最終話 願いが紡ぐ未来(後編・アル)

「貴重な時間を良いのか?」


 夜とはいえ今は八月の下旬、まだまだ暑さが厳しい。額に光る汗を拭いながら草取りに精を出していると、なぜか缶ビールを片手に縁側に座ったクロノス様に問いかけられる。


「いいんですよ、今はセアラとシルに任せる時。それに……瀬奈先生と話す前にクロノス様と話をしておきたかったので」


「……いいだろう」


 クロノス様は口元に笑みを浮かべる。まるで俺がこれから何を話すつもりなのか、すべて分かっているとでも言いたげに。


____________


 和洋中問わず、畳敷きの居間の大きなテーブルに所狭しと並べられた料理はきれいに平らげられ、シルが苦しそうにお腹をさすって瀬奈先生にもたれかかる。


「ふぅ、お腹いっぱい」


「お口にあったかしら?」


「はい、とっても美味しかったです。今日はパパの好きなものばかりですね」


「あら、分かるの?」


「はい、いつもよく食べてますし、私の好きなものでもありますから。でも今日のほうが、ほんのちょっとだけ美味しかったです。ごちそうさまでした」


「ふふ、お上手ね。お粗末様でした」


 シルと先生、いつの間にか仲良くなった二人が軽妙に言葉を交わす。

 そういえば先生は猫好きか。俺から言わせてもらえば猫妖精ケット・シーと猫は全然違うと思うんだけどな。そもそもシルの存在を受け入れるのが早すぎないか?確かに都合はいいんだけど。

 シルはもともとが人懐っこい性格。ここに来るまで緊張はしていたけれど、先生がどんな人かを実際に目の当たりにすればあの態度もうなずける。


「瀬奈さん、洗い物は任せてください。シル、手伝ってくれる?」


「うん、いいよ」


「ありがとう、セアラさん、シルちゃん。助かるわ」


 空になった食器を全員で運び、先生があらかたの段取りをセアラとシルに伝える。俺はその間に、昔から使っていたマグカップにコーヒーを淹れ、居間のテーブルを拭いて先生を待つ。


「二人ともいい娘ね。あの二人になら私も安心して有を任せられるわ」


 戻ってくるなり先生はそう言うと、一口コーヒーをすすった後、『いつも危なっかしかったから』と付け加える。

 先生からの印象はたぶんそうなんだろうな。友人は普通にいたけれど、親友と呼べるような相手はいなかったから。


「いつも助けられてるし、おかげで毎日が楽しいよ」


 先生は『そう』と言って口元に笑みを浮かべると、手の中のマグカップに視線を落とし小さく息を吐く。


「……それで?三人の美女に囲まれてのご馳走だったっていうのに、心ここにあらずって感じだった一家の大黒柱さんは、いったい何がご不満なのかしら?」


 これでも表には出さないようにしていたはずなのにな。とは言えセアラとシルがこうして席を外しているってことは、あの二人にも気付かれていたってことだけど。


「……先生、大事な話があります」


「その前に」


 目の前に先生の手のひらが迫ってくる。思わずそのまま張り手をされるのかと思って目を閉じたけれども、結局痛みは訪れず、かすかな風圧だけが顔を撫でる。


「セアラさんから聞いたわ。あなたが本当はこことは違う世界の生まれだってことも、今は向こうに戻って暮らしているってこともね。そこであなたがどんな経験をして、どんなふうに生きているのか、セアラさんが知っている限りのすべてを教えてもらった」


 背筋を汗が伝う。

 次の言葉を待つ間、先生の顔がまともに見られない。


「よく頑張ったわね、有」


「え……あ……」


 いつの間にかに涙がこぼれていることを自覚すると、先生は何も言わずに隣にきてぎゅっと抱きしめてくれる。


「……思い返せば、本当に未熟で上手くいかなかったことが多かったです。だからそんな……」


「そんなことない。あなたは私の自慢の息子よ」


「……ありがとう……ございます」


 話を聞いて思うこともあったはず。それでも尊敬する恩人が短い言葉ですべてを肯定してくれる。これ以上嬉しいことなんてあるはずがない。


「過去を振り返って常に最善の選択ができたと言える人なんていない、だけどその時その時に最善を尽くすことはできる。それだって本当に難しいことだけれどね。有がどれだけ頑張っていたか、セアラさんとシルちゃんが私に一生懸命伝えてくれたのよ」


