第69話 初めてのお祓い その2
「足は前から悪くしていたんだけど、手は何とも無かったんだがね。それが、この前急に震えて動かなくなっちまって。医者に診せるにもお金がないし、近所にちょっと詳しい人がいるから診てもらったんだよ。けど何ともないって。血の巡りも良いんだとさ」
「それでここに来たんですね」
「そう。あと可愛いお嬢さんが診てくれるって言うもんだから。いやあ、期待通りだ」
「あ、それはどうも……」
アリシアの顔は引きつっているが、老人はなお話し続ける。
「悪魔だって、もう天国に行くばっかのじいさんに取り憑いたって仕方ないと思わんかね。手が動かないとパン一つ食べられやしない。ますます天国が近づいちまうよ」
「それは大変ですね。その、手が動かなくなってしまった時、何か変わったことはありませんでしたか? 例えば、体調を崩されていたとか。誰かと揉めたとか」
「いつも元気がないからね。変わったことは無いね」
その時、ライリーがカップを両手に持って入ってきた。こぼれないようそっと歩きながら机に置くと、大きく息を吐いた。
「良くできたな。ボウズ」
老人がねぎらいの言葉をかける。ライリーは何故か嬉しそうな顔をすることなく、じっと動かぬ左手を見つめていた。
「あ、杖お持ちしましょうか」
左手は現在動かせず、右手には杖を持っている。これではカップを持つことができない。アリシアは杖を受け取った。何年も使っているようで、所々木の繊維が見えている。
老人は震える手でどうにか水を口に含んだ。
「じいさん。ちょっと待ってろ」
震える左手を目で追っていたライリーが急に部屋を出て行く。
「ちょっと、どこ行くんだい」
老人が折角ここにいても良いと言ってくれたにも関わらず、勝手に部屋の外に出られては意味がない。部屋を出ないと約束させるべきだった、とアリシアは心の中で反省会を開いていた。
「何の話をしていたんだったかね」
老人の声を聞いて自分の仕事を思い出した彼女は、杖を返し、椅子に座る。確か、最近変わったことが無かったか尋ねて、体調に問題はない、という所までだった。
「そうでした。最近、喧嘩とか、言い合いとかありませんでしたか?」
「喧嘩? そんなのもなかった。揉めるような家族も皆家を出ちまったし、隣近所のおかげで生きているようなもんだから。わざわざ揉め事起こす気にもならんよ。昔は譲れないことも沢山あったけどね。この位の年になると丸くなるんだなあ」
「ありがとうございます。不思議ですね。体が弱っている時や、誰かの恨みを買ってしまったという事例が多いのですけれど。あとは、そうだなあ。お墓とか、廃墟とか、悪い噂のある所を通りませんでしたか?」
「どうだかねえ。やったことすぐ忘れちまうもんだから。さて、ばあさんの墓へ行ったのはいつだったかな」
「お墓に行かれたんですか。そこで何かあったのかもしれません。一回、手を見せてもらってもいいですか」
老人の隣に行って、しわくちゃの手を取る。青い筋が浮かんだ手は、確かに硬くなっており、無理に指を動かそうとすると、老人から呻き声が漏れた。
急に手だけ動かなくなったという話から、何か見えないモノが関わっている可能性は高そうだ。しかし、耳を澄ましても声が聞こえないし、老人は正気を保っている。原因が分からない以上、対策が打てない。とりあえず、聖水をかけて暫く様子を見てもらおうか……。と考えていた時だった。
「ただいまー」
ライリーが勢いよく入ってくる。手にはどこで見つけたのか白樺の枝が握られていた。そして、よりにもよってその枝で老人の手をつつき始めたのである。
「こら、ライリー辞めなさい。叩いちゃ駄目」
かえれ、かえれ、と呟きながらべしべしと手を打ちつけるライリーを咄嗟に引きはがし、枝を取り上げた。
「すみません。すぐ冷やしますね。痛みはありませんか?」
「ああ、大丈夫だよ。男の子は悪戯するくらい元気じゃなきゃな」
「本当にすみません。あとできつく言っておきますから」
