第2章 第3話

 21時、いつもならまだゲームをしていたであろう時間に宿題を終えていた。藍の記憶や経験から齎される知識によって、特に悩むこともなく片手間でできたからだ。何の片手間に宿題をしていたのかと問われれば、私の現状と藍について考えていた。


 藍は機神マキナtype 蜘蛛スパイダーとして13人の人間を殺した。私はその時の記憶や感情を知ることができるし、互いに拒んでいるわけではないから自動的に共有されている。自分が直接やったわけではないからというと薄情に聞こえるかもしれないが、彼らは気の毒なことをしたな、としか思えないのだ。


 人を殺すことへの抵抗は当然あるし、人が死にかけている場面に出くわせば身を挺して助けるだろう。けれどその優先順位は、機神としての願望の次だ。


 機神というモノについて、成平さんからいくらか聞いた。


 機神とは、一つの願望を最優先で行動するという。人間が機神となったときに最も強い感情や願いが、機神となった後に己を動かす理由になると。


 その点でいえば、藍の願望はとても分かりやすい。私と、浅野神樂と一つになること。対機神部隊のげんに従えば人間の近くにはいることはできず、即ち私と離れ離れになってその願いをかなえることは困難となっていたのは確実だ。そしてそもそも、人間を喰らうことを彼らが許すはずもない。故に、藍は己を追う対機神部隊の人たちを殺したのだ。


 だから恐らく、同じアパートの住人や友人、果ては家族であったとしても、それが障害となるなら殺しただろう。究極的なまでに、浅野神樂以外の存在に興味がない。


 対して、機神となった私は、今であってもお父さんやお母さんのことは好きだし、殺すことなんて絶対しない。何なら自分の体が壊れても助けると確信できる。この差はきっと、自分の自覚していない願望が理由に違いない。


「機神かぁー」


 先日機神になったばかりで、わからないことが多すぎる。成平さんは人型ではあるけど、その髪の毛や肌は決して人間と同じ素材でできているわけじゃない。私も体の機械化しているのは背中から生えている六対十二枚の羽根とその付け根、あとは体の内側の大半といった具合だ。


「表皮とか髪とかは、まだ人間としての部分なんだよね」


 頬も胸も、お尻だってまだスベスベのプニプニだ。


「お腹はプニプニじゃなくて良かった……」


 自分の身体を見ていると、藍の感情が流れ込んできて欲情しかける。あまりに危険すぎる特性だ。


 気分転換にでも漫画を読もうと、私は背中の羽根を使って、本棚から漫画を取り出した。羽も使い慣れてきて、今では手の如く器用に扱うことができるようになっている。


 夜も更けてきた深夜0時、突如としてスマホから警報が鳴り響いた。驚きながら画面を見れば、機神出現のため外出を控えるようにとの通知が届いている。街の方から仄かに、機神の気配を感じた。



 藍であれば、自分に関係のないことだと割り切れば良いのかもしれない。だが私には、友達の誰かが巻き込まれている可能性が僅かでもある限り、見て見ぬふりをする事なんてできない。気持ちの問題ではなく、浅野神樂という機神には不可能なのだ。


 人を避けている時間はないと、屋根伝いに直線距離を跳躍する。機神の気配がする場所には、地上を駆けていたら掛かっていであろう時間の半分以下で着いた。

場所は駅の向こう側、高層建築が立ち並ぶオフィス街。先程の警報から二十分近くが経過した現在、明かりがチラホラとついているビルはあるが、街を出歩く人たちは少ないように見える。これなら、機神を見つけ出すのも容易に違いない。


 着ている服を破らないように羽根を出し、鉄線を生成して一番高いビルへと移動する。機神type 蜘蛛の中枢コアを取り込んだことで得た能力が早くも役立っている。


「ここなら探せると思ったんだけどなぁ……」


 ビルの屋上から見る景色は確かに絶景だが、道を見るにはビルが邪魔過ぎた。仕方なしに隣のビルへ、また隣のビルへと跳び移りながら地上を観察する。オフィス街であるならば、同じ学校の生徒なんかは巻き込まれていないんじゃないだろうか。ならば帰っても問題ないか。そんなことを考えていたその時、凄まじい速度で逃げる様に走る少女の姿を、己の瞳が捉えた。


「アレは……」


 別に仲が良いわけではない。だが何かから逃げるように走っている少女は、私の知っている、同じ学校の同級生に違い無かった。


「笹原さん……?」


 まともに話したことなど皆無で、去年何かのイベントの時に数度言葉を交わしたのみ。そんな彼女が、こんな時間にこんな場所で、逃げるように駆けている。


 彼女が走っている近くのビルへと跳び移り、笹原さんの周囲を見渡した。一見して何もない、しかしズシンズシンと巨大な何かが発する振動は、確かにこの身に伝わってくる。故に、この周囲に機神がいるはずなのだ。


