第1章 第4話(終)
藍が何か言っている。泣きそうな声で、震える声で、私に向かって愛を叫んでいる。
それが理解できなかったわけじゃない。前から、藍にはそういう
「大丈夫だよ、別に藍がそういう風に私の事を見ていても———」
言い終える前に、私の手首と足首に、鉄線が巻き付いた。
「えっ……?」
闇の中へと引っ張られる。驚愕はしたが、状況は呑み込めていた。つまりは、そういうことなのだろう。
「ごめんね」
エメラルド色に光る、ガラスの様な球体。一泊遅れて、それが目なのだと気が付いた。
私を抱きしめるようにしている腕は金属的な冷たさがあって、人間のものでないのがわかる。
「『神樂に好いてもらえるような人じゃない』って、文字通りの意味だったんだ……」
暗闇に目が慣れて、その姿を捉えられるようになった時、私は不思議と落ち着いていた。
「そうだよ。言ったじゃない、『人じゃない』って」
エメラルド色に輝く八つのガラス球。地に着く四本の脚と私を抱く四本の脚。脚が生えているのは胸部分、頭はどうやら胸と一緒にはなっていないようだ。そして私の足の方あるのは、定石通りなら腹だろうか。
「それ、発声器官あるの……?」
「私もよくわかってないけど、喋れるからあるんじゃない?」
まるで危機感も緊張感もない会話。
「蜘蛛、だよね……?」
「そう、蜘蛛。今の私はもう人じゃなくて、蜘蛛なの」
普通の蜘蛛と違って身体が大きく三つに分かれている、機械の様な見た目の蜘蛛。私を抱いている藍の姿。
藍の口が開き、私の肩へ鎌状の上顎を突き刺した。
「ごめんね、神樂。でも私、神樂に嫌われたとしても、神樂とずっと一緒にいたいの。だから……」
喰らうのだろう、私を。私を喰らえば、藍と私は永遠に一緒になれるのだと信じて。
でも、ダメだ。私はまだ死にたくない。私はまだ、死ぬわけにはいかない。私は、まだ自分のやりたいことをやっていない。
信じられないほどの生への執着、私にこんなモノがあったのかと驚愕しているが、今は気にしている場合じゃあない。死ぬわけにはいかない、ならばまずは藍から逃げなければならない。だが手足は縛られて動かない。肩を捉えられ、体を
ならば、ならば、ならば。何故かは分からないが、近くにいると確信できたから。
「助けてぇ!」
叫んだ。
私を肩から食い千切ろうとする藍の頭を、飛来した瓦礫が吹っ飛ばす。衝撃で藍の脚による拘束が解かれ、私は手足を縛られたまま地面へと放り出された。
「狙った通りに当たったようだね。もしかしたら浅野さんにも当たるんじゃないかと不安だったが、上手くいったようだ」
天井に空いた穴の端に立つ人影。月明かりに照らされた、女性特有のライン。
「君の確信とやら、信じて正解だったようだ」
黒茶色の長髪を
彼女は地上から飛び降り、私の手足を縛っていた鉄線を素手で力任せに捻じり切る。
「さて、君の愛情表現はずいぶんと過激なようだね、
成平さんは近くに落ちていた鉄骨を、鉛筆でも拾うように軽々と持ち上げて、藍に向く。
「ずいぶんと派手に散らかしているじゃないか。対機神部隊の連中がどうなろうと知った事ではないが、あれでは後日異臭が酷くなるよ」
成平さんに迫る鉄線を、鉄骨で全て薙ぎ払う。
「榎園藍、
地下空洞に張った蜘蛛の巣へ飛び移り、藍はエメラルド色の八つの目を成平さんに向ける。
「アナタこそ何なんですか? 機神のくせして人の姿……」
「私はtype
マキナ、機神という単語に眉を顰める。機神という存在を実際に目にしたことはなかったが、藍の機械染みた蜘蛛の姿を見れば納得だ。ということは、成平さんも人間ではないということか。普通の人間は、あんな風に鉄骨を振り回したりはできないだろう。
「アナタみたいな変なのが、神樂に触れないでもらえます……?」
「君に忠告されてからは過度のスキンシップは避けているんだがね」
瓦礫を蹴り上げ、それを藍目掛けて投擲する。藍は八足で駆け回り、成平さんの投げる瓦礫を避け続ける。しかし成平さんの投擲を回避している隙に接近して振るわれた鉄骨を、藍は避けることができなかった。そこからは、一方的な暴力。藍が
こんなの、悪い夢だと思いたかった。こんな非日常、私は要らなかった。
私はただ平凡な日常が欲しいだけなのに、などと思うのは、漫画の読み過ぎだろうか。
これが片付いたら元の日常に戻れる、なんて幻想は、この前とは違ってもう抱けない。失ったモノは、もう帰ってこない。
大好きだった友達。私の大切な親友。彼女が、成平さんに殺されるのを、壊されるのを見ていることしか、私には出来ない。
でも、仕方がない。私は彼女達と違って、無力なのだから。
———本当に?
脳裏に響く無機質な声に、そうだと頷く。だって本当に、私には何もないのだから。
———本当に君は、自分が無力な人間だと思っているの?
