第47話 エルフの森と泉の悪魔 最終話
不思議なことに、暫くすると、手は1本もなくなり、足元から水が引いていった。キャロルの思いは、乙女達に伝わったみたいだ。
魔物は歌っている間、身じろぎ一つせず、半開きのまま、キャロルを見つめている。聞き入っているのか、吟味しているのか。
キャロルは10曲程、歌い終えると、大きく息を吐いた。
「今日は、ここまでです。如何でしたか?」
彼女がまっすぐ、おぞましい魔物を見据える。
リムナスは、腹を膨らませたり、へこませたりしながら、ゴロゴロと大きな音を立てていた。土と足がくっついてしまう感覚を覚え始めた頃、ようやく言葉が聞こえて来た。
「悪くない、むしろ良い歌声だった。これまでボクが聞いた中でもかなり上手な方だと思うな」
彼女の顔が、みるみる内に明るくなってゆく。僕も、体中から力が抜けていくのを感じた。
「けどさ、なんか違うんだよね。歌に集中できないんだ。なんでかな。うーん、うーん、ヴーーン、そうだ、昼間に聞こえた、あの、へんてこで、調子外れの、酷い歌。あれがね、重なって流れてしまうんだよ。だから、折角の歌声なのに、あんまり耳に入ってこなくって。いやあ、あれは酷かった。いらいらして、まとめて飲み込んでやろうかと思っていたんだ。けど、今はあれが聞きたい。なんか、聞いている内に癖になってきちゃった。ねえ、あれ歌った人を連れて来てよ。もうあれじゃなきゃダメなんだ」
え? え? ナニソレ。
魂の抜けたような表情で僕を見つめるキャロル。
僕? 僕ですか。自分に人差し指を向ける。死んだ目をしながら頷き、どうぞ、と手で促す歌姫様。
「あれ、君だったの。じゃあ、歌ってよ」
あれから、僕は訳が分からないまま、なんとなく歌った。周囲の視線が刺さっている。クスクスと意地悪な笑い声が嫌でも耳に入ってくる。目の前にいる魔物が、なんか楽しそうにしている。穴があったら入りたい。
「これで良いんですか」
どうにか1曲歌い終えると、どっと汗が噴き出してきた。羞恥心と、疲れと、混乱でおかしくなっている。
「もっと歌って」
「もう無理です」
「歌ってよ」
「あの、結局約束はどうなったのかしら……」
「うーん。まあ、約束守ってくれたし、まあまあ上手だったし、酷い歌、聞けたから良いや。ほら、君はもう1回歌ってよ」
仕方なく、あと3曲位歌った。水を吸った服が重く、冷たくて、体がいっそう重く感じられる。息が苦しかった。
「もう喉が、限界です。これ以上は、はあ、はあ」
「えー。つまんないの。じゃあ、また歌いに来てね。できるだけ早く。約束だよ。さもないと、どうしようかな、今度は、毒で水を飲めなくしてやろうかな、うーん、でもやっぱり結婚がいいなあ。可愛い子と結婚する。そこにいる娘を、今度こそ、水底に沈めてやる」
「分かりました。行きます、また来ますから」
***
気が付けば、ツリーハウスの所に戻っていた。日はすっかり沈んでいた。
僕達は今、焚火を囲んで夕飯にしている。そして、再び危機が訪れようとしていた。
「お詫びの印だ、な」
ハルディアが、ローフェルを横目に言うと、うずくまった女エルフは目を伏せた。一応、肯定している様子。
老エルフが語ってくれたことによると、彼女は水辺に異変がないか確かめる「守護者」と呼ばれる仕事をしていて、泉の魔物を友達のように思っていた。
近年、生贄になる乙女が来ないという魔物の嘆きを聞き、慰めるため、森をうろついていた盗賊に対し、高値で売れるクレナ石と引き換えに、求道所には若い女が数多くいることを教えてもらい、途中まで協力させていたのだそう。
友達思いではあるのだろうが、我々にとっては困った話である。
お詫びの品とやらが、僕達の目の前に置かれた枯葉の上に、こんもりと盛られていた。そう、白い虫の幼虫、焼いた芋虫が。
これはちょっと、火は通っているけれども、無理。申し訳ないけど、こればかりは食べられない。
「あ、ありがとうね」
と言っているアシュリーは未だかつてないほど顔が引きつっている。キャロルは、顔面真っ青だ。僕も、きっと同じような顔をしている。
女エルフが、不機嫌そうにこちらを睨みつけている。
「やっぱり、人間は嫌いだ」
と呟いた。女エルフの本心を伺い知ることはできないけれど、彼女の根底に流れている人間への不信感と、嫌悪が、この騒動を招いているような気がした。
折角取って来てくれたものを拒否したら、人間嫌いが加速する。食べなければと思っているが、焼き色に紛れている黒い斑点を見た瞬間、体が全力で拒否した。で
も、芋虫は、芋虫は無理だ。
「いらないなら俺がもらうぞー」
ライリーが、ひょいっと、僕の前にあった芋虫の山から1匹取っていく。口の中に躊躇なく入れて、咀嚼する。
「ライリーさん、そ、それ食べられるのですか!」
キャロルが驚いている。
「そりゃ、小さい頃は虫も色々食ったぞ。大体不味いんだけど、偶にいけるな、ってのがあるんだ。これは結構旨い方」
「キャロルちゃんの前でどうかと思うけどさ、兄弟って、偶に変なもの食べているよね。今でも。花とか、草とか」
「そんなことねえし」
