第1章 第2話

 成平さんに連れられて来たのは、この人の住んでいるマンションだった。実は高級マンションに住んでいるお金持ちなどという展開は無く、至って普通のところだ。


「ちょうど細道に入っていく君の姿が見えてね。まだ秋になったばかりの夜十時、変質者も出ていると市区町村からの通知もあるし、放っておくのも後味が悪いと思ってね」


「ありがとう、ございます……」


 ソファーに腰かけて俯いている私に、暖かいお茶を出して隣に座った。私を落ち着かせるように頭を撫でてくれている。


「足の出血がひどい、何かを突き刺したような傷跡だ。とりあえず止血する、痛いかもしれないけれど我慢してくれ」


「は、はい」


「痛いときは言ってくれ構わない。まぁ、それで止めるわけではないけれど」


 ズキズキという足の痛みは、少し泣きそうになりはするが、我慢できないわけではない。


「ちょっと、怖くて足が動かなくて……。あの場から逃げなきゃいけなかったので、痛みがあれば動くようになるかなって……」


 思い返してみれば大胆だ。常人であればそんな行動はとらないに違いない。戦国時代の密偵じゃあないのだから。


「思い切った行動だが、結果的に正解だったかもしれないね。そのまま動けずにいれば、先の連中に捕らえられていただろうし、或いは他の要因でもっと酷い事態になっていたかもしれない」


 傷口を包帯で強く縛り、よしできた、と立ち上がる。しばらくの間はこの痛みと友情を育まなければならいに違いないが、仕方がない。


「それで、何があったんだい? 話せることだけで構わないから、教えてほしい」


「聞いても信じられないと思いますけど……」


「そんなことはないさ。私は君がこの状況で、嘘を言うような性質たちには見えない。何だかんだと付き合いがあるんだ、そのくらいのことは理解しているつもりだよ」


 成平さんに促され、自分の身にあったことを思い返しながら、一つ一つ口にする。言葉にすれば日現実感が凄まじく、傍から聞けば漫画の中の出来事だ。私だったら信じない、かもしれない。


