第16話 聖女と歌姫 その4
明くる日、昼のお祈りを終え、僕とライリーは鐘の傍に腰掛けていた。ちょっとしたおやつと、時間潰しの聖書を持って。
朝、祭司様にパレードを見ても良いかと聞いたところ、夕方のお祈りまでなら見ていても良いと言ってくださった。ついでに、守門のビルも見たいと言ったので、3人で鐘楼に集まることとなった。
昨日ライリーが少し話していたような気がするが、礼拝所に戻ると、いつの間にか広場に店が広がっていた。こちらは特に関わらないが、町中を巡るパレード最終日には、この辺りにも店が出るらしい。おやつはそこで調達できてしまった。
「ビル遅いな」
身を乗り出して、ビルを探していると、聖女らしき人と何か話している様子だった。
そう言えば、求道所の敷地内には広大な畑が広がっていて、そこで採れた作物をお菓子や酒に加工し、手頃な価格で販売することで生計を立てていると聞いた事がある。彼らは普段、自分たちで農作業をしながら共同生活を送っているのだ。
ビルが上を見ている。目が合った。こちらが手を振ると、来いというかのように手招きしてきた。
「先輩、呼んでいるみたいです」
「来いってこと?」
頷く。彼はやおら立ち上がる。
「しょうがないなあ」
梯子を下りて、ビルのところに向かう。彼は求道所が出している出店の近くにいた。香ばしいケーキと葡萄酒の香りが漂ってくる。
「お、来た来た」
「どうしたんだよ」
「歌姫様が来ていないんだと、店番なのに」
「あの子のことだから、そう遠くへは行ってないと思うんだけど、最近ちょっと具合悪そうにしてたって言うから」
と、聖女が話す。初めて見る顔なので、聖歌隊の方ではなさそうだ。
「年頃の子だからな、祭に乗じて狙われてるかもしれねえ。礼拝所ん中は俺が見てくるから、ちょっとぐるっと見てきてくんねえか」
「分かりました」
「おう」
敷地の外側をぐるりと回ってみたが、それらしき人影は無かった。そのことをビルに話す。ビルが礼拝所の建物を一通り探したが、いなかったらしい。更に、聖女の話では、朝から見ていないかもしれないと話す人がいたそうだ。
キャロルは昼から入ることになっていて、朝店番をする人は、彼女の動向を把握していなかった。そして、昼の人がこれ以上減ると店が回せないので、なかなか探しに行けなかったらしい。
「今、朝番の子が探しに行ってくれてるんだがな」
「僕達も、もう少し探しに行ってきますね」
「ああ、すまんな」
僕達は再び礼拝所の敷地を出た。
「兄弟、思い当たるところでもあるのか?」
「思い当たるというか、1つだけ見ておきたいところがあって」
僕達は、河辺にある柳を目指した。道は凄い人だかりで、思うように進まない、ついた頃には、服が泥だらけになっていた。
お祭りの日でも、柳の周りは静けさを保っている。トゥニカ姿の少女はいなかった。
「以前、ここで見かけたので、度々来ているのかもしれないと思ったのですが」
ライリーは、柳の木に駆けより、幹を軽く叩いた。
「あのさあ、キャロルって名前の、こんな服着てて、こんな感じの被っている女今日見てない? ここに来たことがあると思うんだけど」
そして、身振り手振りを交えながら、木に向かって話し始めた。
恐らく、きっと彼は木と意思疎通を図ることができるのだろう、でなければ酔っ払って人と見間違えたとしか思えない、異様な光景だ。当然、木は枝を揺らすだけで何か話したりしない。幸運な事に船は通っていなかったし、周りに人がいないので見られずにすんだ。事情を知らない人が見たら、さぞ不気味だったろう。
ライリーは、相槌を打ったり、質問したりしているので、会話が成立しているものと思われる。
暫くして、話が終わったのか、ライリーがこちらに駆けよってきた。
「今日は見てないけど、昨日、あっちの方行くのを見たってさ」
ライリーが指し示したのは大体北西。中央通りを渡った先である。昨日僕達が行った広場と同じ方向。中央通りの東側は貧民街が広がっているが、西側は中流階級の職人、商人らが集まるサスタット地区となっている。昨日何しに行ったのだろう、お店の支度をしていたのか、1日位はと、祭りを楽しんでいたのか。あれ、昨日聖女の姿を見かけたような。
「そういえば先輩、昨日広場で聖女を見かけませんでした?」
