SS3-3 理想のお家
「任せるって……どういうことですか?」
当然の疑問をアルが口にすると、アキラは姿勢を正して座り直し、深く頭を下げる。
「まずアルさん、セアラさん、私たちのことを本当に気にかけていただきましてありがとうございます。ですがこちらの世界に来たこと、確かに想像範疇を超える出来事ではありましたが、私たちにとっては悲観するものではなかったのです」
決して裕福ではなかった家庭に育ったアキラは、奨学金で通った大学で建築学を学ぶと、卒業後は奨学金を返しながら十年ほど経験を重ね、カオリとの結婚を機に独立して事務所を構える。
持ち前の勤勉さと才能によって順調に名が売れたことで金回りがよくなった彼は、次第にその才能ではなく、不動産投資によって金を得ることに熱心になっていく。
「仕事を通じて知り合った人の助言もあり最初は順調でした。いえ、それすらも計算のうちだったのでしょう。カネの使い方を知らぬ私などいいカモでした。騙されて借金を背負い、一つ、また一つと手にしたものが離れていき、最後には事務所も畳まざるを得ませんでした。すべてを失ってしまったと、そんな風に思っていた私に最後に残された大切なもの、香と唯と大……恥ずかしい話ですが、そうなってからようやく気が付いたのです。いつしか手段が目的になってしまっていたことに」
「これが浮気でもしてたら、ビンタの一発でもして離婚してやろうかとも思ったんですけどね。私たちにいい暮らしをさせたいって思いからだって言うなら、それは違うかなって」
「いや、ビンタはしたよな?」
「それはあなたが『離婚しよう』だなんて言うからでしょ?そんな腑抜けた責任の取り方は無いわ」
軽々しく話す内容では無いことは明らか。それでもこの場の雰囲気が重くならないようにと、軽妙な掛け合いで笑い話として話す二人の姿にアルとセアラは改めて信頼できる人たちだと認識するのだった。
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「活き活きしてますね」
森の中の自宅でアルの口からもれる感想。対面式のキッチンから見えるリビングルームでは、セアラとシルから次々と出てくる希望を一心不乱にメモしていくアキラの姿。
「結局、あの人にはそれしかないんです」
隣で一緒に夕飯の支度をしているカオリに視線をやると、その辛らつな言葉とは裏腹な柔らかな横顔。
「お金なんてほどほどでいいんです、どうせ人の欲に限りはないんですから。上ばかり見て身近にある大切なものが見えなくなるくらいなら、少しばかりお金に苦労したって、地に足をつけて好きなことに打ち込んでいるほうがずっといい」
その言葉はアルに何度も繰り返した自問自答を想起させる。これから進むべき道を定めたとはいえ、これで本当に良かったのか。不安はずっと心の奥に残っている。
「……私は自分のことは良く分かっているつもりです。人よりも戦うことが得意なだけ、単に子供の頃にお世話になった人の影響で、困っている人を黙って見過ごせない性分なだけなんです。だけど、いえ、だからと言うべきですかね。人の人生を左右するようなところまで踏み込むのは、どうしても躊躇してしまうんです。それが分かっているから、セアラとシルと、大切な人たちを守って暮らしていければそれでいい。そんなふうに思っていた自分が、赤の他人をここに受け入れるなんて分不相応だと思うんです」
普段は年上かと思うほどにしっかりしている印象ではあるが、そうして不安を吐露する様は、やはりまだ二十歳そこそこの若者なのだとカオリは再認識する。
「前にセアラさんとリタさんと一緒にお酒を飲んだ時、セアラさんにアルさんのどんなところが好きなのか聞いたことがあるんです」
「いつの間に……」
アルの知る限り、セアラが家で酒を飲む機会はほぼ無いと言っていい。そんな疑問を察したカオリがふっと笑う。
「ふふ、アルさんが泊まりで依頼を受けていた時です。もちろんセアラさんはアルコール無しでしたけどね。一人で寝るのは寂しいからって言われてましたよ?」
「そうですか……」
「『あんなに優しい素敵な人はいないですから』って言われていました。私、正直、意外だなって思ったんです」
カオリの言わんとすることは何となくアルにも理解出来る。優しいというのは褒め言葉ではあるが、異性に惹かれる理由としては弱くも感じる。
「でも……」
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「優しい人なんて珍しくもない、ですか?」
カオリにそう言われたセアラは目を丸くして首を傾げる。
「もちろんダメって訳じゃないんですけど……人に優しくするのって心持ちひとつというか、私から見てもアルさんにはもっといいところがあるように思えるので」
その意見に『なるほど』と言いながら、少し考え込むセアラ。やがてグラスに入ったノンアルコールのカシスオレンジをくるりと回しながら答える。
「アルさんって、誰からも優しいと思ってもらえるような人じゃないんですよ。誤解されやすいと言いいますか……特に付き合いが浅い方はそれが顕著で」
果たして会話の流れは合っているだろうかと言いたげなカオリの様子に、セアラは慌てて続ける。
「ええっと、アルさんってギルドでは指導員的なこともしてるんですよ。例えば模擬戦で何も考えずに打ち込んできたりしたら、それはもうこっぴどく返り討ちにするんです。あとは依頼の手伝いをするときなんかは、相手の実力に合わせて手伝う度合いを変えたりしてて。それが最初のうちはひどいと思われてしまうようで、でもそれは全て相手の成長を思ってのことなんですよね。だからこの言い方が的を射ているかは分からないんですけど、アルさんは相手によく思われることよりも、相手のことを思う方なんです。そういうところが私には優しいと感じられるという話で……」
「相手のことを……」
その言葉にカオリはアルと出会った時、強く咎められたことを思い出していた。