 目を凝らして注意して見れば、笹原さんの後ろがわずかに歪んで映った。人間2、3人ほどの幅で、縦長の何かが追いかけている。


 他に人間が一人もいないというわけではない。彼女は人がいる方向を避けて逃げているようだが、それも時間の問題だろう。


 どういう原理で姿が見えなのかを考えたが、まぁ気にしても仕方がない。


「笹原さんを助けないと」


 私のクラスには、去年笹原さんと同じクラスだった子もいる。笹原さんが何で追われているのかは不明だが、仮に彼女が死ぬようなことがあれば、その友達たちはきっと悲しむだろう。それは嫌だ、絶対に嫌だ。そんな風に日常が終わってしまう事を、浅野神樂は許容できない。だからこそ、笹原さんを助けなくてはならない。


 ビルの屋上から飛び降り、鉄線を使って静かに着地する。あと10数秒もすれば、姿の見えない機神は二つ先の十字路を横切るはずだ。そのタイミングに合わせるように、私は全力で駆け出す。1つ目の十字路を越えたあたりで、彼女の姿が見えた。


 私の肉体の強度じゃあ、機神にタックルしてもこっちがダメージを負うだけなのはわかっている。ならばどうするか。


「ごめんね笹原さん!」


「誰ッ⁉」


 彼女を攫うように抱きかかえ、全力を以て跳躍した。


 驚愕の表情を浮かべる笹原さんに、えへへ、とだけ苦笑いをして駅に向かって全力疾走する。間違いなく彼女が逃げていた時よりも速く走っているのに、背後から迫る気配は一向に遠くならない。


「放して、私一人で逃げ切れる」


 私が誰かわかっていないからか、或いは自信の表れか。それとも、見ず知らずの私に迷惑をかけないようにと考えているのか。彼女は私の腕から逃れようとする。


「いや、無理だって。だってほら」


 透明の機神がこちらを追う速度は徐々に上がっている。彼女の走行速度では既に追いつかれていてもおかしくはない。


「……っ」


 それでも、彼女は私の腕から逃れようと手と足を暴れさせた。まぁ多少暴れたところで機神の腕力からは逃げられないだろうし、何なら私の走りに影響はないから構わないのだけれど。


「笹原さん、少し走りにくいから静かにしててもらえると嬉しいんだけどなぁー」


「貴女が私のことを放せば、それで済む」


 というか。と見ずとも顔を顰めていると分かる声音で続けた。


「貴女、誰?」


 クラスは一緒になったことないが、二年間同級生なのだから顔くらいは覚えていても良いのではないか。だが、私が誰かなどと長々説明している余裕はない。私は人がいることなど気にもせず、駅の方向へと駆けて行く。


「待って、こっちには人が———」


「口開かないで、舌を噛む!」


 笹原さんを抱きかかえたまま、深夜帰りの社会人の横を通過していく。果たして、こちらを追っている機神がどういった反応をするのか。透明の機神は顔であろう部分を、深夜帰りの社会人へと向ける。


「やっぱり……!」


 彼女は私の腕から飛び出ようと必死だ。今にも襲われそうな彼を助けようとしているのだろうが、そんなことをすればこの少女はその心臓を散らすことになるだろう。


「だから———」


 彼女は学友だ。ほとんど話したことが無いとはいえ、私の同級生で、必然的に顔を合わす機会がある。そんな彼女に、私が人間離れした身体能力を持っていると知られるのは非常にまずい。私が人間でないことを知らせるだけだ。しかし、だけれども。彼女は見ず知らずの人間のことを助けようとしている。彼の日常を、守ろうとしている。ならば。


「———舌を噛むって、言ってるでしょ!」


 私は、見ず知らずの彼を助けよう。


「へっ?」


 笹原さんを空へと放り投げ、全力の飛び蹴り膝蹴りを放つ。私はまだ背中の羽根以外人間の身体と同じで、対する相手は全身機械の機神。私の右脚がバキバキと音を立てて粉砕した。だが、右脚を代償として相手をわずかに吹き飛ばすことはできた。常人には理解できぬ光景を目の当たりにさせられた人たちは驚愕し、恐怖にその画面を歪ませている。しかし、そんな事を気にしている時間はないのだ。天へと放り投げられた笹原さん、あと数秒もあればコンクリートの地面への激突だ。


 残る左脚と両手を使って跳躍し、彼女が落下する彼女を受け止める。


「なんてことをする人、信じられない」


 驚愕の表情を浮かべているように見えるが、至近距離で見つめていなければ分からない程度の変化だ。だがその瞳が私の右脚を捉えると、あからさまに驚愕した表情へと変化した。


