SS4-2 オールディス商会にて

「いらっしゃいませ」


 落ち着きのある口調と背筋を伸ばして股関節から折りたたむ丁寧なお辞儀、それは訪れた者にこの店が一流だと思わせる、そんな所作。

 そしてきちんと教育が行き届いている彼らは、カペラの有名人であるセアラの姿を目の前にしても顔色一つ変えることはない。


 昨日の計画を実行に移すべく、夕方のオールディス商会へとやってきたセアラとメリッサ。レイチェルには目的は告げず夕食に誘い、仕事が終わるころ店まで迎えに行くと伝えていた。


「じゃあ、どこから見る?」


「やっぱり服かな、あとは鞄とかその他もろもろって感じで」


____________


「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか?」


 セアラとメリッサが婦人服売り場に訪れると、すかさず一人の女性従業員が声を掛けてくる。


「あわわ、えっと、その……」


「大丈夫です、ゆっくり見させてもらいますね」


 慌てるセアラとは対照的にメリッサが落ち着いて答えると、女性従業員は『いつでもお声掛けください』と上品な笑みを浮かべて去っていく。


「慌てすぎ。他のお店の調査なんてどこでもしてることなんだから、堂々としていればいいのよ」


「そ、そうよね。うん」


 胸に手を当てて息を吐き、落ち着きを取り戻そうとするセアラ。そして『ヨシ!』とこぶしを握って気合を入れるその仕草を不覚にも可愛らしいと思ってしまい、『ちょっと天然が入ってるところがウケるのかしら』と真剣に考えるメリッサ。


「さ、じゃあせっかくだし偵察ついでに買い物でもするとしますか。あとでベビー用品も見に行きましょ」


「うん、楽しみ」


____________


「……メリッサ、それ全部買うつもり?本来の目的覚えてる?」


「分かってないわね、こうして自分のお金を使うからこそセンスが磨かれるのよ」


 次々と目についた服を手に取り、そのまま抱えていくメリッサ。

 なんとなくそれっぽいことを言ってはいるが、好きな仕事とはいえ、やっぱりストレスは溜まってるんだなとセアラがその様子を見守っていると、後ろから聞きなれた声で呼びかけられる。


「セアラ」


 思わぬ場所で自分を見つけ少し浮かれた夫の様子に、セアラは驚きとともに破顔する。


「今日はメリッサと一緒だったんだな」


「はい、アルさんはどうされたんですか?」


「依頼完了の報告だよ。今回はここの商会長からの指名依頼だったから」


 そう言ってアルが左足を引いて半身になると、上品な銀縁の眼鏡に明るい茶髪をオールバックにした男性、オールディス商会の若き商会長、リチャード・オールディスがセアラの前に穏やかな笑みを携えて進み出る。


「お久しぶりですね、セアラさん。日ごろからご贔屓にしていただきまして、ありがとうございます」


「ご無沙汰しております。いつ来てもあれこれと目移りしてしまって、本当にいくら時間があっても足りませんね」


 負けじと穏やかな笑みを返すセアラ。『悪いことをしている訳では無い』 、そう言い聞かせた彼女の精神は、突然の商会長の登場というサプライズにも微塵も揺るがない。


「光栄ですね。本日はなにかお求めでしたか?」


「レイチェルさんが仕事を終えられたら食事をご一緒する予定なので、ついでに少しベビー用品などを見せて頂こうかと」


「なるほど、それはタイミングが良かったですね。ちょうどアルさんをご案内させて頂いている最中でしたので」


『そうなんですか?』というセアラの視線にアルはこくりと頷く。


「せっかくこんな大きな店に来たから下見だけでもと思ってな。そう言ったらわざわざ案内して下さるって言われるんで、お言葉に甘えさせてもらったんだ」


「ついでに依頼を早く終わらせていただいたお礼に、お気に召すものがあればお贈りさせていただきたいと」


 最高級の化粧品を作るための素材を採集するというのが今回の依頼。その化粧品の要となる素材は希少なモンスターから採集しなくてはならないため、通常であれば一週間、下手をすれば一か月以上はかかってしまう。そんな高難度の依頼を、アルは日帰りでこなすという離れ業をやってのけていた。

 そのおかげで入荷を待っていた上客からは厚い信頼を得ることができ、代金の上乗せも十分に期待できる。であればオールディスとしてはアルとの今後の良好な関係のために追加報酬を、となるのも当然のことであった。


「それに関してはお断りしたはずですよ。早く終わらせたのはこちらの事情、お為ごかしをする気はありません。何より知り合いが当該モンスターの生息場所をたまたま目撃していたという幸運があっただけです」


 セアラがくすっと笑う。アルの言う知り合いというのが父親である魔王アスモデウスであることなど、この場の誰が想像できるだろうと。


(でも、事情って何だろう?)


「では依頼とは関係なく、一人の友人としてお祝いを贈らせていただくことにしましょう」


 この問答はオールディスにとっては完全に想定していたもの、柔らかな笑みを崩すことなく即座に次の手を打つ。これ以上断っても無駄なことを悟り、アルはふぅとため息をついて『分かりました』と返す。


「さて、それでは行きましょうか。そちらのお友達はどうされますか?」


「お、お、お、お供させていただきます!」


____________


「ねぇ、メリッサ。さっきのテンションは何なの?」


 談笑しながら前を行くアルとオールディスと少し距離を置き、二人には聞こえないように小声で尋ねるセアラ。


「しょ、しょうがないでしょ?カペラで商売してる私からしたら雲の上の存在なのよ?」


「あれ?会ったことなかったっけ?」


「ちらっとならあるけど、こんなふうに会話することなんてないわよ」


「ふぅん」


 確かにオールディスは貴族家の三男という微妙な立場でありながら、その卓越した商才で三十代半ばという若さで巨大商会を作り上げた。だからこそ、メリッサの抱くその感覚自体は正しいものではあるとセアラは思う。