あの時は全てが突然で理解が追い付かなかったが、今にして思えば危険な領域に足を踏み入れた自分たちのことを思った行動だったと分かる。たとえどう思われようとも、それで二度と踏み入れないのであればそれに越したことはないと。
「えっと、どうでしょう?これで答えになったでしょうか?」
そして自分たちが転移者であることを知ると『事情も知らずに申し訳なかった』と、こちらが恐縮してしまうほどに頭を下げ、身の振り方が決まるまでこの家に住むことを提案してくれた。
「……セアラさん、間違ってますよ。優しいじゃなくて優しすぎるんです。いつか手酷く騙されたりしてしまいますよ?」
「ふふ、そうですね。でも、アルさんはきっとそれでもいいと思っています。自分が信じられると思った人であったのなら、それは自分の選択が間違っていただけで仕方のないことだと」
「そ、そんなことっ!」
カオリからすればお酒の席での軽口ではあったが、セアラの返答は全くもって思いもよらぬもの。それを否定しようと声を上げるも、セアラは必要ないとばかりにふるふると首を振って柔らかく微笑む。
「たとえアルさんが世界中のすべての人に裏切られたとしても、私だけは絶対にそばにいます。そうすれば彼は彼のままでいられますから、私の大好きな彼のままで」
カオリには何となく分かる。決して熱に浮かされた故のの自意識過剰な発言などではない、二人が共に乗り越えてきた日々がそう言わせているのだと。そして同時に考えてしまう、自分の半分ほどしか生きていないこの年若い夫婦は、いったいどれほどの経験をしてきたのか、と。その日々に思いをはせるだけで胸が痛くなる。
「……そんなことを言わないでください。私も、私たちもここにいますから。いただいた恩を返さないと」
ようやく絞り出した言葉に、セアラは困ったような笑みを返す。
「お気持ちは嬉しいのですが、きっとアルさんならこう言うでしょうね」
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「セアラさんの言った通りでした。『恩返しのためなどではなく、私たち自身の幸せのために生きて欲しい』と……それにしても、ただ純粋にすごいなと思いました。普通言えませんよ?『私がそばいれば彼は彼のままでいられる』だなんて」
否定はせず、気恥ずかしそうに頬を掻くアル。その反応をカオリはくすくすと笑って楽しむ。
「私には分不相応かどうかを判断することは出来ません。ですがセアラさんが反対していない、それは一つの答えなのではないしょうか?」
『確かに』とアルは思う。出会ったころは全てに肯定的だったセアラだが、今は自分の意見をハッキリと伝えてくれる。反論出来ずにいるとカオリが『それに』と詰め寄る。
「他人の人生の責任をどうしてアルさんが負う必要があるんですか?そもそも全ての責任は自分自身が負うもの、誰かに委ねるものでもなければ、ましてや誰かのせいにするものでもありません」
カオリの目は同意を求めると言うよりも、アル自身もそう思っていることを確信している。そうでなければ、自分が信じた人になら騙されても仕方ないなどとは到底言えない。
「私たちにとって一番幸運だったこと、それはもう一度頑張れる場所をいただけたことです。きっとこれからここに来る人たちにとってもそうです。だから何も心配する必要なんて無いんです」
「……ありがとうございます」
他でもない、当事者からの言葉だからこその重み。カオリは小さく笑みを返すと、手際よく夕食の下ごしらえを始める。
「アルさん!みんなで住む家なんですから、私とシルの希望を盛り込んだだけじゃダメですよ」
「いや、希望って言ってもな……」
先ほどから漏れ聞こえてくる二人の希望だけで自分のそれを完全に網羅しており、もはや出る幕など皆無と言っていい。つまりアルとしては夕飯の支度を優先させたいところ。
「アルさん、こういう話し合いには参加すること自体に意味があるんですよ?もしも参加せずにぽろっと『ああしたほうがよかったなぁ』なんて言った日には……」
光を反射させた包丁をチラつかせながら妖しく笑うカオリ。アルはごくりと喉を鳴らすと、手を洗いながら『夕飯はお願いします』と言ってリビングのテーブルにそそくさと着席する。
「パパ、お風呂は泳げるようにとびっきりおっきいの作ろうよ!十人、ううん、百人くらい入れるやつがいい!」
「大きすぎだろ……誰が掃除するんだよ」
「いいなぁ、私も一緒に入っていいよね?」
キャッキャと盛り上がる女子二人。それを羨ましそうに眺めながら、ぼそっと『僕も一緒に入りたいな』と言うダイ。アルとしては助け舟を出してやりたい気持ちもないわけではないが、いくら子供とはいえシルと一緒に風呂に入ることなど許されない。
「そういえば温泉を探そうと思ってたけど、後回しにしてたな」
「いいですね、天然温泉かぁ。楽しみですねぇ」
ルシアからしばらく家を建てるのは無理だと言われ意気消沈していたが、今は夢は膨らむばかりといったセアラ。アルは頬を緩ませアキラがここにいてくれることの幸運を噛みしめる。
「近くに火山もあるようですし、温泉が出る可能性は十分あると思いますよ。湯量によっては一つの産業にもなるかもしれませんし。ああ、そうなったら温泉宿も作らないとですよね!いやぁ、忙しくなりそうだ」
その一方、この先の人生が恩を返すだけではない、これから一つの集落が生まれるその中心で一人の建築家として尽力できることの幸運をアキラは噛みしめる。
「はは、その前に家をお願いしますね」
その後、ルシアから取り付けたラズニエ王国の協力を得て、まずはセアラとシルの希望がたっぷりと詰まった、それこそ瀬奈の家にも負けないほどの見事な庭付きの家が一年後に出来上がる。そして雇用の創出と領地にお金を落としてもらうための目玉、レジャープールのような天然温泉を備えた巨大温泉宿が誕生するのは、この日から約三年が経った頃であった。
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