 先生はまるで宝物を見せてくれるかのように目を輝かせていたと、二人の様子を嬉々として語る。


「こうして今日初めて会った私でも分かるほどのいい子たちが、こんなにも有を慕ってくれている。誇らしいと思うに決まってるじゃないの」


「……あの二人と出会えたことは、俺にとって先生と出会えたことと同じくらいの幸運です」


 これは世辞でも比喩でもない。ソルエールの大戦の後に親父と母さんから言われた明確な事実。もしもセアラの魔力で作られた障壁内部での戦闘でなければ、聖女シルの魔力を体に流し続けていなければ、瀬奈先生に居合を通して教えられた感情のコントロールが身についていなければ……どれか一つでも欠けていれば、魔神の力は俺の心を飲み込んでいたと。


「だからって自分にはもったいないとか言ったらダメよ?」


 頷きながら思わず笑みがこぼれてしまう。ついこの間、母さんに言われたことをここでも聞くことになるなんて……二人が俺の性格を理解しているからこそなんだろうな。


「いつも変わらず味方でいてくれる。大丈夫だと寄り添ってくれる、しっかりしろと背中を押してくれる。だからそんな二人の想いに恥じない自分でい続けようと誓ったんです」


「二人のこと、大好きなのね」


「はい」


 二人のことを思うと温かな気持ちがあふれて、ふと笑みがこぼれる。


「あーあ幸せそうな顔して、ちょっと妬けちゃうなぁ。子供のころは先生と結婚するって言ってたのに。これが親離れかぁ」


 さらっと変なことを言っているけれど、どれだけ記憶をさかのぼっても言った覚えはない。


「そんなこと言ってないですよね?」


「はぁ?言った!言いました!三歳くらいの時に」


「三歳って、さすがに覚えてないですよ……でも今だって先生は特別ですよ、そしてこれからもずっと変わりません。たとえ本当の母親が向こうにいても、セアラ《つま》やシル《むすめ》がいても、それだけは絶対に」


「ふふ、ならいいわ」


 先生は満足そうに笑い、コーヒーをすする。


 沈黙が流れる。先生は俺からの言葉を待っているのだろうか。

 俺が今日ここに来た理由。それは絶対に言わなければいけないことがあるから。でもそれを言ってしまったらもう……


「……ねぇ、有」


「はい?」


「ありがとう、生きててくれて。こうして会いに来てくれて、ありがとう」


 ずるいなぁ、さっきといい、今といい。そんなこと言う人じゃないでしょう、あなたは。なのに……いや、だからこそ心に響くのか。


「ほらほら、泣かないの……って言いたいとこだけど、セアラさんもシルちゃんもいないし、今だけはいいわよね」


 先生は笑顔のまま、目に涙を浮かべながら俺の頭を撫でる。小さいころから幾度となく撫でてくれた優しい手。どんなに心が荒れて冷たくなっていても、たちどころに落ち着き、温かくなる不思議な手。