あの二人の間に入ったら、ただの人間の私は死んでしまう。
———違う、貴女はただの人間じゃあない
頭に響く声に、私は疑問を抱いた。
———それどころか、貴女はもう人間から逸脱し始めている
その時、自分の身体に、違和感を覚えた。
———貴女も、目の前の彼女たち同様。
背中が、少しむず痒い。まるで、何か内側から突き破ってきそうな感覚がある。
———気付いて、人間の
頭の中に響く声に、一つだけ理解した。
———貴女の持つ
内側から響く声が、私の心に溶けていく。人間の私を掬い取り、金属の私へと注いでいくかのようで。
———そして私は、自分が人間ではなくなったことを自覚した。
着ている服を脱ぎ捨て、私は静かに立ち上がる。下着は付けているから、見られたところで問題ない。
戦っていた二人が、私の方へと目を向ける。もう藍はボロボロで、あと少しあれば完全に破壊されていてもおかしくはなかっただろう。
「成平さん、止めてください。このままじゃ、藍が死んじゃいます……」
ゆっくりと、藍のもとへと歩いて行く。
「神樂……その背中の翼は……!?」
私の背中を突き破って、機械の羽が姿を現す。
「君の目を見た時から、もしかしてという予感はあったんだがね」
驚愕している藍に対し、成平さんは落ち着いていた。どうやらこの人は、私が機神になることを予想していたらしい。きっかけといえば、恐らく瞳の色だろうか。まぁ、私は普段自分の顔なんて見ないから、自分の目がその色かなんてわからないのだが。
「藍、私ね、死にたくないの」
だってここで死んでしまえば、もう日常を繰り返すことはできないのだから。
「でも、私も藍と離れたくない。藍みたいに強い想いじゃないけど、ずっと一緒にいたいとは思う」
だって、初めてできた親友だから。藍の恋心を何となく理解しながら、ずっと一緒にいたのだから。
「だから、藍」
「良いよ、私はそれでも」
そう言った。隣に立つ成平さんは、任せるよ、とでも言うような表情だ。
「「ずっと一緒だよ、藍/神樂」」
そして私は、機械の羽で藍を包み、その
静かな秋の夜、機械の羽を広げた人型と、人の姿をした二人がいる。
「良かったのかい、彼女を喰らって」
成平さんはエメラルド色の目をこちらに向けて、そう問うてきた。
「大丈夫です。藍の
「『その性質を受け継ぐ』というのは、type
「そういう感じだと思います。私が上手く扱えるどうかは、また別ですけど……」
ふむ、と考えるような素振りをして、彼女は私の肩に手を伸ばした。しかし私の意思と無関係に、私の右手が成平さんの手を払う。
「神樂にセクハラしないで」
私の口から発された、私の意思とは異なる言葉。それで私たちは、嗚呼なるほど、と納得する。
今私の中には、藍の人格が綺麗に残っている。何も言わず隣にいて、そこから流れ出る感情を、私が浴びているような感覚。それは私が許しているからでもあるのだが、藍の想いが強いのも理由ではあると思う。
「なるほど、要は2つの機神が共生している状態というわけだ。面白い」
興味深そうに笑う成平さんは、さて、と埃を払う。
「対機神部隊の増援が来る前に、ここから出ようか。私はともかく、今の君では言い逃れができないからね」
彼女の言う対機神部隊というのが何なのか、実際に機神とはどういう存在なのか、聞きたいことは山ほどある。だが、早く帰った方がいいのは確かで。
「では、帰ろうか」
人間とは比べ物にならない脚力で、彼女は地上へと跳躍する。私は成平さんに鉄線を伸ばして、それを引っ張ってもらって地上に上がった。
成平さんが乗って来た自動車に一緒に乗って、私たちは帰路についた。
翌日、何事もなかったかのように、私と藍は学校へ向かった。
「で、結局アパートの人たちはどうなったんですか?」
「たぶん、対機神課に保護されているんじゃないかと思う。榎園さんはその事について知らないんでしょ?」
私の隣を歩いている藍は、藍の姿へと形を変えた成平さんだ。昨日の夜、ボイスチャットで喋り方や仕草を徹底的に仕込んだからか、その再現度は完璧だ。元から他の人に姿を変えることが多いらしかった彼女が榎園藍という人間を再現するのに、そう時間はかからなかった。
「そうなんですよねぇー、だから困ってるんですよぉー」
私は藍が自分の中にいるという感覚が強過ぎるのと、藍の中身が成平さんだという思いが強すぎて、どうにも普段藍に接するようにはできない。
「そこら辺は私の方で追々調べておくね。それよりも神樂、背中の羽根は大丈夫?」
「痛みとかはないし、多少厚着しているのでまぁ……」
私の背中の羽根は、限界まで折りたたんだ上に背中に貼りつけるように仕舞って、ようやく制服に隠すことができた。まぁそれでも、まだ暑かったりするこの時期に上着を着ているのは、どうにも注目を集めそうだけれど。
「無理しないようにね。互いにフォローし合ってどうにかすれば大丈夫だよ」
藍の再限度が高すぎて逆に嫌だな、などと考えながら学校の友達と合流する。
◇ ◆ ◇
これからの私たちにあるのは、常人ならば絶対に触れることの無い非日常で。
けれど、まだ物語の歯車は、動き始めたばかり。
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