「右脚が……⁉」


 心配しているらしい彼女には悪いが、機神となってからの私は痛覚が鈍くなっているのだ。泣き叫ぶほどの痛みじゃあない。


「大丈夫。それよりもアイツ……」


 深夜帰りの社会人は、叫び声をあげて駅の方へと逃げていった。それは構わない、彼を助けるために私は右脚を折ってまでしたのだから。


 そして私が一撃を浴びせた相手は、衝撃を与えられた部分からゆっくりと姿を現していく。その光景に混乱し、狂乱した周囲の人たちが蜘蛛の子を散らすが如く走り去る。


 月光を反射し銀色に輝くその巨体は、人間にとっては正しくバケモノだろう。


「カメレオン……」


 笹原さんが呟いた。大きな目をギョロギョロと動かし舌の出し入れを繰り返している、全長四メートルはあるであろうカメレオン。それこそが、不可視の機神の正体らしい。


「あの巨体をどうにかする手段、ある?」


「いやぁー、ないかなぁー」


 私はまだ機神マキナtype 蜘蛛スパイダーの能力を戦闘に活かせるほど上手くは扱えず、私個人の能力は喰らった相手の性質を吸収するというものだけで、戦闘には直接活かせない。


 それに、できることなら同級生の前で機神としての姿を晒したくないというのもある。凄い無茶をする身体能力がヤバイ人、くらいの認識に止めておきたいのだ。もう手遅れと言われればそうなのだが。


「とりあえず逃げる?」


「逃げれば、また一般人を巻き込む」


 ならば貴女は一般人じゃあないのか、というツッコミを吞み込んだ。

街へ逃げれば彼女の言う通りになり、人のいない方へ行くにはこの機神を飛び越えなければならない。そんなことをすれば、今度こそあの舌に捕まってしまうだろう。


 やはり、機神type 蜘蛛の能力を使って戦うしかないか。私が機神としての姿を晒すしかない。諦めを受け入れようとした瞬間、凄まじい速度で接近する新たな機神の気配。私は、コレが何者かを知っている。


「伏せッ!」


 笹原さんに向かって叫びながら、返答も聞かず彼女を押し倒す。もう少し勢いがあったらくちびる同士が触れるような距離まで顔を近付けた刹那、私の背中を高速で通り過ぎていくモノがあった。


「====!?」


 もはや人間の声では不可能な甲高い音で痛みを訴えるのは、機神type 避役カメレオン。そして、私たちと銀色の巨体の間に立つは、長身の女性の影。


「君たちは逃げて構わないよ。あとは私が時間を稼ごう」


 私がよく知るその声に、無言で頷いた。笹原さんはまだ何かを言おうとしていたけれど、そんなのを気にしている余裕はない。


 背後を振り返ることなく、敵から逃げるように駆けていく。背後では成平さんと機神type 避役カメレオンが、轟音を響かせていた。


◇ ◆ ◇


 ワタシを助けてくれた彼女を、学校で見かけたことはあったのは分かった。けれど名前までは思い出せなかった。半年間同じクラスにいた人の名前は憶えているはずだから、違うクラスの人で間違いないだろう。


「いやぁー、何とか逃げ切ったねぇー」


 右脚を折ったのに痛がる素振そぶりを見せないこの女がいったい何者なのか気になるが、聞いていいものか少し迷う。だが名前がわからないのは不便なので、回りくどいことをせず正直に聞いてしまうのが良いだろう。


「貴方が私の同級生だっていうのは知ってる。名前は思い出せない。教えてほしい」


「まぁ同じクラスになったことなかったしねぇー、名前知らなくても仕方がないか」


 足を砕かれ、ズボンを血で濡らしているとは思えない程の軽口だ。さっさと質問に答えて欲しい。


浅野あさの神樂かぐら、隣のクラスだよ」


 アサノカグラ、音は覚えた。漢字は分からなくても関係ないので、聞く必要はない。


「アサノさん、とりあえずその脚どうにかしないと」


 ワタシが右脚を指して言うと、アサノは困ったような表情を浮かべて肩を竦めた。


「大丈夫だよ、ほっとけば治るって」


 そんなふざけたことを抜かす女だ。馬鹿を言わないでほしい。ズボンをビチャビチャになるほど血を流して痛がる素振りすら見せないのは、通常の人間ではあり得ないのだ。ましてや、ソレが放っておけば治るなどということは断じてない。


「病院に連れて行く」


 ワタシがポケットから携帯電話を取り出して、「119」を押そうとした。しかし素早く伸びてきた手が、ワタシの手から携帯電話を奪い去っていった。


 自惚れではなく、ワタシが反応できない速度で行われた動作に驚愕しつつ、口を開く。


「アサノさん、冗談をやっている場合じゃ———」


「お願い」


 さっきまでとは違う、とても低い声。その声に、背筋が凍るような錯覚を覚えた。ワタシから目を逸らさずに、真っ直ぐ見つめてくるアサノ。ワタシをまっすぐに見つめてくる翠玉の瞳に、溜め息を吐いた。


「……わかった」


「……ありがとう」


 渋々といった具合に了承すると、アサノから先程まで感じられていた圧はなくなっていた。


 場所は深夜の住宅街。他に人はいない。


 帰りはどうするのか、と問えば、歩いて帰るとアサノは答えた。松葉杖の代わりになるものも無い状態で歩いて帰るのはさすがにと思ったので、家まで肩を貸すことにした。


 低身長なワタシの肩が松葉杖の代わりになるのかといわれれば、それは怪しいのだが。

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