最終話 願いが紡ぐ未来(中編・セアラ)

「ごめんなさいねぇ、本当に気の利かない子で」


 白のTシャツに黒のパンツというシンプルで動きやすそうな服に着替えた瀬奈さんが、心から申し訳なさそうに頭を下げる。


「いえいえ、ユウさんが稽古をされていた道場を拝見することができて嬉しかったです。それに、それ以上に珍しいものも見られましたから」


「珍しいもの?」


「少しの違和感はずっと感じていたんです、瀬奈さんに会いに行くとなってからのユウさんには。今日だって普段ならいきなり押しかけるようなことはせず、どうにかして連絡を取ろうとするのにな、と。でも、先ほどのお二人を見て理解できました。相手が他でもない瀬奈さんだから、逸る気持ちを抑えきれず珍しく甘えが出てしまったんでしょうね」


 私の言葉フォローに瀬奈さんは嬉しいような、情けないような複雑な表情を浮かべている。

 私としてはいきなり道場に連れて来られて困惑したけれど、新たな文化に触れて楽しかったのもまた事実。そしてそれ以上に心が躍ったのは瀬奈さんの家。新婚旅行で行ったラズニエ王国の温泉旅館を思いださせる雰囲気で、アルさん曰く代々続く地主さんらしい。こういう家に住んでみたいけれど、むこうでも作れるものなのかしら?ルシアさんに頼んでラズニエ王国から人を呼べば、でもお庭の手入れも大変そう……ってそれは後で考えよう。

 そして私は今、瀬奈さんと肩を並べて夕食の準備をしている真っ最中。一方のアルさんはというと、事前に連絡なく私を連れてきたことについて(私に見えないところで)こっぴどく叱られ、家の掃除を申し付けられている。


「それにしてもセアラさん、本当に手際がいいわねえ」


「ありがとうございます。ですが少し前までは本当に何もできなかったんですよ?ユウさんが根気よく色々と教えてくださったのでどうにか」


 うんうんと満足そうに頷く瀬奈さん、どうやらお世辞ではなさそう。

 正直なところ、私は家事に関してはまだまだ新米もいいところ。それでも手際が良いと感じてもらえるのは、きっとアルさんに料理を教えたご本人だからだと思う。恐らく他のベテラン主婦の方と一緒に料理をしたのなら、普通にお小言をいくつも頂戴するはず。


「でも大丈夫?できるようになったからって家事を全部押し付けられたりしてない?」


「いえ、うちは時間がある人がやるという決まりですので」


「そう言って時間があるからって全部セアラさんに……」


「そんなことないです!私もちゃんと働いて……って、す、すみません、私ったら大きな声を……」


 瀬奈さんの空気がそうさせるのか、すごく自然にお話ができる。いいな、こういうの。なんだかもう一人のお母さんができたみたい。


「うふふ、ごめんなさい、ちょっとはしゃぎすぎちゃったわね」


 瀬奈さんは嬉しそう笑いながら冷蔵庫から追加で必要な食材を取り出していく。

 改めて瀬奈さんを見て思うこと。最初はアルさんの師匠だけあってムダのない引き締まった体に目が行くけれど、こうして一緒に料理をしていて気が付くのは、全くと言って良いほど軸がブレない姿勢の美しさ。かくいう私もお城で叩き込まれただけあって姿勢にはそれなりに自信があるけれど、こうしてせかせかと動いていたらついつい崩れてしまうもの。アルさんが自分なんかまだまだと言うのも、謙遜なんかじゃなかったんだ。体術はからきしの私でも、その凄さが分かるくらいなんだから。


「私には子供がいないからね、ずっと有のお嫁さんとこうしてご飯を作れたらいいなって思ってたからつい、ね」


 私はまだ目立たない自分のお腹に目をやり、少しの申し訳なさを感じる。こんなにも体の動きに精通している人なら、恐らくとっくに気付かれている。


「そんなふうに言っていただけて光栄です……あの、実は私、今妊娠していて……」


 望んでも瀬奈さんが子宝に恵まれなかったのはアルさんから聞いている。だから妊娠の報告はタイミングを見て慎重にって思っていたけれど、こうして話しやすいようにお膳立てしてくれて、本当に優しい人。


