第70話 奇妙な包み その1
家畜の毛刈りが盛んに行われ、街も活気を取り戻しつつあった。ブラッドリーの外れにある礼拝所では、四十歳を越えた男が壇上で説教をしている。
男はアルバ(白い上着)とカズラ(マント)を身につけ、淡紅色のストラ(帯)を首から提げていた。
「近頃、交差している道の真ん中で、一切れのパンや果物を捧げて祈りをあげている人がいるね。ある日、お祈りしている人に聞いてみたのだよ。なぜ、そんな道の真ん中でお祈りをするのですか、危なくないのかね、と。そうしたら何と答えたと思うかい?
貴方たちはいつも神に祈れというが、願いを叶えて貰えた試しがないとおっしゃった。さて、確かに、祈ったところで簡単に願いは叶わないね。もしお祈りで願いが叶うのなら、今頃ここはもっと立派な建物になっていて、雨漏りもしないはずだからね」
礼拝堂に微かな笑い声が漏れる。広い部屋の中には、人がまばらに座っており、ある者は真摯に耳を傾け、ある者は隣と小声で会話を続け、またある者は船を漕いでいる。
「何が言いたいかというと、我々が祈るのは単に願いを叶えて貰うためではない。自分が今日一日、人として正しいことができていたか振り返るためにするのだよ。
もう一つお話をしよう。あるとても信心深い男がいた。彼の奥さんが病に倒れてしまい、看病に忙しかったが、毎日お祈りを欠かさなかった。親戚にはもう治らないだろうと言われていたが、なんと、一年で奥さんはまた畑仕事ができるようになった。
どうして奥さんの病気が治ったのか。多くの人は、多分ご主人が毎日お祈りしていたからだ、と言うだろう。だが、ご主人は毎日看病をしていたし、病気を治してくれる多くの治療師を探し回っていた。薬を買うために身を粉にして働いて、自分でも薬を作ろうとしていたそうだ。神様は、そんな彼の努力している姿をご覧になったから助けて下さったのだと私は思う。
つまり、神様にお祈りするのも大事だけれど、自分の行いを振り返ってみよう、というお話だね。今日はここまで。最後まで聞いてくれてありがとう」
パチパチと小さな拍手が起こる中、男は段を降りる。壁に手をついて、大きく息を吐き、額に浮かぶ汗を拭った。ビルが彼に近づいて背中を叩く。
「ベン、じゃなかった、お父様だっけか」
「別にそのままで構わないよ。変な感じがするからね」
「どうだ、祭司になって初めての説教は」
「やっていることはいつもと変わらないのに、なんだか緊張しちゃってね。自分でも何を話しているのか分からなくなりそうだったよ」
「大丈夫だって、半分くらい聞いてねえから。いつもよりなんつーか、威厳があったぜ。格好が違うからな」
「それは、馬鹿にされていると受け取って良いのかね?」
「ねぎらっているんだよ。ほら、挨拶行ってこい」
祭司となったベンは再び壇上に上がる。こうしてその日のグリフは終わりを迎えた。
礼拝堂を出た人々にパンを配り終わり机を運びだそうとすると、アリシアが手伝いにやってきた。
「ベン、お疲れ様。今日も面白いお話だったよ」
「アリシア君。今日も手伝ってくれてありがとう」
「別に、当然のことじゃないか。それにしても、君がアトル信者に言及するなんて珍しいね」
この国では、ノーヴァム教が国教として浸透している裏側で、密かに信仰されている邪教がいくつも存在する。辻の精霊アトルもその一つ。旅人の守護や出産を司り、三叉路や四つ辻に簡単な祭壇を建てるのが特徴だ。この辺りの祓魔師の間では割と有名な邪教である。
邪教を嫌い、度重なる弾圧を行った祭司もいるという噂がちょくちょく聞かれる中、ブラッドリーはこれまで強い規制はしてこなかった。歴史的にエルフやウィア族といった異種族、異教の民が定期的に流入していたこと、商人の権限が強まって大祭司の力が弱まっていることが理由だと思われている。
東礼拝所では、特に街の混乱や所属する聖職者達の性格も相まって実質黙認状態であった。家族に布教されて困っているとか、アトルの儀式をしてみたら逆に酷い目にあったという相談に応じる程度である。
「大礼拝所の方から釘を刺しておくよう頼まれてね。大きい道路にある祭壇や捧げ物を馬車が踏んでしまって、馬が暴れたり、信者の方と揉めたりする事件が起こってい
るらしいのだよ」
「はあ、そりゃ大変だ。たまーに道のど真ん中に木の棒が刺さっている時あるもんなあ。せめて邪魔にならない所でやってほしいね」
「ははは。そうだね。こればかりは難しい」
後片付けを終え、それぞれの仕事へと向かっていく。今日はお祓いの依頼者がいなかったので、ライリーの稽古をしようと思い立つ。彼を探して歩き回っていたら、門の側でリンゴを食べていた。
「そのリンゴ、もらったのかい?」
アリシアに気がついて彼が振り返る。
「向こうの道で拾った」
彼は門の外を指さした。家々の隙間から僅かに除いている細い道を指しているように感じられた。
彼は、未だ路上生活をしていた頃の癖が抜けておらず、時々草木や落ちているものを拾って食べていた。見つける度に注意していたが、なかなか辞めさせるのには至らなかった。
「拾い食いはだめじゃないか。何が入っているか分からないし、はしたないから辞めなさい」
「はあーい」
持っていた分を全て口の中に詰め込みながら生返事をする。
「ほら、今なら練習できるけどどうする?」
「やる!」
「じゃあ準備しておいで、今日は祓い部屋空いてるから」
「おう」
ライリーが道具を取りに行っている間、アリシアは彼がリンゴを拾ったという道路を見に行った。果物は、この辺りでは割と高級品だ。近くにリンゴの木が植えてあってそれが落ちたというなら分かるが、通行人が落としたとは考えにくい。アトルの話をしていたせいか、彼女は神経質になっていた。
悲しいことに、彼女の予想は当たっていた。細い道路の曲がり角。先が二つに分かれ、赤く塗られた枝が刺さっている。その付近にはライリーが食べていたものと同じ小さなリンゴが転がっていた。
リンゴに触れてみると、指先が沈み込み、ひっくり返すと黒いシミができていた。もう一つも少し腐りかかっていた。おそらくこの中で一番まともなのを選んで拾ってきたみたいだ。彼女は頭を抱えた。
「あいつ、面倒なのに手を出しやがって」
ライリーは、アトルに捧げられた供物を食べてしまったのである。
アトルの存在を信じているかどうかは別として、聖職者である以上、別の果物をもって来て埋め合わせをするような真似はできない。何事も起こりませんように、と神に祈るのも違う。これではアトルの信者と同じになってしまう。
何事も無かったかのように振る舞うしかない。目撃者がいなかっただけ幸いだった。彼女は大きなため息をつきながら立ち上がり、回れ右して、お祓いの練習をしに向かった。
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