「なるほど確かに。口にしたのが、あんな状況の君じゃなかったならば、私は一連の話を信じなかっただろうね」


 お茶をすすって一息。


「といっても、今だって半信半疑だ。何か嫌なものを見て気が動転していたんじゃないか、と疑ってもいる。だがまぁ、8割方は信じるよ」


「信じて、くれるんですね……」


「そりゃあ、君を車に放り投げるときに見たのは確かに血の跡だったからね。足の出血だけではあぁはならない」


 あの一瞬でよく見えたものだ。私だったら、そんな事には気付かないだろう。


 けれど、私の言葉を信じてくれる人がいるというだけで、緊張が一気に解けたように感じられた。


「とりあえず、服は私のモノを貸そう。足の傷を広げるわけにはいかないから、シャワーは控えて濡らしたタオルで汗を拭きとるだけにしておいた方がいい」


 成平さんが自室へと姿を消し、数十秒後に着替えとタオルを抱えてきた。


「君の家へは私の方から連絡しておくよ。まさか本当のことを、そのまま伝えるわけにもいかないだろう?」


 そういえば、色々なことがありすぎて親に電話するのを忘れていた。今の私が上手いこと誤魔化せるとは思っていなかったので、ありがたくお願いしよう。


「来客用の布団は敷いておくよ。私の部屋で一緒に寝るかい?」


 その提案は冗談半分ではあったのだろうけれど、今の私にとってはとても安心できるものだった。


「えっと、じゃあそれで、お願いします。一人だとちょっと怖いので……」


「良いよ、それじゃあ一緒に寝ようか」


 消え入るように吐いた言葉に、成平さんは優しく微笑んで返してくれた。


 ただ一つ、結局確かめることができなかった藍の安否だけが、心配だった。寝る前にチャットだけ送っておこう。



 目が覚めて最初に目に入ったのは、見覚えのない天井と、抜け殻となったベッド。あぁ、と昨日会ったことを思い出した。


「あっ、学校……」


 視界に入った時計の針は9時を指し示している。もうチャイムが鳴っている時間だろう。


「起きたのかい? 君の親と学校には私から連絡しておいたから大丈夫だよ」


 私が起きたことに気付いたのか、リビングから成平さんの声が聞こえてきた。どうやら急ぐ必要はないようだ。


「適当に朝食を作ったよ。普段は料理なんてしないが、レシピ通りに作ったから味に問題はないはずだ」


「あ、ありがとうございます」


 常にコンビニ弁当か外食をしている彼女であったから、人並みとはいえ料理もできるとは思っていなかった。


「そうそう、君が起きる前に言っていた空き地に行ってきたんだけどね」

私がテーブルについたと同時に、否が応でも昨日の光景を思い出す言葉を吐かれた。


「進入禁止だってさ。血痕も靴も、君が落としたと言っていた鍵もどうなったか分からない」


 それでね、と言葉を続ける。


機神きしん絡みだろう、だってさ」


 機神。その名を聞いて、嗚呼なるほど、と納得した。機神なら、あのような異常事態の説明もつくだろうと。


「君も聞いたことはあるだろう。

 15年前にとある施設で研究されていた、機械生命体の総称。現在確認されているモノでは知性を持つ者もいれば、獣の如く暴れまわるだけのモノもいるという」


 小さい頃に、ニュースになっていたのを覚えている。施設で研究されていた5体の人型機神のうち3体が、突如人間に対して敵対行為を働いたといった内容だったはずだ。


 当時の自衛隊が総力を挙げて、それら機神を撃退したらしい。3体の機神のうち1体は破壊を確認され、2体は消息が不明となった。そして敵対しなかった残る2体もまた、戦いに巻き込まれて破壊されたという。


 しかし、問題はそこからだ。その時期を境にして、頻度は高くないが、機神が度々確認されるようになったのだ。10年という歳月で考えれば数は多くないが、その数は50弱だったはず。もしかしたら公表されていない、或いは発見されていないだけでもっと多いのかもしれないが。


「姿かたちは様々だが、人の形をした機神は最初の五体を除いて確認されていない。

 だが見た目と知性の有無は関係なく、獣姿で人語を発せない機神であっても交渉の末に保護管理区で過ごしてもらっていたりもする」


「逆に、説得が通じない機神が、まさしく災害といって過言ではないほどの被害を齎したこともある……。知ってますよ、毎年何回かニュースになりますし、学校でも注意喚起されてますから」


 この世界に生まれた、非日常の象徴。新たな機神がどのようにして生まれるのかは不明、いつ現れるのかも不明、機神の暴走に巻き込まれればただでは済まない。


「つまり、私たち一般人が気にしてどうこうなるような問題ではない、というわけだ」


 肩をすくめ、揶揄からかうような笑顔をつくる。この盛大な前振りは、この言葉で私を落ち着かせるためのモノだったというわけだ。


「そう、ですねぇー。私たちじゃどうしようもないことですもんね」


「そうだよ。だから、今日はゆっくり休みたまえよ。夕方になったら家へ送ってあげるから」


 学校へ休みの電話はしているのだ。私は彼女の言葉に甘えることにした。


◇ ◆ ◇


 今日は酷くさびしい1日だった。神樂が学校にいないというだけで、こうも変わってしまうものなのね、と胸の中で呟いた。


 体調を崩して倒れたと聞いてはいるが、昨日の夜に送られてきた、私の安否を心配する文言が気になってしょうがない。まだ返信はしていないが、実は何かに巻き込まれたんじゃないだろうか。HR(ホームルーム)が終わったら、謝罪と確認の連絡をしておこう。


 しかし、話に聞いていたバイト先の常連の家に泊まっていると聞いているが、大丈夫なのか不安になる。場所さえわかればお見舞いに行くのになどと考えていれば、いつの間にかHRが終わっていた。


