SS5-1 小さな勇者(前編)

 雲ひとつない空の下、カペラのメインストリートを颯爽と歩く少女。

 陽の光を受けた聖女のしるしである銀髪はキラキラと輝き、猫妖精ケット・シーであることを示す猫耳は町中の喧騒を受けてぴくぴくと動き、しっぽは少女の気分を示すようにご機嫌にゆらゆら揺れている。


「あ、シルちゃん、この前はありがとね」


 シルに気付いた買い物かごを提げた一人の女性が声をかける。


「うん、おばさんはもう大丈夫?」


「この通り、前より調子がいいくらいさ。やっぱりシルちゃんの魔法はたいしたもんだねぇ」


 そう言ってその場で腰を大きくぐるぐるとまわして笑顔を見せる女性。


「あはは、良かった」


 ほかとは大きく違う容姿、奇跡の御業とも言える魔法。よく言えば神秘的、悪く言えば得体の知れない存在。そして環境が閉鎖的になるほど後者のような感想を抱きやすい。それはシルの身に実際に起こったことが証明している。

 しかし文化や人種など、様々な意味で多様性に富んだカペラで暮らす人々がシルに対して抱く感情は前者でも後者でもない。ただただその優しい心根を知る人々が、何の偏見も持たずにありのままの彼女を心から慕っている。


「それはそうと今日は一人なのかい?」


「うん、パパもママも用事があるんだって。だから私は今は探検中。まだ行ったことないところに行ってみようかなって」


「カペラもどんどん広がってるからねぇ。中にはまだ目が行き届いてなくて、治安が悪いところもあるから気を付けるんだよ?大通りから外れなきゃ大丈夫だと思うけど」


「うん、ありがとう!」


 自分のことを知りながら子ども扱いしてくれる、それに少しのうれしさを感じながらシルは新しくできた区画へと向かっていく。


____________


「うわぁぁ、こっち側はどんどん建物が出来てきてるんだぁ」


 シルが思わず感嘆の声を上げる。いまシルがやって来ているのはカペラの外郭。カペラはもともとぐるりと壁に囲まれた都市だが、続々と集まる移住者たちによって人口爆発したために今では壁の外にも染み出すように建物が作られ、それと同時にはるか向こうに新たな壁が作られ始めていた。もちろん近隣の国へ金をばら撒き、カペラを広げることを認めさせたうえで。

 そしてオールディス商会が低価格帯品の展開に目を付けたことは、このことに起因していた。今はその好景気のおこぼれに与ろうと、裕福とは言えない人々が働き口を求めて続々と集まってきている状況。つまりはまとまった数が売れる状況が整いつつある、ということであった。


「あれ?シルちゃん、こんなとこでどうしたんだい?」


「ちょっと散歩だよ。おじさんはなんでここに?」


 シルを引き留めたのは行きつけのレストランの従業員(シルちゃんの成長を見守る会、会員№9)。


「最近こっちに引っ越したのさ。こっちのほうがいろいろと暮らしやすいんだよ」


「あ、そう言えば解体場のおじさんもこっちに引っ越したって人がいたよ。最近は町の中心のほうじゃどんちゃん騒ぎができねぇって言ってた」


「ははっ、その通りさ。町の中心は富裕層向けになってきてるから物価も高くてね。俺らとしてもこっちのほうが気楽ってもんだよ」


「そっかぁ。でもなんか寂しいね。町が変わっていくのは」


「何もかも今のままでってわけにはいかないよ。シルちゃんだってそうさ、大人になったら今まで通りじゃなくなるだろ?いい人見つけて、今よりもっと幸せにだってなれるさ。町も人も同じだよ」


「あはは、そうだね……じゃあ私はもう行くね、ばいばい!」


「ああ、気をつけてな」


『何もかも今のままではいられない』、至極当然の何気ない一言にシルの胸がチクリと痛む。

 優しく、尊敬できる両親アルとセアラに育てられ、周囲の人たちにも恵まれたこの幸せ。それが永遠ではないことも、そして変化は決して悪いことではないことも分かっている。頭では分かっているが、かつて実の両親に捨てられたシルにとって簡単に受け入れられるものではない。


「もっと幸せに、いい人かぁ……」


 ボソッと独り言ち、シルはひとまず建設途中の壁の様子でも見に行こうと歩を進めていく。


____________


「ねぇ、なんで黙ってやられてたの?暴力はよくないけど、やり返すくらいならいいと思うよ?」


 シルは大きな体を丸めてうずくまる少年に問いかける。

 新たに作られている外壁へと向かう道の途中、三人から取り囲まれていた少年を見つけたシルは、魔法で風を起こし彼らを引き離したのだった。


「……父さんはアイツの父親のところで働いてるし、仲良くしなきゃダメだって母さんも」


「おい」


「うーん、そんなのおかしいと思うけど」


「おい!無視するな!!」


 さすがに無視できない大声に、シルはあからさまに嫌そうな顔をして声の主に視線を送る。


「どうしたの?ケガはさせてないと思うけど?」


「その銀髪に耳と尻尾……ふん、お前のことなら知ってるぞ。黒髪の男の人と金髪の女の人のことをパパ、ママって呼んでるけど、あの二人には耳も尻尾もないじゃないか。どうせ本物の親には捨てられたんだろ?」


 わざと怒らせようとリーダー格の男が薄ら笑いを浮かべながら言うが、シルはただ呆れたようにため息をつく。


「弱い立場の人をいじめたり、人の嫌がりそうなことをわざわざ言ったり。ねぇ、今の自分の姿が他の人からどう映ってるか考えたことある?」


「何を……」


「そんなんじゃ困った時に誰も助けてくれないよ。いつか周りに誰もいなくなっちゃうよ」


 怒らせるどころか、自分よりも小さい少女に諭された少年は顔を赤くして声を荒げる。


「う、うるさい!親に捨てられたやつに言われたくない!!」


「はぁ……何回言っても無駄だよ、その言葉は私を傷つけられるものじゃないから」


 相変わらず呆れながらも毅然と言い放つ態度が、その言葉が決して嘘ではないことを示す。

 割り切れない部分がないわけではない。それでも今この幸福は過去のすべての出来事の上に成り立っている。何一つ事情を知らぬ者たちの上辺だけの言葉など、シルの心にさざ波すら起こせない。


「くそっ、行くぞおまえら」


「あ、ああ。ディルはどうすんだ?」


「放っとけ、そんなやつ」


 シルに突っかかっていたリーダー格の少年がそう言ってその場を立ち去ると、残る二人は顔を見合わせ、少し複雑そうな表情で後をついていく。


「君はどうするの?」


「……行かなきゃ」


「いじめられてもじっと我慢して、そんなのお母さんが本当に望んでるのかな?」


 ディルはゆっくりと立ち上がってシルに背を向けると、小さく『ありがとう』と言って三人が向かったほうへと走り去って行く。


「あの子、大丈夫かなぁ……」


 自分よりもずっと大きな少年を『あの子』呼ばわりするシル。少し煩わしそうにしながらも他者を心配するその横顔は、シルがあんなふうになりたいと思う大好きな人によく似たものであった。

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