SS3-2 思わぬ提案
「なんて言うか……絵に書いたような温泉街、って感じだな」
「うん、こうやっていろいろな種族の方がおられなかったら、とてもここが違う世界だなんて信じられない……」
呆然と町の様子を眺める夫婦の会話にルシアがくすっと笑う。
「アキラさんとカオリさんのように、実際に日本からの転移者にそう言ってもらえるのはうれしい限りね」
アルが異世界へと迷い込んだ家族を保護して約一か月。ようやく父親であるアキラが問題なく動けるほどに回復したことで、リタの提案通りルシアの招待に応じて「クサツ」を訪れた二組の家族。
ところどころから上がる湯けむりと、かすかに鼻腔をくすぐる硫黄の香り。そして神族と魔族は居ないものの、獣人や妖精族、もちろん人族と、多種多様な種族がともに暮らすラズニエ王国の首都。アルとセアラが目指す一つの形がそこにはあった。
「それにしてもまさか温泉街を首都にするだなんて……それで、この格好である必要がありますか?」
着いて早々、半ば強制的にルシアによって着せられた浴衣に目を落とすアル。ちなみに男性は紺色で、女性はえんじ色。子供は動きやすいようにと同じ色の甚平が用意されていた。
「だってせっかく、やっっっと来てくれたんだから、しっかりと我が国の文化を堪能していってもらわないと」
そこまで言うと、笑みを深めたルシアがこそっとアルに右側から耳打ちする。
「それに男の人はみんな女性の浴衣姿が好きなんでしょう?」
つないだ左手の先、新婚旅行以来のセアラの浴衣姿を見て、『否定はできない』とアルは思う。
まだお腹こそ目立っていないものの、安定期に入り少しふっくらした印象のセアラ。その女性らしい丸みを帯びたラインが浴衣とマッチして、普段とは違う色気を感じさせていた。
「ねぇねぇシルちゃん、あっちに行ってみようよ。お土産がいっぱい売ってるよ」
「ホントだ、行こうよシルお姉ちゃん」
シルより一つ年下の姉の
「ユイ、ダイ、ちょっと待ってよ」
シルが許可をもらおうと大人たちに視線を送ると、それに気が付いたルシアがセアラとカオリに向かって何事かを言う。そして二人は頷いてからシルに微笑んで手を振る。
「行っておいで、私たちはあのお店で休憩してるから」
「シルちゃん、お願いしてもいいかな?唯、大、シルちゃんから離れないようにするのよ」
「うん、大丈夫だよ。なんてったって私が一番お姉さんだもんね。じゃあ行こ」
妹と弟が出来たようでうれしいのか、胸を張り、耳をぴんと立てて誇らしげに言うシルに大人たちの頬が緩む。
「……ははっ、あれじゃあ誰が見に行きたがったのか分からないな」
見送るアルの視線の先では、二人に腕を引かれて店に入っていくシルの甚平から覗いた銀色が楽し気に揺れている。
「それだけシルにとってここが魅力的ということだと思います。なにせこの世界でアルさんの故郷の文化に触れられる唯一の場所ですから」
『もちろん私にとってもそうですけど』と付け加えるセアラの眩しい笑顔に、アルは結婚式の日の忘れられない出来事を思い出す。
新婚旅行でラズニエ王国を初めて訪れた際、心地良さと同時に去来したのは郷愁。この世界でセアラと結ばれ、シルを娘として育てようと決意して、それでもなお整理のつかなかった感情。
そして迎えた結婚式の日、ようやく踏ん切りをつける意味で瀬奈のことを初めて話したアルにとって、セアラの反応は思いもよらぬものであった。
(俺が向こうの世界に行くこと、先生に会うことに不安が無かったはずがない。それでもセアラは俺のためならばと、いつだって迷わず背中を押してくれた)
「……俺はそんなセアラに惚れたんだろうな」
相手を欲するのではなく、相手の幸せを心から願う、そんな愛の形をセアラから学んだアルは彼女を幸せにしたいと心から思う。
「アルさん?どうしたんですか?」
握った手にかすかな力と熱を感じたセアラが、首をかしげながらアルを見つめる。
「ん、俺は幸せ者だなって」
「!?……ふふ、私もです」
不意を突かれて一瞬固まったセアラであったが、すぐに元の柔らかな表情を取り戻す。
そんな若い二人のやり取りをアキラとカオリは微笑ましく眺め、ルシアは『ごちそうさま』とでも言いたげにため息をつく。
「それにしても、新婚旅行でアリマを訪れた時にも驚きましたが、ここはそれ以上ですね」
遠目に見える商店に並べられた土産は煎餅や饅頭といった和菓子、プリントクッキーやチョコレートといった食べ物から、龍や剣を象った謎キーホルダー、『草津』と漢字で書かれたタペストリーや提灯、そして極めつけには木刀という雑多なラインナップ。実際の草津がそうであるかはアルには分からないが、この町の雰囲気はかつて修学旅行で訪れた観光地を想起させる。
その少し呆れたような、しかしどこか懐かしさを感じている横顔を覗き見ていたルシアが小さく笑う。