「うーん、見てないけど、どうした?」
「丁度歌を聴いている時に見たような気がするんです。もしかしたらキャロルさんだったのかも」
「分かった! そこでリボンをもらって、劇を見に行ったって言いたいんだろ」
「うーん。とはいえ、そんなこと、仕事を投げ出してまでする訳ないですよね。彼女に限って」
確かに仕事を投げ出して遊びに行く人を何人か見たことがあるが、彼女はしっかりした人だ。大体、ベラみたいに前々から見に行こうと思っていたならともかく、普段街の外にいるキャロルは偶々歌を聴いていたのだろう。感動していたとしても、初めて会った人の劇を見に行ったりするだろうか。
「行ってみるか、学校」
「え? だってどこに」
「どうせ街の中だろ。そこ以外思いつかないし」
「まあ、じゃあ、行きますか」
「で、どっち行く?」
「さあ」
「うーん」
ライリーは腕を組みながら、下を向いたり上を向いたりして考え込んでいる。
秋晴れの空には、郵便屋が箒に乗って空を飛んでいた。
「こんな時でも郵便屋は働いているんですねえ」
あんな風に空から探すことができたら幾分か楽だろう。
「それだ!」
ライリーは、叫ぶと急に立ち上がり、近くの木に登り始めた。
「ちょっと先輩、何やっているんですか」
「おーい、ちょっと、聞きたい事があるんだけど」
ライリーは、郵便屋に向かって大きく手を振り、呼びかける。運良く郵便屋が気づいたようだ。少しずつ箒の高度を落としながら、下をキョロキョロ見ている。ゆっくりと旋回しながら、土手に降り立った。
「すみません、急に呼び止めてしまって」
「いえいえ、気にしなくて良いんですよ」
そう話す郵便屋は、背の高い若者だった。穏やかそうな雰囲気を醸し出している。
「兄ちゃん、芸術学校ってどこにあるか知ってる?」
「ああ、ここからずーっと行ったところにあるけど、まさか今から行くの?」
「うん」
「結構かかるよ。多分着く頃には日が暮れちゃうんじゃないかな」
「まじかあ」
芸術学校は、結構遠いところにあるらしい。郵便屋が指し示した方向から察するに、西門の近くだろうか。
「箒ならそこまで時間かからないけど、流石に男3人はね」
「そうですよね。先輩、諦めて他あたりましょう」
ライリーはいまいち釈然としない様子だ。
「ありがとうございました」
「ちょっと待って。そうだ、もし良かったら、絨毯持って来ようか。取りに行くのにちょっと時間掛かるけど、歩くより早いんじゃないかなあ」
「あ、いえ、そんな」
「本当?」
ライリーの顔がぱっと明るくなる。
「先輩、これ以上、お仕事の邪魔しちゃいけませんよ」
「まあまあ、大丈夫だよ。多分。これも神様の思し召しってことにして。ちょっと待っててくれるかな」
そう言って郵便屋は箒にまたがり飛び去っていった。
暫くの間待っていると、彼は本当に大きな布を抱えて戻ってきた。魔法円が刺繍された本物の絨毯。仕事の邪魔をするなとライリーに言っておきながら、いざ目の前にすると、ちょっとだけわくわくしてしまう。
彼は箒からお降り、絨毯を広げる。男五人位なら優に乗せられそうな広さだ。
「乗って」
「靴は履いたままで良いんですか」
「良いよ。脱げないようにしてね」
僕達は、絨毯の上に立つ。結構長い間使われているのか、毛羽立ってくすんだ色をしていた。絨毯には、細長い布が縫い付けてあり、長さが調整できるようになっていた。座った後、それを腰に付けるよう指示される。
「落ちないように捕まっててね」
郵便屋がそう言うと、徐々に絨毯が浮き始めた。意外と体が沈み込んでいかない。絨毯の端がバタバタと音を立てている。手を伸ばしても草に触れられない。本当に浮いてるんだ! ゆっくりゆっくりと上がって行く。屋根を越え、木の上を越えると、今度はゆっくり前に進み始めた。
強い風が顔に向かって吹いてくる。バタバタとはためく絨毯の重い音がする。手を離すと体ごと飛ばされてしまいそうだったので、這いつくばるような体勢になった。
あっという間に建物が通り過ぎてゆく。しかし、目を開けているのも辛くなって、只、轟轟と風が通り過ぎる音を聞いているだけだった。
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