「こっちに来てから、ずっと夢を見てるみたいなんです。小さいころから慣れ親しんだ場所にセアラとシルがいて、先生も一緒にいて……」


「夢なんかじゃないわ、私はちゃんとここにいる」


「……もう会えないと思っていたんです」


「うん」


「……先生」


「なに?」


「俺は、向こうで生きていきます。セアラとシルと一緒に」


「……うん、それでいい、それがいいわ」


「今まで、本当にありがとうございました。先生に教えてもらったこと、絶対に忘れません」


「うん、どういたしまして。私にとっても、有と過ごした時間は宝物よ」


 これでいい、やっと胸のつかえが取れた気がする。

 今日、こうして先生に会えたのはあくまでもクロノス様の好意。これ以上甘えるわけにはいかない。

 伝えられずに後悔していた言葉を、今こうして伝えることが出来た。それだけで十分だ。

 そして先生に伝えるべきことはもう一つ。どう切り出すべきか……


「あー、もう歳かしらね。涙腺が緩くなっちゃって」


「先生は全然変わってないですよ。若いころからずっときれいなままです」


「ふふ、ありがと。あ、そういえば向こうではアルって名乗ってるのよね?私もそっちで呼んだほうがいいかしら?」


「いえ、先生には今のままで呼んでほしいです」


 名前……少し強引かもしれないけれど、話の切っ掛けには出来るか。


「実を言うと……あっちで違う名前を使っているのは、俺の名前が目立ちすぎるからなんです」


「ああ、日本っぽいから?」


「それもありますが……向こうの世界には、子供ですらおとぎ話の主人公として知っている稀代の英雄がいるんです……」


「へぇ、英雄……」


「ユウキ・アマサワ、先生はこの名前に覚えがありますよね……?」


「っ!?」


 先生の顔が、今日これまでで一番の驚きに染まる。


「それは……私が子供が産まれたらつけるつもりで温めていた名前……で、でも偶然よ、そんなの偶然に……」


「俺も最初はそう思いました。でも先生も知っている、ある方に出会ったことでその認識は大きく変わりました」


「私も知ってる……?」


「はい、俺を先生に預けたオレンジ色の髪をした女性。あの方は『時』の権能を持つ女神様です」


「時?」


「はい、過去にも未来にも渡ることができる正に神の力。もはや『全知』と言っても差し支えありません。だから英雄の名前も、俺が先生に預けられたことも、全ては偶然ではなかったと考えたほうが自然です」


「つまり……」


「はい、向こうの世界で三百年以上前に現れた勇者『天沢有希』、彼はこれから産まれる先生の、『天沢瀬奈』の息子です」


____________


「俄かには信じ難いけれど、こうしてシルちゃんを見てるとあり得ない話じゃないと思ってしまうわね」


 片づけを終えたセアラとシルが同席すると、先生は眠そうに眼をこするシルを膝枕させ、その頭を撫でながら言う。

 混乱不可避なこの状況であっても、落ち着いて話ができるのは間違いなくシルの功績。恐るべしシルのヒーリング効果。


「伝えるべきか悩みました。でも何も知らず、ある日息子が消えてしまうなんてこと、二度も先生に味わってほしくありませんでした」


「……ちなみにそのクロノス様?の助けを借りて、有がその時代の魔王を倒すことはできないの?」


「出来ます。出来ますが……」


 当然俺もそれは考えた。できることならそんなことに先生の息子を関わらせたくはない。だけど、


「創作物とかでよくある、その後の歴史が大きく変わってしまうとか?」


「はい、クロノス様がおっしゃられるには、世界とはそこに住まう者たちの願いの形なんだそうです。そして魔王の脅威によって混沌に満ちた世にあって、天沢有希は世界中の願いを一身に受けた存在であったと。だからこそ、その願いを捻じ曲げれば、世界は今とは全く異なる形へと変容してしまうと」


「うぅん……難しいことはわからないけれど、つまりここにいる有やセアラさん、シルちゃんがどうなるか全く分からないってことよね……それなら有、一つお願いがあるの」


「なんでしょうか」


「私の子、時々でいいから、あなたが戦い方を教えてあげてくれないかしら」


「……え?」


「もちろん武道は叩き込むつもりではいるけれど、やっぱりほら、勝手が違うでしょう?」


 耳に入ってくる言葉への理解が追い付かない。本気ですべてを受け入れ、史実通りに息子を異世界に送ろうとしているのか?


「い、いや、そうじゃなくて。本当にいいんですか?息子さんを危険に晒すことに……」


「あなたも私の息子、だから選択肢なんて最初から一つしかない。それとも有にとっては、シルちゃんとセアラさんのお腹にいる赤ちゃんには差があるって言うの?」


「そんなこと、ありませんけど……」


「それにずっとあきらめていた子供が出来るのよ?そっちの喜びのほうがはるかに上。そりゃあ、あっちの世界の命運を握っているなんて大変だとは思うけれど、有がしっかり指導してくれるなら心配いらない」


『もちろん里帰りもしてもらうつもりよ?』と笑う先生。

 想像していなかった展開に困惑していると、背中にそっと手が触れる。


「アルさん、受けてください」


「セアラ?」


「そうだよ、私もまた来たいもん」


「シル……」


 そうか、そういうことか。寝ぼけまなこのシルの一言でやっと気付かされる。自分の察しの悪さに呆れる。


「分かりました。でもそれならクロノス様に話を」


「それは大丈夫でしょ。クロノス様は私と私の息子たちを利用したんだから、これくらいの『願い』は対価として大目に見てもらわないとね。有も自分の願いには正直になったほうがいいわよ?」