「いつかユウキが言ってたわ。これから先、この世界に迷い込んだ日本人が少しでも懐かしさを感じられる場所を作りたい。だから自分がいなくなっても、私にこの風景を頼むって……変な話だけど、私にはまるで誰かを思い浮かべていたような、そんなふうに見えたのよね」
「……そう、ですか」
そのアルの反応に満足したのか、それ以上は深入りすることなく、ルシアはまるで肩の荷が下りたとでも言うようにぐっと伸びをする。
「さ、それじゃあお茶にしましょうかね。いろいろと話さなきゃいけないことがあるみたいだし」
「ええ、そうですね」
____________
「ふぅ、おいしい」
和モダンな装いの喫茶店、セアラがカフェインレスのコーヒーを飲んで一息つくと、店内にいた男性客たちから思わず感嘆のため息が漏れる。
「あの、もしかしてセアラさんは有名人なんですか?なんだか先ほどから……」
自分たちのテーブルに注がれている視線に、カオリが落ち着かない様子で尋ねる。
「いえいえ、そんなことないですよ?」
現状は各国が敷いた箝口令によって『戦場の女神』という名が独り歩きしている状態。表向きはセアラたちが穏やかに暮らせるようにという配慮ではあるが、決してそれだけが目的ではない。
もしも世界を駆け巡りモンスターを倒し続けた『戦場の女神』の素性が見目麗しいハイエルフであることが、ソルエールで一番の武功を上げた『英雄』が魔王アスモデウスと女神アフロディーテの息子であることが、そしてその二人の娘が稀代の力を持つ聖女であることが知られたのならば?
誇張なしに世界の勢力図は激変してしまう。それが各国が共通して抱く認識であるゆえに、二人の素性は未だ世に知らされぬままであった。
「カペラならともかく、遠出するといつもこんな感じです。キリが無いので声を掛けてこない限りは放っておくことにしてますけど」
そう言いながらもきっちりと睨みを効かせるアルに客たちは慌てて視線を逸らす。
そしてそんな説明を受けたアキラとカオリは一旦納得しかけるが、『逆にその方がすごいのでは?』と顔を見合わせ目を丸くする。
「それはともかく体調の方は大丈夫?ついはしゃいで連れ回しちゃったけれど」
「はい、ご心配ありがとうございます。確かに以前よりは少し疲れやすくはなっていますが、適度な運動は必要なのでこうした散策はちょうどいいですよ。それにカオリさんがいてくれるから安心なんです。母はどういうことに気を付けたらいいのか聞いてもいまいち頼りなくて」
「あははは、エルフなんてそんなものよ。少しくらい体調が悪いとかあっても、大抵のことは魔法で済ませちゃうから」
『実際それで十分すぎるほどに長寿なんだし』とルシアが言うと、セアラも笑みを浮かべて首肯する。
「私もわざわざ魔法に一切頼らずに苦労するべきだとは思いません。便利なものを使って楽をすることは、手を抜くこととは全く違いますから」
「あら、セアラならてっきり魔法に頼らずに、しっかり手をかけたいって言うものだと思ったのに」
「ふふ、これも実はカオリさんの請け売りなんです。何事も頑張るのはいいことだけれど、それだけじゃ子育ては上手くいかない」
セアラはそう言って目を閉じ、カオリの言葉を思い出す。
『どれだけお金や手を掛けたのかを誇るより、楽しいときには一緒に笑って、悲しいときにはそっと抱きしめて、間違えてしまった時にはきちんと叱って、それだけでいいんです。そうやってどんな時も真正面から向き合って愛情を注ぐことに手を抜かなければ、子供たちはまっすぐに育ってくれる。私はそう思うんです』
まじめな性格ゆえに何でも完璧にこなそうとしてしまうセアラ。ましてやその身に宿るのは一度自らの命と引き換えに失った命、気負ってしまうのも無理もない。何が正解か分からない手探り状態のなか、今まさに二人の子を育てているカオリの言葉は彼女にとってまさに金言であった。
「へぇ、なるほどねぇ」
含みを感じさせるルシアの微笑みに、少しの引っ掛かりを感じるアルとセアラ。それはルシアと初対面の二人ではまったく気づかない、その程度の違和感。
「私自身もまだまだ親として未熟です。ですが未熟なりにも自分が教えてもらったこと、経験したことをお伝えすることは出来ます。いただいたご恩を返すには全く足りませんが、少しでもお役に立てればこんなに嬉しいことはありません」
カオリの言葉にアキラも同調して頷くと、ルシアはそんな二人の様子に目を細める。
「ま、うちとしては二人を受け入れることに全く問題はないわ。あとは本人たちの意思ね」
「受け入れる?この国に来たのはそういうことだったんですか?」
アキラが驚いた様子で問いかけると、アルはこめかみを押さえながらルシアに呆れを含んだ視線を送る。ルシア、リタ、ドロシーと、どうもエルフの女性たちとは相性が悪い。
「……そうですね。見ていただいてお分かりかと思いますが、ここが一番日本に近い生活を送れると思います」
「私たちの家はやはり少し不便ですから。とくにまだ小さなお子さんがおられる状況では、ラズニエ王国できちんと保護していただく方が……」
