雪山の白鹿
2月になった。
山間にあるフィールの周辺もドカ雪が降り積もっており、高いところだと積雪2メートルを超えている。
街道もすっかり埋もれてしまってるから、獣車での移動はけっこう厳しい。
だからこの時期は、フィールへの来訪者は空を飛べる騎獣を使う者がほとんどだ。
最も多いのはワイバーンだから獣車を吊り下げて運べず、防寒対策としては上着を着込み、さらに暖房効果を持たせた天魔石を使い、騎獣の周囲事暖めるっていうのが一般的か。
だけどプラダ港が開港したことで船での移動が可能になったし、プラダの周囲は積雪が少ないから、エモシオンからの移動も、普段より時間がかかる程度で済む。
だからこんな時期であっても、フィールにやってくる人は多くなったとエド達が言っていた。
「だからって、これはねえだろうよ」
「同感ですねぇ」
そのエドとフィアナが呆れているが、10人ぐらいのハンター崩れに囲まれてるとは思えない顔をしている。
俺がいるっていう理由もあるだろうが、エドだってフェアリーハーフ・ハイドワーフに進化してるし、レベルも50代中ほどまで上がってるから、勝てないまでもフィアナを連れて逃げるぐらいは問題なく出来るしな。
「もう一度言ってやるよ。そのコート、クラフター風情にゃもったいねえ。俺達が使ってやるから、ありがたく寄越しな」
チンピラハンターどもはエドとフィアナ、そして俺が着ているクレスト・ディフェンダーコートを見て、それを寄越せと絡んできただけだ。
ああ、俺は瑠璃銀刀・薄緑も佩いてるから、それも狙ってるな。
フィアナは昇格試験を受けに、俺とエドは別件で用事があったから一緒にクラフターズギルドに来た。
無事にフィアナは試験に合格してSランククラフターに昇格し、俺達も用事を済ませたんだが、その後でハンターズギルドに立ち寄ってみたらこのざまだ。
「クラフターを軽視してるような奴なんて、路傍の石でもくれてやるのは惜しいに決まってんだろ」
「聞いてはいましたけど、まだこんな人達がいるんですね」
「末路は知ってるはずなのに、自分だけは絶対に大丈夫だっていう、根拠どころか意味不明な理屈で動いてるからな」
人数が増えれば増えるほど、こういった輩が増殖してしまうのは世の常でもある。
遭遇する身としてはたまったもんじゃないが、放置しとくのもフィールに悪影響しか与えないから、早々に捕まえて、オーダーズギルドに引き渡すとするか。
「はいはい、そこまでよ。あなた達、いったい誰に絡んでるか分かってるの?」
ところが捕まえようと思ったところで、別方向から女性の声が響いた。
この声はエルさんか。
「エルさん。フィールに来てたんですね」
「例の件もあったし、ちょっとフロートには居辛くなったからね。しばらくはフィールを拠点にしようと思ってるのよ」
ほう、ファルコンズ・ビークがフィールを拠点に。
それはウイング・クレストとしても領主代理としても大歓迎だな。
「てめえら!この俺を無視するとは、よっぽど死にてえらしいな!」
ところが俺達に絡んできた阿呆は、無視されたことに腹を立て、ハンターズギルド内だというのに剣を抜きやがった。
ハンターズギルド除名にオーダーズギルドでの取り調べ、さらにハイクラスっぽい魔力だから処刑っていう流れが決まったな。
「死にたいのはお前だろ。おおかたレベル41になると同時にハイクラスに進化したから、自分は特別だと勘違いして、今まで好き放題やってたんじゃないのか?」
「私も初めて見るし、バリエンテ地方かリベルター地方からの流れ者でしょうね。じゃあ後はよろしくね、天爵様」
エルさんがそう言った瞬間、チンピラどもの顔が見る見る青くなっていった。
天爵は3人とも天帝位継承権を持ってることは公表されてるし、その中で男は俺しかいない。
俺がエレメントヒューマンに進化したことは特に広めたりはしてないんだが、それでもヘリオスオーブ最高レベル更新者って噂はハンターの間じゃ流れてる。
つまりこいつらは、エルさんの発言で俺が何者なのか察してしまったという訳だ。
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ!なんて天爵なんかが、ハンターズギルド風情に来てるんだよ!貴族が来るわけねえだろうが!」
既に剣まで抜いてるんだから言い訳はできない状況だし、こういった輩は余罪がゴロゴロあるに決まってるから、とりあえず不敬罪でしょっ引いて、オーダーズギルドにはしっかりと取り調べをしてもらおう。
