第2話 「兄さん」と儀式の準備

 慣れないベッドで寝たせいか、鐘の鳴る音で目を覚ました。一瞬寝坊したのかと思って跳ね起きたが、外がまだ暗かったので、先程鳴ったのは讃課の鐘(午前3時頃鳴る鐘)だろう。大きな礼拝所等では夜中に起きて、讃課の鐘に合わせてお祈りをする所もあるらしいが、ここではしないらしい。


 それでも鐘は鳴らすようだ。ぼんやりしながら再びベッドに潜る。朝のお祈りや、朝食にはまだ早い時間だ。だが、今日は世間で言うところの休日。比較的大きなお祈りの儀式であるグリフの支度があるから早く起きなくてはならない。


 二度寝したら絶対寝坊する。初日から迷惑は掛けられないし。閉じそうになる瞼を無理矢理開き、ベッドから降りた。布団を仕舞い、顔を洗えば目も覚めるだろう。


 朝のお祈りは教典を読むことになっている。次の鐘が鳴るまでに前日祭司様が指定された章を読めば良いだけなので、まだ時間はありそうだ。今本を開くと、そのまま眠ってしまう。間違いない。


 井戸で顔を洗っていると、鐘楼に人影があるのを見つけた。先程の鐘を鳴らした人だろうから挨拶に行ってみることにした。


 そこには壁に寄りかかりながら、小さな灯りを頼りに本を読んでいる青年がいた。肩くらいまである髪を1つにまとめており、全体的に中性的な面立ちをしている。昨日は会っていない人だ。


 僕が話しかけるより先に気づいたのか、本を閉じて軽く手を上げた。


「お早う。君が噂の新人君?」


「はい、マルク・ファルベルと申します。よろしくお願いします」


「私はアシュリー。ここで祓魔師をしているんだ。どうぞよろしく」


「あの、今は鐘の番をしているのでしょうか」


「そう。普段は守門のビル君が鳴らしてくれるんだけどね。彼も休んで貰わなきゃいけないから。夜は交代で鳴らすんだ。君も明日か明後日には回ってくると思うよ」

「時間を計る蝋燭が見当たらないのですが」


「ああ。大きい所は蝋燭で計るんだっけ。贅沢だよねえ。大礼拝所の鐘が聞こえるから、それに合わせて叩けばいいよ」


 なるほど。壁を隔てているとはいえ、大礼拝所は近い。周囲が静かなら聞こえてきてもおかしくない。


「そうだ。このまま朝食作るから手伝ってよ。これも当番制だから。どうせそのうちライリーが嬉々として教えてくれるだろうけど」


 前いた所とはまた勝手が違うだろうし、ライリーに教えて貰うだけでは心配なので今の内に見ておこう。


「分かりました。折角なので手伝わせて下さい」


 僕たちは食堂に入り、竈に火をくべた。まずは野菜のスープを作るところから始まるらしい。メニューは結構自由でいいのだが、肉やチーズや魚は滅多に出て来ないそうだ。

 彼が食事を作っている間、僕は倉庫からパンを取り出して切り分けることとなった。今日はお祈りに来る人の分だけではなく、貧者に施しとして与える分も用意しなくてはならない。


「大きさは大体五等分くらいね。多少大きさバラバラでも良いから。切ったら皿に並べといて。綺麗に切れたのがあったら儀式用に回すから別の皿に入れて」


 僕はひたすらパンを切っては並べ、切っては並べていった。パンは袋いっぱいに入っている。昨日は散歩しているお爺さんとお婆さんくらいだったのに、こんなにも人が来るのだろうか。切る。並べる。切る。時々ちぎる。


 アシュリーはその間カップを拭いていた。貧者に施す酒用だろう。大きいのが50個位、小さいのが20個位。小さいのは麦酒を飲めない子供用で、葡萄ジュースを淹れるのだ。朝食の盛り付けや、机の運搬も行った。


 外に机を並べ、食堂に戻ってくると、そろそろ他の人が起きてくるという事で、一旦切り上げることになった。


「助かったよ。いつもはパンを切り分けるだけで終わってしまうんだ」


「こちらこそ勉強になりました」


「じゃあ、最後に祭壇に行こう。これ持って」


 麦酒とパンそしてポポの花を乗せたお盆を渡された。毎朝、礼拝堂内の祭壇にお供えするのだ。礼拝堂に行き、お盆を取り替えた後、僕たちは祈りの言葉を唱えた。



 神様、今日も僕達を見守っていて下さい。あと、時間が無くて教典読めなさそうなので、朝のお祈りはこれで許して下さい。すみません。



 一時課の鐘が鳴る頃、食堂には、礼拝所のメンバーが殆ど揃っていた。といっても僕を含めて5人しかいないのだが。鐘をつきに行ったアシュリーと寝坊したのかもう1人分席が空いていた。守門のビルだろうか。