「俺の願い……」


「私もねクロノス様の言うことは分かる気がするわ。『願い』って、こうなったらいいなっていう希望じゃなくて、こうしたいっていう強い意志。でもそれは世界を変えたいとか、そんな大それたものじゃなくていいの。今日よりもいい明日にしたい、この幸せを守りたい、そういう一人一人の小さな願いが集まって大きな力になって、未来を紡いでいく。だから世界は願いの形なんだと思うの」


「未来を……」


 大それたものじゃなくていい、か。

 俺のやりたいこと。目を閉じて心に聞いてみると、たくさんの人たちの顔が思い浮かぶ。


 マイルズ、ブリジット、クラリス、あいつらどうするんだろうな?俺にあれこれ言う暇があるんなら、さっさと素直になればいいのに。今度マイルズに会ったら、突っ込んで聞いてみようか。


 リタさん、うちが円滑に回っているのは、あの人がいろいろと気をまわしてくれるから。でもちょっと甘えすぎてる感じはあるんだよな。合コンは相変わらず行ってるみたいだけど、俺がもっとしっかりしてれば、リタさん自身のことを考えたり外に目を向けられるのかもしれない。


 カペラの人たち。メリッサ、レイチェルはセアラにとっては親友ではあるけれど、超が付くほどのトラブルメーカー。見張ってないと何をしでかすか分かったもんじゃない。見ていて飽きないのは確かだけど

 ギルドのギデオン、アン、冒険者たち、高難易度クエストの依頼に加えて、戦闘指導員と昇級審査官の依頼とか、無茶ぶりばかりでいいように使われてる実感はある。それでも役に立てているっていうのは、意外と悪い気はしていない。

 解体場のモーガンたちにはセアラとシルが本当に世話になっている。今度レアなモンスターでも持ち込んで、しっかり儲けさせてやろう。


 ディオネではファーガソン家のブレットさんたちには世話になりっぱなしだ。これからしっかり恩を返していかないとな。

 宿屋のカミラ、ジェフ、ユージーン、結婚式での料理は相変わらず見事なものだった。お礼も十分に言えなかったし、また泊まりに行こう。


 まだまだ浮かんでくるけれど、なんだかこうして改めて考えると、俺のやりたいことって『誰か』に紐づいていることが多いんだな……こんなこと、以前じゃ考えられなかったのに、


「ああ、そうか」


「アルさん?」


「どうしたの?パパ」


 自分で気が付いたような気になってたなんて、ダサすぎるな、俺。

 瀬奈先生が教えようとしてくれていた、人とかかわることの大切さ。ずっとずっとセアラとシルが教えてくれていたんじゃないか。


 二人が背中を押してくれたから、一歩踏み出すことができた。


 二人が繋いでくれたから、たくさんの人たちと出会えた。


 二人がどんな時もそばにいてくれたから、また人を信じることができた。


 だからやっぱり俺の一番の『願い』は、


「俺の願いはセアラとシル、それに産まれてくる子と一緒に生きていくこと。結局、何も変わらないみたいだ」

 

 二人が屈託のない笑顔で俺を見る。


「私も同じです。ずっと家族で仲良く暮らしていきたいです」


「私も私も!!」


 瀬奈先生が温かい目で見守る中、シルが右腕に抱きつき、セアラは左肩に頭をぽんと乗せる。


 いつまでもこの笑顔を守りたい。


 ソルエールで夢見た、全ての種族が手を取り合って暮らせる世界。

 それに比べれば、本当に小さな願い。だけどそれでいいんだ。その小さな願いこそが未来あすを紡ぎ、世界を形作るのだから。



おしまい



____________


あとがき


瀬奈と有希の件は引っ張りすぎましたね。

これ最終話でやる内容じゃないだろと思いながらも、

どこかで挟むタイミングもなく、結局ここまで来てしまいました。


さてさて、改めてこの小説の公開日を確認しますと、

なんと2021/1/12となっておりまして、

つまりは2年半以上も連載していたことに……

それだけに思い入れの強い作品となり、

こうして完結まで持ってくることができて達成感でいっぱいです。

(途中から更新頻度が落ちてしまい読者様には申し訳なかったですが……)


それでは最後になりましたが、

拙筆ながらここまで読んでくださった皆様には感謝しかありません_(._.)_

本当にありがとうございました。




P.S.

これで完結にはなりますが、

次回作の構想が全くないので

思い付きで時系列ぐちゃぐちゃのSSを投稿すると思います

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