「馬鹿の言い分なんて、聞く耳持たないな。寄ってたかって俺達の装備を強奪しようとしたのはもちろん、ハンターズギルド内で剣を抜く行為は立派な犯罪だ。言い訳がしたかったら、オーダーズギルドにでも頼むんだな」
そう言って俺は、
ハイクラスは3人ほどいたようだが、レベルはそこまで高くはなさそうだから、大した手間でもなかったな。
「カミナさん、すいませんけどオーダーズギルドに通報をお願いします」
「畏まりました。お手数をお掛けし、申し訳ありませんでした」
「そう思うんなら、仲裁にぐらい入ってほしかったですけどね」
「グランド・ハンターズマスターからの通達ですから、申し訳ありませんけど一介の職員ごときではどうにも」
とか言いつつも、満面の笑みを浮かべるのはやめてください。
ハンターズギルド内だというのに職員すら仲裁に入ってこなかったのは、普通なら大問題でしかない。
だけど俺達に関してのみ、要請が無い限りハンターズギルドは手を出さないことが、よりにもよってグランド・ハンターズマスターの口から公言されてしまっていたりする。
ウイング・クレストは10代のハンターも多く、そのくせハイクラスどころかエンシェントクラスも多いユニオンだから、今回のような問題は起きやすい。
さらに俺とマナ、ユーリは天爵、ヒルデはトラレンシア妖王、リカさんは侯爵、プリムにミーナ、フラム、リディア、ルディア、アテナ、アリア、真子さんは天爵夫人っていう身分がある。
ラウスはリヒトシュテルン大公女の婚約者だし、エドだって合金の開発者ってことで名を知られてるから、ハンターズギルドとしても介入はし辛い。
そもそも俺達に絡んでくるようなチンピラは余罪が多かったりして、更生も望めない連中ばかりだ。
だからこそ天帝に連なる貴族たる天爵への不敬罪を皮切りに余罪を調べ、確実に処罰するために、ウイング・クレストに関してはなるべくハンターズギルドは介入しないようになってしまったというわけだ。
正直、それはそれでどうかと思うんだが、職員もほとんどがノーマルクラスだから、相手にハイクラスがいた場合は危害を加えられる恐れがあるし、最悪の場合は命を落とすこともあり得る。
そう説明されたからこそ、俺達はその提案を受け入れたんだが、こんなことは既に何度目かもわからないから、そろそろ鬱陶しくなってきてるのも事実なんだよなぁ。
「貴族も大変よね」
「エルさんも、言えば叙爵してもらえるんじゃないんですか?」
「お断りよ、そんな面倒なことは。いえ、爵位だけ貰って、あとはカールに丸投げっていう手もあるわね」
「泣きますよ、あいつ」
エルさんに限らず、エンシェントハンターの多くは望めばいつでも貴族に叙爵してもらえる。
だけど貴族には責任と義務が付きまとうし、領主に任命されたりなんかしたら領地経営なんかもしなきゃいけないんだから、自由に狩りに行ける時間は減ってしまう。
ハンターは自由人だから、拘束されることを嫌う人も多く、それもあってハンターから叙爵された人は少ない。
「それはそれとして、例の件って、まだ影響あったんですか?」
「そうなのよ。うちはこの前のガグン迷宮氾濫でエンシェントクラスが増えたから、それも理由になってるわね。同じ理由で、ブラック・アーミーも大変みたいよ」
例の件ってのは、終焉種との戦闘経験のことだ。
直接終焉種と刃を交えた経験があるのはエルさんだけだが、ファルコンズ・ビークにはエンシェントクラスが4人いるから、貴族からの勧誘も多い。
ほとんどの貴族は無茶なことは言わないんだが、バレンティアやリベルター地方の一部には、自分達に仕えさせてやるからありがたく思え、とまでのたまったバカも少なくないし、依頼の邪魔までしてきたドアホまでいたらしい。
同じくブラック・アーミーも、ガグン迷宮と同時期に氾濫を起こしたラオフェン迷宮攻略の際にエンシェントクラスに進化した人が2人いるから、ファルコンズ・ビークと同じく勧誘や邪魔の嵐なんだそうだ。
「俺達はそんなことなかったから、皆さんがそんなに苦労してたとは思いませんでしたよ」
「大和君は別の意味で苦労してるものね。ある意味じゃエンシェントクラスに進化したことによる弊害だけど、エンシェントクラスだからこそ跳ね除けるのも難しくないわ。それでも煩わしいのは間違いないから、私達がフロートを離れた一因になってるけどね。もちろんフィールが気になってたこともあるし、この時期はスノー・ドロップが出るからっていう理由もあるけど」