「おい、さっき部屋見に行ったらいなかったんだけど。どこ行ってたんだよ」


 顔を合わせるなりライリーが絡んできた。


「アシュリー兄……さん、のお手伝いをさせていただいてました」


「ほお、良い心がけじゃないか、だが、眠れたのかい。昨日の今日だし、忙しいぞ。余り無理されるな」


 腕をさすりながら、そうおっしゃったのは祭司様。頭頂部を剃った昔ながらの髪型をしている。柔和な顔立ちで大らかな雰囲気を醸し出している方だ。


「早く起きてしまっただけなので、大丈夫です。勉強にもなりましたし」


「アシュリーのやつ、ちゃっかり兄弟をこき使いやがって。よし、明日は俺の当番だから手伝え」


 アシュリーが今、食堂にいないからって言いたい放題だ。そして、朝、彼が言っていた通りになってしまった。ええ、と声が漏れる。顔も引きつっているに違いない。


「ライリー。自分の務めは自分で果たすものだよ」


「じゃあ、あいつのは何だよ」


「マルク君が自分から手伝ったんだ。グリフの支度で忙しい中、手順を教えようとしたのだよ」


「俺だって、やり方を教えるつもりだったんだよ、ほら、弟に教えてやるのが兄の務めってもんだろ。父さんが言ってたんだぜ」


「うーん。くれぐれも迷惑を掛けんようにな。すまないねえマルク君。何かと面倒な子達だが、これからもよろしく頼むよ」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 すると、アシュリーともう1人男が入ってきた。ビルだ。五人揃った所で食前のお祈りが始まった。


 食事を終えると、再び支度に追われることとなった。道具の準備、掃除、着替え等々。


 聖水の準備中、ライリーが杯に井戸の水を入れていた。

 普通お祈りに使う水は聖水と呼ばれ、水源が決まっているのだ。その辺の水を使うなんて言語道断だ。


「無いもんは仕方ねえじゃん。水なんてどれも似たようなもんだろ」


 と言い放った。本当に神に仕える気があるのだろうか。


「いつもはどうされてるんですか」


「無いときは井戸水使うけど?」


「そうじゃなくて、水源はどちらですか! 何なら自分が汲んできます」


「止めといた方が良いよー」


 アシュリーが話しに割って入る。


「普段は冒険者に頼んで森の中にある泉から汲んできてもらってるんだけど、最近依頼料が高くなっちゃってさ。そう頻繁に頼めないんだよね」


「だからって井戸の水を使わなくても」


「因みに行くなら最短片道3日で着くらしいから。森で迷って、狼に食べられ、エルフに襲われ、沼にハマる覚悟があるならお好きにどうぞ」


 そこまで言われて僕も黙るしか無くなった。


「旧市街の大礼拝所なら蓄えがあるだろうから、明日にでも貰いに行こう。杯には私の部屋にある分を使いなさい。他のは井戸水でかまわん。マルク君、取りあえずそれを聖別しておいてくれんかね」


 着替え途中の祭司様が指示を飛ばす。僕は慌てて水の入った桶を祭壇に持っていき、清めの儀式を立てる。


「おーい、聖歌隊が来たぞー」


 ビルの呼ぶ声が聞こえる。ここでは大礼拝所や、近くにある女性求道所(俗世間から離れて神に仕える人が共同生活を行う場所)から何人かが歌いに来てくれるそうだ。特に「聖女」の歌は民衆から人気があるらしく、彼女らが歌う日は礼拝堂が一杯になるらしい。用意するパンが多かったのは、こういう事情があったからなのか。


 太陽が完全に登る頃には、礼拝堂に人が集まってきていた。なんだがソワソワしている。祭司様が説教なさっている時も、時々話し声が聞こえた。


 グリフでは、神の化身であるグリフィンとなった英雄ノーヴァムの体を表すパンと、血である麦の酒を頂くのが儀式の中心である。擬似的にノーヴァムと一体化を果たすというのがこの意義であるわけだが、お祈りの言葉を上げながら召し上がる人はごく僅かだ。それに、外が騒がしい。施しを求める人々が広場に控えているようだ。僕と祭司様以外の人は、外の対応に追われている。


 いよいよ、聖歌隊の登場だ。人々が拍手で彼女らを出迎える。入り口付近には、先程まで施しを受けていた人々がどんどん中に入ってくる。歌っている最中なのに騒がしい。この人達はグリフを大衆演劇と勘違いしていないだろうか。しかも、外にいたアシュリーがいつのまにか観衆に紛れ込んで旗を振っている。


 歌が終わると、大きな拍手が巻き起こり、花やらハンカチやらが宙を舞った。最後に祭司様が挨拶をして儀式が終わる。人々が帰って行くのを少し見送った後、僕は聖歌隊を食堂まで案内した。今日はもう1回歌って頂くことになっている。軽食として、多めに作ってあったスープを出した。


「あら、見かけない顔ね」


「今日からここでお務めすることとなりました。よろしくお願いします」


「やだ、可愛い顔してるじゃないの」


「まあ、どうも」


 僕は、襟と、羽根飾りを整えた。前いたところでは女性求道所との交流が余りなかったせいか、女性ばかりに囲まれるのは変な感覚だった。


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