「……すみません。お二人が私たちのためにとご配慮下さったことも、それを断ることが出来る立場ではないことも理解しています。ですがまだ私たちは何もお返し出来ていません」
アルとセアラにとってこの返しは予想外というわけではない。二人が自分たちに大恩を感じていることは十分に感じており、何か返したいと思うことも理解できる話。
「お気持ちはありがたいのですが、それはこの国で生活の基盤を固めてからでも十分です。それにラズニエ王国は誰でも教育を受けられる国、子供たちのためと思って折れてもらえませんか?」
「……子供たちのためと仰られるのであれば、尚更受け入れることはできません。間違いなくシルちゃんと離れたくないと言うでしょうから」
確かにシルに懐いている二人、だがそれだけでは説明できないカオリの物言いにアルとセアラは続きを待つ。
「アルさんに助けられた日の夜に二人が突然泣き出したんです、目を閉じると昼間のことが鮮明に浮かんでくると。そしてそれは私自身も例外ではなく……」
戦場に身を投じてきたアルですら目を背けたくなるほどの惨状。脳裏に焼き付いた死にゆく夫の、父親の姿。それは決して助かったからよかったで終わるようなものではない。一生ものの心の傷になりうる出来事。
「そんな時、隣の部屋からシルちゃんが来て一緒に寝ようって言ってくれたんです。そうしたら不思議と心が落ち着いて、それまでの不安が嘘みたいに朝までぐっすりと」
「それでユイちゃんとダイくんはシルと一緒に寝るようになったんですね……」
得心がいったというように大きく頷くセアラ。シルに何故かと尋ねても、あの部屋に四人は狭いからねと笑うだけ。
本来、黒髪でしか生まれぬはずのケット・シーでありながら輝く銀髪を持つシル。それはこの多種多様な種族が暮らす世界においても唯一無二の存在。その神秘的で特異な見た目に最初こそ忌避感を抱く者もいるが、いつもシルの周りには笑顔の花が咲いている。それは本人ですら自覚の無い、聖女の力とは別のシルだけが持つ不思議な力。
「すみません、恩を返したいと言っておきながら裏でシルちゃんを利用するような真似を」
「……いえ、シルが自らそうしたいと思ったのならば、それは私たちがどうこう言うことではありません」
そう言ってアルはセアラと頷き合う。そうした事情があるのであれば、間違いなくシルは一家をラズニエ王国に引き渡すことに反対する。であれば残された選択肢は一つしかない。
「……私たちの領地で暮らすのであれば、守っていただきたいことがあります。恩を感じるなとは言いません、ですが『私たちのために』という生き方は止めてください。これから増えるであろう領地で共に生きる人たちと力を合わせ、自分自身の幸せのために生きてください。それを守って下さるのであれば歓迎いたします」
「は、はい!ありがとうございます!」
その様子を見守っていたルシアはうんうんと頷くと、両肘をついて『さて』と話題を切り替える。
「もう一つの件だけど、新しい家を建てたいから人を紹介してほしいってことだったわよね」
「ええ、やはり国外に技術を持ち出すのは難しいでしょうか?」
「そんなことないわよ、陛下からもきちんと契約を交わしたうえであれば問題ないと言われているわ。あとはそうねぇ、あなたたちとのつながりができるいい機会だから、とも言ってたわね」
『それは言っていいのか?』と疑問に思うアルとセアラであったが、すぐにそれが許されるのがこの国におけるルシアの立ち位置なのだろうと思い至る。
「ただねぇ、ソルエールの大戦が終わってから世界的に稀にみる好景気でしょ?そんなわけでうちも例にもれず、なかなか人手が追い付いてなくてね。作業員ならともかく、図面を引いて現場を指揮出来るような人材を今すぐにっていうわけにはいかないのよ」
「……そうなんですか、自国の発展を優先させることは当然のことですものね。気長に待つことにします」
新築の家を誰よりも楽しみにして、期待に胸を膨らませていたセアラ。分かりやすくがっかりして肩を落とすと、アルがぽんぽんと背中を軽くたたいて慰める。
「あの、すみません。少しよろしいでしょうか?」
静観していたアキラが右手を挙げて場の注目を集める。
「その家というのは、あの森でアルさんたちが住まれる家ですか?」
「ええ、そうですが……」
アルが質問の意図をとらえかねていると、アキラは椅子が倒れそうな勢いで立ち上がり胸をたたく。
「それであれば私にお任せくださいませんか?必ずや満足のいくものを作り上げてみせます!」
※補足
言葉が通じているのはアルたちが翻訳魔法を使っているからです。本編最終話でセアラとシルが瀬奈と会話できたのも魔法のおかげです。
前回補足しておくべきでした、すみません。
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