彼の身に何があったのかは詳しく、聞かされていないが、幼い頃よほど苦労してきたのだろう。
女エルフがライリーを見つめる。狐が彼女の頭の上に載って、体を擦り合わせている。
「美味しい?」
「美味しい」
「それ、あたし好き」
「俺も」
ローフェルの表情が少しだけ柔らかくなった。
***
グリフの支度で慌ただしい、いつもの朝。机を運んでいると、ビルの怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前、そこのエルフ、いつの間に入って来たんだ」
「宿に泊まろうとしたら、断られた。この木は案外、寝心地が良い」
「降りろ、いるなら手伝え」
「知らん」
「ハルディアさん。お久しぶりです。お元気でしたか」
「まあな」
エルフのハルディアが、泊まりに来ていたみたいだ。今日は求道所から聖歌隊が来ることになっているから、今度こそ、キャロルの歌声が聞けるのではないだろうか。
ハルディアの傍で、狐が歩いている。どこかで見覚えのある、艶のある毛並み。
「あれ、その狐、もしかして」
「ああ、こいつが人間の街に行きたいと言い出したから、連れて来た。帰ったらルォーフェルの奴に語って聞かせてやるそうだ」
人間嫌いの女エルフ。彼女と分かり会える日もいつかくるだろうか。
「そうだ、ハルディアさん、ずっと前、畑のことで議論したこと覚えていますか? あの後教典を読み返したら、聖パルメの手紙、第一章に、種を植えよ、その草を、その実を与えよう、という言葉があったんです。つまり、畑仕事は、神から許可を頂いているのです」
逆に言えば、神から許しを得て、初めて種を植え、育て、食べる事ができるということでもある。畑を嫌うエルフ達。彼らは、神から許しを得られなかったのか、それとも、神により近いと伝説で謳われる程に、美しく、気高い種族は、許しを得てもなお、神のお創りになった世界を変えぬよう生きているのだろうか。
「そんなこともあったな。おお、そうだ、こちらも話があったのだ。満月の日、種族問わず歌が下手な者を集め、泉の主に捧げることとなった。その日、自由に水を汲めるという方向で、人間の長とも話しが進んでいるらしい」
歌が下手な人を集めるお祭り。確かにあの魔物は喜ぶかもしれないが、参加する人なんているのだろうか。苦手な人というのは、基本、人前で披露したくないものだろうに。無理矢理連れ出すということか? 鳥肌が立ってきた。
聖女達の賑やかな声が聞こえる。聖歌隊が到着したみたいだ。人だかりの中にいたキャロルが、僕達を見つけ、一目散に走ってくる。
「ハルディアさん! いらしていたんですね。また会えて嬉しいですわ」
ハルディアが木から降りて、微笑みを浮かべる。
「今日は、歌うのか」
「ええ」
「楽しみにしている」
「頑張ります。ところで、どんな話をしていらしたの?」
「泉のことですよ。月に一度、その、歌が、あまり得意でない方々が集まって歌うんだそうです」
「ああ、貴公は満月の日、予定を空けておくように。迎えに来る。泉の主が待ちわびているそうだ」
「嫌ですよ。絶対行きません」
「この前、来ると約束しただろう」
「ええ、まあ、はい。言いました。けど……」
「良いじゃないですか。きっと喜んで下さいますよ。ある意味面白そうですし」
「これ以上、恥を重ねる訳にはいかないんです。こうなったら、満月の日までに上手くなるしかありません。キャロルさん、お忙しい所、申し訳ないのですが、近いうちに歌唱指導していただけないでしょうか」
「あら、マルクさんはそのままで良いんですよ。私、あの時、思い知らされたんです。歌は、相手の心を揺さぶってこそ。真のライバルは身近なところにいたって。マルクさん、貴方は、私の恩人であり、ライバルなんです。教えるなんてとんでもない、一緒に高めあっていきましょう!」
「キャロルさん……。冗談はよして下さいよ」
冗談というか、皮肉にしか聞こえない。その割には曇りのない瞳をキラキラさせながら話している。
キャロルさんは無事だったし、生贄を捧げる風習も無くなった。僕の恥など、小さな犠牲だけれど、月に1度歌わされるということが気になって、儀式中、全く声が出なかった。
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このエピソードは以上で終わりです。いかがだったでしょうか? ここまでお付き合い下さりありがとうございます。
申し訳ないのですが、今のところ、こちらのシリーズはしばらくお休みにして、番外編を別シリーズとして書いていこうかな、と考えております。
舞台も大体同じで、共通するキャラクターも沢山出てくると思うので、良かったらお立ち寄りください。このシリーズとの違いは、主人公のマルク視点ではないという所です。(ネタ切れになっちゃったから過去編書こうとしたとか、口が裂けても言えない……)
少しでも面白いと思って下さった方は、レビュー、フォロー、応援コメント下さると、とても嬉しいです!
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