SS4-4 変えていくもの、変えてはいけないもの

 各国を行き交う人々にとっての要衝は青空市場から始まった。以降、多くの国から商人たちが集まり文化のるつぼと化したそこは、彼らによってカペラと名付けられ急速に発展していく。

 町が出来て約十年、そんな黎明期から成長期へと向かっていくカペラを訪れたのはまだあどけなさを残した一人の貴族の少年。心配する護衛や侍従を離れたところに置いて練り歩き、少年はそこに住む人々が発する活気をひしひしと感じていた。


「あの店……」


 ひっそりと、にもかかわらずなぜだか目を奪われる一つの店。気になった少年が近づいてみると、ショーウィンドウの中にテイストの違う三体のマネキンたち。その単に流行を追ったものでないコーディネートは、どれも見事で目を引く。


「いらっしゃいませ」


 導かれるように店内に入ると、カランカランと鳴るドアベルの音と穏やかな声が少年を出迎える。

 外の活気とは隔絶された、落ち着いた時間が流れる空間。お世辞にも広いとは言えない店内ではあるが、それを感じさせないのは店主のセンスが良いのだろう。

 店の奥へと進んでいくと、何やら帳簿とにらめっこをしている初老の女性の姿。


「失礼、ショーウインドウのコーディネートがとても素敵でしたが、あれはご婦人が?」


 女性が老眼鏡を外して少年を見る、それは値踏みするような不快な視線ではない。


「ええ、そうですよ。貴族のお坊ちゃんに褒めていただけるなんて、嬉しいですね」


 それでもすぐに自らの正体を言い当てられ、思わず後ずさる少年。


「……なぜ分かったのですか?これでも変装したつもりなんですが」


「ふふ、形は平民の服そっくりでも、使っている生地が全然違いますもの。お屋敷の人たちから、とても大事に思ってもらえているのですね」


 そう言って穏やかにほほ笑む女性。

 貴族ではなくただの平民として、商人たちが開いたという町を見てみたい。そう無理を言って用意してもらった服。

 そこに込められた心遣いにも気が付くことのできない自らの浅学浅慮に、少年の顔が熱くなる。


「……家督を継ぐことはできませんし、将来は何か事業でも出来たらと思って参考のためにこの町に来たのですが、どうやらそれも向いていないかもしれません」


「あら、そんなことありませんよ?生地の良し悪しを知らなければ、気が付くことが出来ないことですもの。知識など死ぬ気で学べば良いだけのこと。本当に大切なのはそんなものではないですから」


「……ではご婦人が考える大切なものとは何でしょう?」


「周りに流されず、芯を持って自分が定めた道を進むこと。そして周りの意見に耳を傾けることです」


「それは……矛盾、していませんか?」


「ふふふ、今はまだお分かりになりませんかね。とは言えこうして初対面の私の戯言にも熱心に耳を傾けられるのですから、あとはご自分が何を為すのかを明確にされればよろしいかと。そうすれば何故それが大切なのか、自然と理解出来るはずですよ」


「何を、か……ご婦人は不思議な方ですね。なんだか出来る気がしてきました」


「ええ、そうでしょう?口のうまさも商人にとって大切なことですから」


 静かな店内には二人の笑い声だけが響いていた。


____________


「ク、クビですかぁーーー!!?」


 突然の宣告にレイチェルが大粒の涙をポロポロと流してオールディスに縋りつく。


「わ、私、もっと頑張りますから、クビだけはどうか……」


「私からもお願いします」


 レイチェルとトムが二人並んで頭を下げると、オールディスは慌てて二人の顔を上げさせる。


「すまない、言い方が悪かったな。そういうことではないんだ。出向という形で受け入れてもらえないかということなんだ。レイチェルの給料はこちらで持つから」


「しゅ、出向ですか?」


「……出向だなんて、うちの店とオールディス商会は何の関係もないわよね?」


「ああ、だから業務提携を結べばいい。雇われ店長とはいえ、君の一存で出来るはずだ」


「出来る出来ないの問題じゃない。確かにリックには一人で大変だとは言った。だけどこんなうちだけが得をするような提案をほいほい受けるわけにはいかないわ」


 いくら友人でも譲れない一線はある。メリッサはこんな施しのようなことを受けてまで店を続るつもりはない。


「ウチに利がないなんてどうして決めつけるんだ?」


「ふぅん、じゃあ聞かせてもらおうかしらね。その利っていうのを。言っておくけど、取ってつけたような理由ならお断りだからね」


「もちろんだ。少し前の経営会議で決まったことなんだが、今後ウチの商会は低価格帯の商品を扱っていく準備を進めていく。メリッサの店はそのノウハウを学ぶ場にピッタリなんだ」


「ノウハウも何も、知っての通り経営はなかなか苦しいけど?」


「それも併せてさ。どこに問題があるのか。どうしたら売り上げを伸ばし、利益を確保できるのかを考えるいい経験になるだろう?」


「む……」


 メリッサが反論に詰まると、オールディスは畳みかけるように背もたれに預けていた体を机の上に乗り出す。


「それにウチの既存の店舗にそうした低価格帯の商品を置くことは難しいんだ。理由は言わなくても分かるだろう?」


「まあ、オールディス商会の常連っていうのは一種のステータス。いかに低価格で良いものでも抵抗がある人は当然いるでしょうね。そこで私の店と提携すれば、わざわざ新店舗を作るよりはるかに低コストで現場の色んな情報を得ることが出来る」