彼女は慌てて食堂に向かい、タオルを水で冷やし、持って行く。
彼をここで育てていくと自分で決めたことのはずだった。しかし、彼女は面倒を見るのに段々疲れを感じるようになっていた。どれだけ母親らしくあろうとしても、本当の母親にはなれない。
所詮他人という逃げ道があるせいで、覚悟を決めきれないのだ。ライリーはどこかでそれを見抜いているから、勝手な行動をするのだろうか。アリシアはどういう存在であるべきなのか。かき分けても、かき分けても開けない茨の道を進んでいるかのような気持ちでいた。
祓い部屋に戻り、老人の手にタオルを当てる。
「本当にごめんなさい。ただでさえ動かせずにいるのに」
「いやね、お嬢さん。ボウズはよくやってくれた」
アリシアは顔を上げる。老人は口元のしわをいっそう増やしてボロボロの歯を見せた。
「なんか知らんが動くようになったんだよ。ほら、見てくれ」
タオルの下から手を出し、手を握っては開く。震えはすっかり治まっていて、触れてみると、温かく、柔らかかった。
「いやあ、良かった良かった。お嬢さんがもって来てくれるのを待っている間、急に動くようになってな。いやいやボウズは将来有望だ。立派な祓い屋になれるぞ」
老人が動くようになった左手で、ライリーの髪をくしゃくしゃと撫でる。彼は顔を真っ赤にしながらはにかんだ。
「この調子で足も治してくれんかね」
「うーん。むり」
うわずった声で答える。
「怪我を治すのは難しいかね」
「それはちょっと、すみません」
「そりゃ残念。お嬢さんもありがとうね」
「良かったです。ではこれで、お祓いは終わりということで」
ゆっくり老人を立たせ、門まで送って行く。上機嫌な老人は、来たときより足取りが軽やかだった。
「ここまでで大丈夫だ。すぐそばだからね」
「気をつけてお帰り下さい」
「はいよ。お嬢さん、そういやお祓い頼みたいってぼやいてた知り合いがいるから紹介しにくるよ。ボウズも大きくなるんだぞ。次わしが来るときは立派な祓い屋だな」
「おう」
老人が出した手のひらを、ライリーが軽く叩く。コツコツと左手で杖をつきながら老人は人混みへと紛れていった。
アリシアは、ライリーから取り上げた白樺の枝を見つめる。無意識の内にずっと持っていたらしい。
彼女は使っていないが、白樺には魔除けの力があると聞いた。実際祓いの儀式で、枝を使うことはある。老人に憑いているモノが見えた彼は、アリシアの真似事をしてみたかっただけかもしれない。
(子どもからしてみれば、楽しそうに見えるのかなあ)
トゥニカの裾が引っ張られる。
「なあ、俺、はらいやになりたい。なれるかな?」
「うん。大きくなったらなれるよ。だって、さっきも見えていたんだろ。おじいちゃんの手にいたのが」
「うん」
「それに、沢山覚えなきゃいけないことがあるけど、大丈夫か?」
「大丈夫。じいさんと約束したもん。なあ、教えてくれよ」
「分かった。良いよ」
心配の種は尽きないが、素質は十分にある。これから努力すれば、きっと腕の良い祓魔師になれるだろう。
「やったあ。じゃあ、ママ、あ。ママは駄目だったんだ。じゃあ、ししょーだな」
(師匠、か。一体どこでそんな言葉を覚えたんだ?)
彼女の知らない所で、彼はどんどん成長していく。きっと子どもは、そういうものなのだ。
「師匠か、良いね。今日はたまたま上手くいったけど、いきなり枝で叩くのは駄目だ。怪我する人や、怒こる人がいるからな。それに危ない魔物も沢山いる。分かった?」
「おう!」
子ども達の呼ぶ声がする。近所の子が遊びに来たみたいだ。
「ししょー。遊んでくる!」
「行ってらっしゃい」
彼は一目散にかけだして、子ども達の輪に入っていく。何の遊びをするのか、枝で地面に模様を描き始めている。
師匠と弟子。これくらいの距離感の方が自分達に合っていると、子ども達の様子を眺めながらアリシアは思ったのだった。
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