 ただ英雄と称されるアルに対する気安い態度を見ていると、どこか釈然としない気持ちになるのも確か。


(まあでも、気持ちは分からないでもないかな)


 同じ世界に身を置くからこそ感じる『凄み』いうものは確かにある。剣を持つ者たちが憧れるアルの圧倒的な強さのように。そしてセアラを含む、名だたる魔法使いたちが認めるシルのきらめく才能のように。


「先ほどレイチェルにもキリの良いところでこちらに来るよう言付けましたので、ご希望のものを選びながらお待ちください」


「お気遣いありがとうございます。アルさん、どうしましょうか?」


「うぅん……」


 あまり高価なものは気が引けるが、かといって遠慮しすぎたものを選んでも、オールディスの顔をつぶしかねない。こういうのは苦手だと、アルはセアラに目で助けを求める。


「すみません。なにぶん初めてのことですので、色々とご教授いただけますか?」


 セアラが軽く手を挙げ、近くに待機していた壮年の女性従業員に声をかける。

 売り場に精通した従業員から勧められたものであれば、何を選ぼうと角が立つはずもない。

 言われてみればごくごく簡単なことではあるのだが、こういうことが咄嗟に出来ないほど自分は人に頼ることに不慣れだとアルは改めて実感する。


「さて、メリッサさん」


 熱心に従業員の説明に耳を傾けるアルとセアラを確認すると、オールディスは手持無沙汰なメリッサに向き直る。


「……?私のことをご存知なのですか?」


「そう緊張なさらず。実は何度かお店のほうにお邪魔したことがありましてね」


「ええ?そ、そんなはずはありません。小さな店ですから、もしも商会長がお越しになられたら気付かないはずが……」


「では……こうしたらいかがでしょうか?」


 今までかけていた銀縁の眼鏡を外し黒縁のものをかけると、明るい茶髪がアルのような深い黒へと変化する。さらにオールバックに躾られた髪をわさわさと無造作に崩すと、メリッサの目が驚きによって見開かれる。


「え……?えっと、リック、さん……?」


 その姿は紛れもなく、これまでに何度も私的な会話を交わしている常連客の一人のもので間違いなかった。


「驚かせてすみません。これは私が他店の調査に出るときに使用している、変装用の魔道具でして」


「あ、なるほど……」


 なるほどと言ったものの、メリッサの頭の中はクエスチョンマークが未だ溢れかえっており、リックとリチャードが同一人物であるということに理解が及んでいない。


「案外気が付かれないものですね。さすがにリックなんて安直かと思ったのですが。おかげさまで自信がつきましたよ」


 メリッサの困惑を受けて、オールディスはおどけたように言う。世間一般では平民の名前として使われることもある『リック』という名は、リチャードの愛称としても知られている。そして実際にオールディスは子供のころにはそう呼ばれていた。


「だ、だってまさか天下のオールディス商会の商会長が、あんな小さなお店に来るなんて普通思わないじゃない?あ、じゃなくて、普通思いませんよ?」


 見た目に引きずられていつもの口調になってしまうと、メリッサはしまったと慌てて訂正する。


「ははは、そんなに畏まらないで、いつも通りに接してください。呼び名もリックで構いませんよ」


「で、でも、私だけがそんな……」


 今までは同年代と思っていたリック、その正体がオールディスであるのならば年も立場も自分よりずっと上の存在ということになる。


「……では、私が口調を改めたらどうですか?」


 どうあってもそうして欲しいという圧力に、メリッサは目をぎゅっと閉じて逡巡し、やがて観念したようにその目を開く。


「…………それ、なら……」


「じゃあ改めて、リチャード・オールディス、リックと呼んでくれ。よろしく」


「あ、よ、よろしく」


「お待たせーって……どういう状況?」


 仕事を終えたレイチェルが到着するなり首を傾げる。もちろんアルとセアラは容易に分かる、産まれてくる子供のため、ベビー用品の選び方について色々と講義を受けているのだろうと。だが残る二人、メリッサと変装したオールディスがなぜに握手をしているのかさっぱり分からない。


「あ、レイチェル。えっと、これは……実はうちの常連さんがオールディスさんで……」


「リック」


「あ、うん」


「これから改めて友好を深めていきましょうの握手さ」


 最初は怪訝そうに二人を見ていたレイチェルであったが、自分のことをわざわざ愛称で呼ばせるという『らしくない』行動、そして調査と称して足繁くメリッサの店に通っていたという事実にピンと来る。


「んふふ……じゃあ~、それならもっともっと仲良くなるいい機会っていうことで、今からみんなでご飯食べに行きましょうよ。もちろん商会長のおごりで!あ、夫も呼んでいいですか?」


 計画を根底から覆すレイチェルのその提案に、メリッサとセアラがびくっと肩を震わせる。


「で、でもほら、リックだって商会長ともなれば、夜はやっぱり会食とかで忙しいんじゃ……」


「別に構わないよ?もちろんメリッサとセアラさんがよければの話だけど」


 メリッサが言葉を間違えたと笑顔を引きつらせる。『今日は女子会だからまた今度』とでも言っておけば、すんなりと収まったはずであった。

 ちらっとセアラを横目で見るが、ふるふると首を振って打つ手なしといった様相。


「じゃ、じゃあ、みんなで行きましょうか!あはは、リックがおごってくれるならいいワインでも開けちゃおっかなぁ?」


 この店にそぐわない、もはやヤケクソ気味なメリッサの声は物悲しくフロア中に響き渡っていた。

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