 とりあえず神樂に連絡しよう。早く顔を見たい、顔を見て安心したい。私の姿を見せて、何事もなかったのだと安心させたい。私の胸中は、そんな思いでいっぱいだった。


◇ ◆ ◇


 藍からお見舞いに行って良いか、というメールが来たのは、15時過ぎだった。「大丈夫だよ」と返信し、成平さんの自動車に乗り込む。私の家から成平さんのマンションまでは歩いて15分くらいかかるから、送ってくれたのだ。


「また何かあったら言ってくれて構わないよ。働いてはいるが、常にデスクに張り付いているような仕事じゃない。暇を持て余している時間の方が多いくらいだからね」


「色々ありがとうございました」


 お辞儀をして返すと、気を付けるんだよ、と手を振って自動車を発進させた。


 大きなため息をつく。鞄から鍵を取り出してから、そういえば鍵を一本失くしたことを思い出した。


「まぁ、仕方無いよね」


 諦めは肝心だ。成平さんも恐らく回収されているだろうと言っていたし、返ってくることはないだろう。


「神樂!」


 びっくりするほど大きな声が、家のドアに鍵をさした私の背中へとぶつけられた。


「急に学校休んで、本当に心配したんだから……」


 目元に涙を浮かべている藍が、私の肩に手をかけてへたり込む。思い返してみれば、私は今まで一度も学校を休んだことは無かった気がする。


「うん、大丈夫だよ。軽い貧血だっただけだから」


「神樂が体調崩したなんて数年ぶりだったから、本当に驚いたのよ……。神樂のいない学校は寂しかったんだから……」


 次第に小さくなっていく、私がいなくなっただけで泣きそうになっている藍の姿を見て、あぁ日常に戻ってきたんだ、と思った。


「藍こそ、昨日連絡したのに返信なかったじゃない。心配したんだよぉー」


「それは、えっと、本当にごめん。昨日はずっと忙しくて、疲れてそのまま寝ちゃってたから……」


 申し訳なさそうにする彼女の緑色の瞳が、夕日で照らされて輝いている。


「忙しいのもほどほどにね。次は藍が体調悪くしちゃうから」


「うん、気を付けるね」


 私に手を引っ張られて立ち上がり、スカートに付いた土を払って目を合わせる。


「神樂の元気な姿を見られて良かったわ。これでこの後も頑張れるわ」


「ちゃんと返信ちょうだいよねぇー」


 わかってるわよ、と手を振って、藍は来た道を歩いて戻っていく。ただ一つだけ、何がとはハッキリわからなかったが、彼女に対して違和感を覚えた。



 それから1週間、私は何事も無く日々を過ごしていた。


 アレは悪い夢だったんだと、私はそう思うことにした。



 始業式からちょうど1週間が経った日、HRの時間になっても藍の姿が見えなかった。先生も藍の休みについて何も連絡はもらっていないらしく、学校生活初めての無断欠席という事になる。いつになく不安で心が満たされ、1週間前の光景が脳裏をよぎる。もしかして彼女も、超常の何かに巻き込まれているのではないだろうか、と。朝に送ったチャットへの返信は、まだない。何か急用が入って忙しいだけなのだと、そう信じるしかない。



 帰りのHRが終わる頃に、藍か返信があった。「大丈夫、ちょっと風邪引いただけだから。うつすといけないからお見舞いとか考えないでね」とのことで、やはり何もなかったのだと逆に安心した。


「さて、帰って少ししたらバイトですよぉー」


 独り言を放ち、「お大事にね」と返信をして、学校を出た。


 藍が風邪を引いたという日から3日経ったが、藍は学校に来きていない。私も藍がいない生活は、何だかんだいって久しぶりだ。夏休み中は直接会っていなかっただけで、ボイスチャットで声は毎日聞いていたのだ。だがこの3日間、それすらもない。本当にただの風邪なのだろうかという疑問が私の不安を増幅させ、いても立ってもいられなくさせる。


「よし、今日は様子を見に行こうかな」


 魔王に挑む英雄の如き勇気をもって、決意を表明した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る