「そういうことだ。これで納得できただろ?」


「うー、なんかうまく乗せられた気がするんだけど?」


 メリッサが頭を抱えて懊悩する。提携によってオールディス商会が得られる利、それをたったいま自らの口で説明したのだから、反論などできようはずもない。


「じゃあ一件落着か?」


「よかったね、メリッサ。これで人手不足も経営の相談も全部解決じゃないの」


「いや、まあ、それはそうなんだけど……そうなんだけどぉ」


 セアラの腕の中で相変わらず身悶えるメリッサに聞こえないよう、オールディスはレイチェルに小声で話しかける。


「順番が逆になってしまったが、レイチェル、大変だとは思うけれどよろしく頼む。トムもすまないな」


「別に私はいいですよ。メリッサが大変なのは分かってましたし、今までも休みの日に助っ人で入ったりしてましたから。それはそれとして……商会長、いいんですか?せっかくセッティングしたのに、悪手だと思いますよ?」


「分かっているが、弱みに付け込むのはダメだろう?」


 確かに好意はある。しかし今はその時ではないとオールディスは考える。メリッサが今まで身を削って打ち込んできた仕事を、恋人の支援を受けてやっている道楽と見る者がいるかもしれない。それは彼にとっても、彼女にとっても耐え難い侮辱。


「いつか私の支援など必要無くなる日、その時に改めてでいいんだ」


「悠長ですねぇ……分かってますか?メリッサはコミュ力めちゃくちゃ高いから普通にモテるんですよ?今までは時間がなさ過ぎてあれでしたけど、先に誰かに取られても知りませんよ?」


「……レイチェル、メリッサに変な虫がつかないように見張ってくれないか」


「報酬は?」


 オールディスは胸ポケットから出した手帳にさらさらとペンを走らせ、ちぎってレイチェルに渡す。


「乗った!」


____________


「いらっしゃいませー!」


 まだあどけなかった少年がはじめてこの店を訪れてから、十年以上もの時が経っていた。

 年齢を理由に店主が退いたということを聞いて訪れた彼を出迎えたのは、カランカランと鳴る変わらないドアベルの音と、あの時とは違う元気いっぱいの希望に満ちあふれた声。

 華やかながら決してくどくない内装は、店主のセンスの良さを感じさせる。そして店主と思しき若い女性の笑顔を絶やさず、出しゃばり過ぎない接客は見ていて心地よい。何より置かれている商品は目の肥えた彼ですらなかなかと思わせるものが多かった。


「何かお探しでしたか?」


 かつての面影を探すように、きょろきょろと店内を見渡す男に店主の女性が声をかけてくる。


「いえ、昔こちらのお店に来たことがありまして、ずいぶんと雰囲気が変わったなぁと」


「ああ!そうだったんですね!私は五年前に前店長に頼み込んで雇ってもらって、最近やっと任せてもらえるようになったんです。私も前の雰囲気は好きだったんですけど、若いんだから自分なりに考えていろいろやってみろと言われまして」


「なるほど……特にこの町の変化はまるで激流のようですからね」


 男は仕方ないことだと小さく笑う。

 それでも変わってしまった自らの商人としての原点とも言える場所、そこに寂寥感を抱かなかったといえばうそになる。


「はい。だけど何でも変えればいいというものではないと思うんです。このお店が本当に好きで今でもずっと通い続けてくれる人達がいます。その人達を失望させるようなことは絶対にしたくないし、してはダメだと思うんです。だからお金儲けばっかり考えるんじゃなくって、前の店長の大切にしてきたものをしっかり受け継ぎながら、でも私らしさや時流に乗ることも忘れずに。難しいですが私なりに頑張ってみるつもりです」


 あの日、男が教わった商人にとって大切なことの意味。一端の商人となった今ならば分かる。商人である以上、儲けを出すことは大前提。しかしそればかりに執心してきた者たち、商売を通して何を成すのかという信念もなく、取引先や従業員、顧客を金儲けの道具としか見ない者たち、彼らの辿る末路はいつも同じであった。

 だからこそ男が自らと同じく、それを根底に据えるまだ二十歳ほどの女性店主に親近感を覚えるのは無理からぬことであった。


「そうですか……これからどうなっていくか楽しみです。また、来させていただいても?」


「ええ、もちろんです!あ、メリッサです」


 メリッサが花のような笑みを浮かべて、右手をすっと差し出す。


「リチャ……こほん、リックです、よろしく」


 リックは差し出された右手をしっかりと握り返す。


「リックさんですね、よろしくお願いします。今後ともごひいきに」


 そんな出会いを果たしたふたりは紆余曲折を経て結婚するまでになるのだが、それはこの出会いの日から実に二十年余りの時を要するのであった。



※どうでもいい補足

メリッサはシルに先を越されます。

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