八、追い火の話

 先程、「火の話」なるものを書いた。読み飛ばされていなければ、嬉しい限りである。読み飛ばしたのであれば、戻り給へ。「追い火」は、まずもって第一の「火」が無ければ存在しえぬのだから。

 勘の良い読者なら、私が何の話をしようとしているのか理解したであろう。そう、例のジッポライターの出処とは。そのライターは、何を隠そう件の祖父の遺品の一つなのである。この話をするには、まず祖父のことを話す必要があった。そのために、「火の話」では後述する旨を示したのである。

 出会いは、祖父の遺品整理に遡る。遺品整理には、祖父の娘である母、叔母、そして孫の私の三人が参加した。かつて祖父母は喫茶店を営んでおり、その二階に居住していたのだが、祖母が亡くなった際に祖父はアパートへと住まいを移していた。そのために遺品もそこまで多くなく、三人で整理するのに苦労はしなかった。そして、処分の際に金沢に持って帰りたいものがあれば、私が引き取ってよいことになった。おじいちゃんっ子であった孫への、或いは一人暮らし苦学生への気遣いであったのだろう。という訳で、品定めが始まった。

 さて、実は私は祖父の亡くなる一週間弱前に、その部屋を訪れていた。いつも通り、金沢土産を渡し、お仏壇に供え、他愛ない話をし、祖父の代わりにおつかいに行き、祖父の淹れた珈琲を飲み、死の間際とは思いもしないほどにいつも通りの祖父と孫であった。私が最初に金沢への持ち帰り用の箱に詰めたのは、そのおつかいで祖父に買ったレトルト食品であった。あの時の表現し難い感覚は、屹度死ぬまで忘れないであろう。後日財布の中からおつかいメモを見つけた際の感覚も。

 他はというと、幼少期に喫茶店で見た覚えのある食器、祖父の名前刺繍入りのコート、小学校の修学旅行先で祖父に買ったお土産の湯飲み、孫たちを撮っていた一眼カメラ、私の弟が祖父の誕生日にプレゼントした手帳など、想い出の品々を次々と箱に仕舞っていった。

 して、件のジッポライターとの対面である。私は、喫煙者である祖父を見たことがない。私が物心つく頃には、彼は酒も煙草もギャンブルもやめていた。かつてそれらをやっていたことも、私には想像できないほどであった。なので、今となってはそのジッポライターが残っていた理由はわからない。が、私が喫煙者であったことを知っていた母らは、それを引き取ってはどうか、と渡してくれた。喫煙者であって良かったと思ったのは、これが最初で最後であるかもしれない。

 私の喫煙量が祖父の死後右肩上がりになったのは、このライターの存在も大きいことは確かである。私は人文学部であり、趣味で作詞をしたり、こうして文を綴ったりしているために、少々の妄想癖というか、詩的なクサい考えをすることが多い。私は考えた。線香の煙は、故人があの世へ迷わず行けるように、という祈りから死後四十九日まで送り続けなければならない。つまり、煙というものは、あの世に届き得るのだ。紫煙も、祖父に届くのかもしれない。手も、声も、手紙も届かない祖父に、煙なら。ましてや、遺品のライターで灯した紫煙である。届くのではないか。そんな夢見事を考えていた。そして、今でも考えている。ばかばかしい。

 だから、私は紫煙を空に送っている。出来るだけ長く吐く、そのためには肺に煙を入れなければならぬ。見失われないように、多く吐かなければならぬ。迷わぬように、同じ銘柄の決まった煙を送らねばならぬ。


 嗚呼、祖父の声が聞こえる。


「そんなに吸ってると早死するぞ。馬鹿者。」

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