第76話 心を閉ざした少女 後編
今度は畑に向かって歩を進める。あそこはいつも賑やかなので、今も妖精がいるだろうと思ったのだ。
フランは時折髪を、否、空中にいる何かを払いのけるように手を動かしている。小さな羽虫でもいたのかと思ったが、アリシアの周りには飛んでいなかった。
植物の多い畑に着いたものの、妖精の声は聞こえてこなかった。しかし、二人の男の子が走ってきた。手を伸ばして何かを追いかけている。一方でフランは、畑の中に入って行き、黄色い百合の花をじっと見つめていた。
「初めて見たわ。こんな綺麗な――」
「あ、いたいた。ししょー見てよ。あれ」
ライリーがフランの側にある花を指す。しかし、アリシアの目に映るのは黄色い百合の花だけ。
「何がいたんだい?」
首を傾げているアリシアを見るなり、フランはは慌てて畑から出て、スカートの汚れを払う。ライリーは空を見上げながら肩を落としていた。
「ああ、行っちゃった。蝶々だよ。虹色の」
追いついたアシュリーがライリーの襟を引っ張る。
「兄弟、それ見えない奴だよ。多分」
「え、まじで! 結構普通っぽかったんだけどなあ」
「虹色の蝶か。綺麗だったかい?」
「うん」
アリシアが二人に聞くと、ライリーは元気に、アシュリーは遠慮がちに頷いた。
「何それ。変なの」
突如、冷たい言葉が発せられる。フランだった。
「虹色の羽どころか普通の蝶々もいないじゃない。そんなのが見えるなんて、気でも狂っているんじゃないの」
石膏を塗ったかの様に、固い表情でなお言い放つ。
「えっと、それは……」
アシュリーが狼狽した様子で言葉を探している。その手はカソックの裾を握りしめ、微かに震えていた。動揺している兄弟を見かねたライリーは、少女の前へ進み出る。胸ぐらを掴みそうな勢いで言い返した。
「皆神様からの贈り物を貰ってるんだ。それを悪く言う方がよっぽどおかしいだろうが」
「意味が分からないわ。オクリモノって何よ」
「昔ししょーが言ってたんだ。足が速いのも、歌が上手いのも、頭が良いのも、妖精が見えるのも神様がくれた力なんだって」
「神様がそんなことする訳ないじゃない。やっぱり貴方頭おかしいのよ!」
フランが華奢な体からは信じられない程大きな声で叫ぶ。アリシアは我に返るとライリーが驚いている隙をついて彼の肩をつかみフランから離れさせる。
「ほら、君達は部屋に戻っていなさい」
ライリーはまだ物言いたげにしていてアリシアの手を引きはがそうとする。だいぶ力が強くなってきて、離れそうになってしまう。
「ライリー」
アリシアが語気を強める。状況を察したアシュリーが彼の服を引っ張り。
「もう行こう」
と声をかける。ライリーはようやく歩き出したが、一回後ろを振り返り声を張り上げた。
「お前だって見ていたくせに」
「見てないもん。あたしが見ていたのは百合の花よ。勘違いしないで!」
フランは頬を紅潮させて叫び返した。アリシアは、必死な様子の少女を見ながら、妖精や魔物が見えているのかどうか、ということを調べて何になるのだろうか、と思い直していた。
「そろそろ馬車に戻ろうか」
二人の男の子の姿が見えなくなると、少女に対して声をかけ、先ほどとは打って変わって青白い顔をしているフランに手を差し伸べる。
「君は強い子だから、私では余り助けになれないかもしれないね。でも、どうしても
困ったことがあったらまたおいで、そうやって私達もここへ来たのだから」
「ありがとう」
笑顔を作って答えたフランは、スカートをはためかせ颯爽と歩き出す。差し出された手を取ることはなかった。少女は、入り口で待っていた馬車に乗る。少し離れた礼拝堂の裏口付近で祭司達が立ち話をしていた。アリシア達が戻ってくるのを待っていたのだろう。
「お待たせしました。ただいま戻りまして、娘さんには馬車の中で待機してもらっています」
「おお、いかがでしたかな?」
父親が不安げに尋ねる。
「確かに、この世のものでない何かが見えていると思います。ですが、必死に見えないふりをしているみたいです。周囲の期待に応えるために」
フランの父親は、おそらく有力者の元に彼女を嫁がせたいと思っている。その娘が
「見える人」ではいけないことを分かっている。
フランに食ってかかったライリーの姿を思い出す。アリシアの伝えたかったことは、殆ど彼が代弁してくれた。彼女が見えている人だと分かった時は、同じ人がいるんだということを知って欲しかった。
でも、フランは拒絶した。彼らと「同じ」ではいけないことを。市参議会に属する大商人の一人娘は「見えない人」の世界で生きていかなければならないことを良く心得ていたのだ。
「左様でしたか……とにかく、今日はありがとうございました。わたくしなりに彼女
と話をしてみようと思います」
目を伏せて話す父親は、まだどう娘と向き合って行けば良いのか悩んでいる様だった。
馬車に乗った父親と祭司が話をしている間、アリシアは、彼女を真の意味で理解し、支えてあげられる人が現れることを心の中で祈っていた。
アリシアが部屋へと戻っていく途中、食堂の前を通りかかった。ライリーとアシュリーが入り口から顔を出して様子を伺っている。
「アリシアさん」
「どうしたんだい?」
「やっぱり、私達のことを変だと思っていますか?」
消え入りそうな声で尋ねるアシュリーは食堂の壁にもたれかかっており、その隣で
はうずくまって腕の中に顔を埋めているライリーがいた。
理解を得られなかった経験は何度もあるはずだ。それでも、面と向かって変だと言われるのはかなり堪えたのだろう。強気に言い返していても、どれだけ言われ慣れていたとしても、心は深手を負っている。アシュリーをその場で座らせ、アリシアは二人を抱き寄せた。
「あれはね、君達に言った言葉じゃないんだよ。自分に言い聞かせていたのさ。ずっと周りから言われ続けてきたことをね」
「じゃあ、俺たちは変じゃない? あの子も」
ライリーが顔を上げる。彼の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「そうだね。でも、変だと言う人は沢山いるよ。確かにあの子みたいに隠し通すことを選ぶ道だってある。君達が見えないと装うことに決めたって構わない。けど、自分を呪い続けるようなことを、私は、君達にして欲しくない。あの子にだってして欲しくなかったよ。だって、ずっとそんなことをし続けるなんて、救いがないじゃないか……」
いつの間にかアリシアの頬に涙が伝っている。二人の男の子はアリシアの背中をずっとさすっていた。
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