ああ、なるほど。
確かにスノー・ドロップは冬、しかも雪が積もってる間しか姿を見せない鹿型の魔物だ。
希少性はもちろんだが、B-Nランクとは思えないほど肉質が良いため、高値で買い取ってもらうことができる。
肉質だけなら、Gランクモンスターにも匹敵するって言われてるな。
稀に希少種のホワイト・ティアーも出てくるから、市場に流れた場合は白金貨での取引が行われることも珍しくないぐらいだ。
「なるほど、つまりファルコンズ・ビークは、スノー・ドロップやホワイト・ティアーが狙いでしたか」
「トラベリングを習得したおかげで、常雪山にも日帰りで行けるようになったから、いつでも行けるんだけどね」
常雪山はマイライトの一角にある、常に雪が降り積もっている峰のことだ。
麓に雪が降るまでは、スノードロップ種はその山から下りることはなく、繁殖に精を出していると考えられている。
雪がないと火傷して、肉も皮も使い物にならなくなることは知られてるから、ハンターにとっては狩りにくい魔物であり、牧畜にすることはほとんど不可能でもある。
だからこそランクが低くても価値が高く、それでいて常雪山は雪以外の環境も険しいから、ハイクラスであっても簡単に命を落とす。
だけどトラベリングを使うことができれば、一度行っておけばいつでも行けるようになるから、夏場でもスノー・ドロップ種を狩れる。
エンシェントクラスの魔力量なら、フライングやスカファルディングっていう地形を無視できる魔法での移動も難しくないからな。
魔物だから乱獲してもどこからともなく現れるんだが、それでも夏の間に狩りすぎると冬場に数が確保できなくなる可能性があるから、エルさんも秋口に一度行っただけらしいが。
「そういやスノー・ドロップって、
「数は少ないけど、いないわけじゃないわよ。ただスノー・ドロップの生態的に、雪原とか雪山地帯っていうのが大前提になるから、そうそう都合のいい
それが問題だよなぁ。
いくつかの
もちろん生息してる
数も少ないらしいから、本当に遭遇できるかは運にも左右されてしまう。
「なるほど、だからスノー・ドロップは冬場のフィールじゃ有名で、それを求めて貴族とかが来てたのか」
「そういうことね。雪もすごいから、フィールに来たら1,2ヶ月は動けなくなるけど、それでもスノー・ドロップにはその価値があるから、毎年凄い額で買われてるっていうじゃない。だから多分これも、きっと凄い値がつくと思うのよ」
そう言ってエルさんがストレージから出したのは、俺も何度か狩ったことがあるスノー・ドロップより二回り以上デカい白い鹿だった。
え?なにこれ?
「クラウドレス・ディアー、異常種よ。昨日偶然遭遇したの」
おおう、スノー・ドロップの異常種なのか。
B-Nランクのスノー・ドロップ、S-Uランクのヘイル・ディアス、G-Rランクのホワイト・ティアーは知ってるが、異常種を見たのは初めてだ。
「常雪山はそれなりに深い山だから、人目は届かない。だから異常種は生まれやすいって言われてるけど、それでも実際に狩れるとは思わなかったわ」
良い笑顔をしているエルさんだが、確かに俺もそんな話は聞いた覚えがある。
フィールでも30年以上討伐されていないし、希少種が白金貨での取引があるってことだから、異常種となると神金貨はいくだろう。
もちろん自分達でも食べるだろうけど、売れば一瞬で買い手がつくのは間違いない。
というか、俺が買い占めたいぐらいだ。
さすがにそれは問題でしかないから、程々に抑えるが。
「……今度常雪山に行ってみるか?」
「確かにいるかもしれないけど、賭けにしかならないと思うわよ?」
エルさんに呆れられてしまったが、賭けでもいいから行ってみたい気もする。
ファルコンズ・ビークが既に倒してるから、普通ならいないんだろうが、常雪山は人が入り込むことはまずないから、可能性はゼロじゃない。
それでも絶対っていう保証もないし、本当に無駄骨になる可能性も高い。
確かにエルさんの言う通り、賭けでしかないなぁ。
まあ金には困ってないし、エルさんも自分達で食べる分以外は売るって話だから、ウイング・クレストで食べる分ぐらいは買える。
今回はそれで我慢するとしよう。
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