第53話 お昼ご飯中に起きた小さな事件

 壁に並んだ絵を眺めながら歩くと、真ん中に丸いテーブルが置かれた、応接間に通された。小さな窓が壁に取り付けてある他は、棚だけが置かれている簡素な部屋。


 クッションのついた椅子にこわごわと座るベラ。藁のこすれる音が耳をくすぐる。

ダリルが向き合うようにして座る。


 まもなく先ほど出会った使用人が中に入ってきて、二人の前にジャムの入ったミルクと、干した果物を置く。ベラは、物珍しそうに色のついたミルクを眺め、口をつけてみた。甘酸っぱくて、爽やかな香り。柑橘類だ。気分も良くなって、口も軽くなる。


「ねえ、ダリルさんはここで働いているの?」


「勿論。今ちょっと抜け出しちゃったけど、いつもは店番したり、広場へ売りに行ったりしているんだ。親の店だからね、ゆくゆくは継いでいかないと」


「若いのに凄いわね」


「まだまだですよ。ベラさんは、魔法学校に通っているんですよね。魔術師目指すんですか?」


「まあ、そのつもりよ、全然勉強できないんだけどね。受かるかしら? 難しいらしいのよ」


「ベラさんなら大丈夫ですよ」


「あら、何も知らないからそんなこと言えるのよ」


「これから知っていけば良いと思いませんか。それでも、ベラさんならきっと合格できますよ」


 その時、鐘の音がはっきりと聞こえてきた。ベラの家では、遠くから微かに聞こえる程度。この店が中心地から近いところにあるということを改めて実感する。


「そろそろお昼ですね。実は、まだ自分ご飯を食べていないんです」


「そういえば、私もまだですわ。お昼までに戻る予定でしたから」


「それは申し訳ない。では、一緒にどうですか?」


「でも、急に用意するなんて、できないでしょう」


「大丈夫ですよ」


 ダリルは使用人を呼び、昼ご飯を持ってくるよう言いつけた。使用人は恭しく頭を下げ、台所に戻っていく。


 しばらくすると、プレートにパンとスープ、干し肉の乗った皿を持った使用人が入ってきた。


 コショウの香りが漂う。パンも、彼女がいつも食べているものより白くて柔らかそうだ。店は小さいものの、かなり良い暮らしをしていることが窺える。


 ベラがパンに口をつけようとした時。バンッという大きな物音とともに、一人の老婆が中に入ってきた。先ほどの使用人と似たような格好をしている。彼女も使用人だろうかとベラは思った。老婆はずかずかとベラの元へ来て、唾を飛ばしながら言い放つ。


「何で貴方が食べているの、それはお坊ちゃまの分です」


 ベラの前にある皿を掴み、取り上げてしまった。


「こら、彼女はお客様だ。それは彼女の分だ」


 ダリルが立ち上がり、老婆を叱りつけるが、彼女は耳を貸さない。慌てて使用人がやってきて、彼女を止めにかかる。


「お辞めになって下さい。お母さん、ほら、お母さん辞めてって」


「お坊ちゃまにご飯を用意しないと、ああ、可愛そうなアシュリー坊ちゃま、ああ、

こんなこと言ってはいけないのよ、いけないね、いけないねえ、もう年だからね」


 と呟くだけ。彼らの声などどこ吹く風。そのまま使用人を押しのけ、入り口の向こうへと消えてしまった。三人は老婆が消えていった方をじっと見つめる。あまりのことに全員固まってしまったのだ。いち早く我に返った使用人は頭を低く下げる。


「申し訳ございません。私の母が」


「全く、どうにかしてくれよ。仕方ないとはいえ、お客様に迷惑をかけるのは流石にね」


「本当に申し訳ありません」


「あの、さっきあの人、アシュリーって」


 一方、我に返ったベラは老婆の口から愛する人と同じ名前を聞き、興奮していた。


「困ったことです。ご主人様達のみでなく、娘の私すら分からなくなってしまって。それなのに、時々こうして上がり込んで来ては、食べ物や、着る物を持ち出してしまうのです」


「こういうのも何だけど、きっと、もう、他所で働いていた時と記憶が混ざっているんだろうね」


「……なんだか……悲しいわね」


「いえ、もう、良いんです。ただ、ご主人様達や、お客様に迷惑さえ掛けなければ良いのですが、こんな有様で……」


 使用人には、苦悶の表情が浮かんでいる。彼女をなんとか助けてあげられないだろうか。ベラの頭に、礼拝所の様子が思い浮かぶ。


「あの、もしかして、悪魔にとりつかれているんじゃないかしら? 良い祓い人を知っているのよ。大礼拝所じゃなくて、門を出たところの礼拝所にいるのだけれど」


「やめて下さいな、縁起でもないわ」


 言い終わらないうちに声を荒げる。使用人が嫌悪感を露わにしていた。ベラが驚いて口をつぐむと、彼女は自らの仕事を思い出し、無理矢理口角を上げる。


「失礼しました。食事をお持ちしますね」


そそくさと奥へ戻る使用人。重たい空気が二人の間に流れ込む。


「家の者がすみません」


「大丈夫よ、気にしないで」


 謝る彼に向かって首を振るベラ。椅子に座り直し、互いに何も言わないまま待つ。ベラは、先ほどの老婆が気になって気になって仕方なかった。


「ねえ、あのお婆さんはどんな人なの」


 と尋ねてみる。ダリルは肩をすくめて淡々と答えた。


「昔はここで家政婦をしていたんだ。まだ自分が小さい頃の話だよ。世代交代したは良いんだけど、年のせいかな。食べ物を変なところに置いていったり、知らない間にどこかへ行ったりして、彼女も気の毒に」


「どうして、そんなことをしてしまうのかしら?」


「さあ、もう物事が分からなくなっているんじゃないかな。父さんが幼い頃からいたって聞いたことあるしね」


 使用人が、温かいスープを持ってきた。ベラはミルクの白いスープに映った影をぼんやり見つめる。

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