫だと思う?」


 あえて、質問で返す。彼女は私に対して、どのような考えを持っているのか。


「日常生活を送るには支障が無い程度には、修復されているように見える」


 一瞬の沈黙を挟み、再び口を開く。


「有り得ない、普通の人間の回復速度じゃない」


 この人に昨日のことを口外されれば、私の日常生活は終わってしまうなぁ。などと考えながら、私はそのまま話を聞く。


「アナタの、エメラルド色の瞳」


「……綺麗でしょ?」


 こういった、ゆっくりと詰め寄ってくるような会話は、私の苦手なモノの一つだ。


「ワタシ、アナタと同じ瞳をした人を知っている」


 今の私は、どんな顔をしているのだろうか。


「アナタと同じ瞳をしたモノを、知っている」


 内側から強く放たれる藍の感情が、私の心を覆っていくようで。


「嫌なら答えなくても良い」


 そう前置きしたうえで、私は問われた。


「アナタは、人間?」


 日中の街中。日常的に通る、この場所で。


◇ ◆ ◇


 微笑むような表情を浮かべている横を歩く女は、ゆっくりと口を開いた。


「……笹原さんって、漫画とか読む?」


「読まない。周囲の人の話を聞いてはいるから、知識はある。……それがなに?」


 何かを決心したように息を吐き、ワタシの瞳をまっすぐ見据えた。


「私、アニメとか漫画であるような日常シーンが好きなの。

 人によっては面白くもない、変わり映えのしない日常を繰り返すのが好きんだ」


 それは、どこか悲しそうな表情だ。


「そんな日常の象徴って、やっぱり友達とか家族じゃない」


 ワタシに友達はいないが、家族と呼べる人たちはいる。誰も離れず、誰も死なず、そんな当たり前の毎日を繰り返していたいと、そういう彼女の言葉は理解できる。


「笹原さんが死んだら、そういう人間たちが悲しむと思ったんだ。それって、凄く嫌なことだよ。だって私は、日常が好きだから。私だけじゃなくて、いろんな人が望む日常が続くことが、私の願いだから」


 強い芯の通った、まっすぐな声だった。嘘偽りはないと断言できるほどに、彼女の言葉には強い思いがあった。けれど、だ。


「ワタシの質問に、答えてもらってない……!」


「答えなくても良いって言われたからね」


 揶揄からかうように返事をして、アサノは十字路でこちらへ顔を向けた。彼女の家はワタシの向かうのとは反対だったのを思い出した。


 彼女の顔には、申し訳なさそうな笑みが浮かべられている。ワタシは何も言葉にできず、彼女を見送るしかできなかった。


 だが彼女は、ワタシの言葉を否定はしていなかった。


◇ ◆ ◇


 私は結局「浅野神樂は人間か?」という問いに答えていない。故にこそ、答えは言ったようなものだった。あとは彼女がどう受け取るかだ。


 過ぎたことを気にしても仕方がないのはわかっているが、それでも割り切れず悔いているのは己がまだ人間の証か。


 そう、私はまだ人間でもあるのだ。だからきっと、その話を断ち切るためにあんな話をしてしまったのも、人間たる部分。


「焦ったなぁー……」


 隠し通したい真実を突かれ、知られるわけにはいかない真実を突かれた。彼女を助けた私の自業自得であるからどうしようもないのだが、見捨てていればもっと悔いていたと確信できる。


 彼女が言いふらすような性格でないのは分かっている。だが、もう一度話す機会があるならば、それはできるだけ早い方が良いだろう。まぁ今は、家のベッドの上で寝転がっているのだが。



 学校が休みとなって1日目、私は成平さんの住むマンション入り口でインターフォンを鳴らしていた。あぁ君か、という言葉の後に自動ドアが開く。


 部屋のチャイムを鳴らすと、成平さんがドアを開けた。


「……何で裸なんですか?」


「初めに言っておくが、決して私が私室では裸で過ごしているというわけではないよ」


「へぇ……」


 服を着ていない彼女の身体は、見た目としては人のそれと同じ。私の右脚のように、機械然としたモノが露出しているわけではないようだ。彼女の左腕を除いて、だが。


「入ってくれて構わない」


 部屋へ上がる。好きにして構わないという彼女のげんに甘えて、買ってきた昼食をテーブルに広げさせてもらった。数分後、シャツ一枚だけの成平さんが私の前の席に着く。


「コレが気になるみたいだね」


 私の視線の先、鉄色をした左腕を持ち上げて見せた。


「昨日の機神type避役カメレオンとの戦闘で食われたんだ。駅の人たちを逃がすよう立ち回っていたから、というのは言い訳だけれどね。

 だがそれなりの損害は与えて撃退する事には成功した。片腕を代償に死傷者を一人も出さなかったと思えば、まぁ安い買い物だよ」


ならば、今の彼女に左腕として付いている鉄色のモノはいったい何なのか。


「ところで、私は周囲の金属を取り込み、ソレを使って自在に体の形を変えることができる。それこそが機神type変幻自在ヴァリアブルの権能だ。機神の心臓たる中枢コアすら形成できる」


 己の力を語るさまは決して得意げではなく、淡々と事実を告げているだけのようだ。


「この左腕はその能力で昨日形成したばかりでね。ようやく手と腕の形を整えられたが、力は上手く制御できなかった。一日を経て、ようやく加減がつかめてきたというわけさ」


 テーブルにあったフォークを、くるりと左手で回して見せる。もう左手は普段通りに使いこなしているようにみえる。


「さて浅野さん、君はどうなんだい。先日の戦闘では大変なことになっていたと思うが」


 彼女の目と左手のフォークが向いた先は、私の右脚だ。あの日は滴るほどに血が染みていたのだから、大変なことというのは過言ではないだろう。


「えっと、もう治ってますよ。奇妙な金属と人体が奇妙な繋がり方をしてはいますけど……」


「だが、機械のような重さは感じないんだろう? 今まで通りの人体と同じような感覚で動かすことが出来ている」


 頷きながら包帯を取る。銀色と肌色が歪に接合されている右脚は、人によっては不快感を表してもおかしくない見た目だ。


「私が金属を喰らって己の一部とする特性を持つように、君も自己修復という特性を持っているんだろうね。まぁ人間の身体を金属に変質させて、のようだが」


 それはつまり、浅野神樂という存在が次第に人間ではなくなっていく事を意味している。


「それを受け入れるかどうかは君にかかっている。私にできるのは、そうだね。人工皮膚で金属部分を隠してあげることぐらいだ」


 私はまだ、自分のことを人間だと思っている。人間として、人間の中で生活していきたいと。だから、彼女の親切をありがたく受けることにした。

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