「ふふ、ありがとう、私に気を遣ってくれてたんでしょう?でもおめでたいことなんだから、そんなふうに思わなくていいの。そこまで狭量じゃないつもりよ?」


「はい、ありがとうございます」


「さ、今夜はごちそうにしないとね」


 キッチンにはトントンと響く包丁の音、そして野菜を洗う音、調理器具を用意する音。初対面だというのに、瀬奈さんとの間に流れる沈黙は私にとって心地よいものだった。

 こんなふうに格好よく年を重ねたいなって憧れるけれど、取っつきにくい感じは微塵もなく、すごく親しみを持てる方。どこかお義母様を思い出させる。

 その心地よさに身をゆだねていたいところだけど、今日はそういうわけにはいかない。


「……瀬奈さんは、その……私に聞きたいことが色々あるんじゃないですか?」


 恐らく瀬奈さんは意図的にアルさんに席を外させたのだから。


「そうねえ……私よりもセアラさん、あなたの方が私に話があるんじゃないかしら?」


 にっこりと笑う瀬奈さん。見透かされたようなその言葉に私が手を止め息を吞むと、図ったようなタイミングでアルさんが顔を出す。


「先生、風呂掃除とトイレ掃除終わりました」


「じゃあ庭の草むしりでもしておいて」


「ええ……もう夜なのに……」


「なにか言った?」


「分かりました」


 回れ右をして、玄関へと向かうアルさん。手慣れた様子だから、何度も受けた罰なんだろうな。

 瀬奈さんは突き放すような口調とは裏腹に、優しい眼差しでアルさんの背中を見送り私に向き直る。


「私はね、ずっと武道の世界に身を置いてきたからなのか、向かい合えば相手の力量とか考えていることがある程度は知れるの。でもセアラさんの力量は全く知れない。私の理解が及ぶ範疇に無いって感じなのよ。そしてそれは帰ってきた有から感じたものでもあるわ」


 驚く私に『体術はあまり得意ではなさそうだけどね』と笑う瀬奈さんの姿は、私にはすべてを受け入れるだけの覚悟を終えているように見える。


「確かに有の変化には驚いた。でもね、あの子がちゃんと元気にしていて、こんなに可愛いお嫁さんまで連れて来て……ならもうそれでいいかなって思っちゃったのよ」


 返答に困っていると、瀬奈さんは『私は実の親じゃないけどね』と断ってから続ける。


「子に対して親が一番に願うのは、どこでもいいから元気で幸せに暮らしていること。今日あの子の顔を見たら幸せなのは十分に理解できた。だからここに至るまでにどんな紆余曲折があったとしても、あの子がセアラさんと共にあることを幸せと感じて、セアラさんもあの子の隣を幸せと感じてくれるのなら、それだけで私の一番の願いは叶うわ」


 ありがたい言葉に胸と目頭が熱くなる。

 だけど私はそれだけじゃ嫌なんです、それじゃ私がここに来た意味がない。


「その上でセアラさんが話したいのなら聞くわ。その気持ちも分かるし、私も気にならないわけじゃないからね」


 柔和な笑みを浮かべ、またしても私が話しやすいように背中を押してくれる瀬奈さん。


「ありがとうございます……瀬奈さん、お話をするにあたって、実はもう一人連れてきている人がいるので紹介させてください」


 一度手を洗い、キッチンから出てそのもう一人を連れてくる。


「こ、こんばんは……」


 シルがおずおずと私の後ろから顔を出して挨拶する。今では大人を含め、あまり人見知りしないシルだけど、さすがに今日は緊張している。

 猫耳も尻尾も隠していないシルの姿は、この世界では明らかに異形の存在なのだから。


「ね、猫耳?尻尾まで……あー、コスプレ?でもよく出来て……」


 瀬奈さんからは困惑という当然の反応が返ってくる。コスプレ、という言葉は初耳だけど、なんとなく意味が分かってしまう。私がシルの誕生日にメリッサにやらされたアレ、かな。シルと同じ格好をするのは楽しかったけれど、さすがにあんなにも脚を出すのは私には無理。

 私がこれからしようとしている話は、まず間違いなく瀬奈さんにとっては信じがたいないものになる。だからこそ、この世界では有り得ないシルの存在は、この話の信ぴょう性を担保してくれる。


「この子は私とユウさんの養女でケット・シーのシル、この耳も尻尾も紛れもなく本物です」


 目を大きく見開いてシルをじっと見つめる瀬奈さん。何も言わずに、にじり寄ってくる。あれ?なんだか目が据わってるような、それにまばたきもしてないし……


「……さ、触っていい?」


「えっと……」


 思いがけない反応に私が振り返って『どうする?』という視線を送ると、シルからは無言で頷きが返ってくる。

 そして少しの緊張感と警戒感を保ちながら、私の前に進み出て瀬奈さんと向かい合うシル。まるで餌につられて恐る恐る近付いていく野良猫みたい、そんな感想を思わず抱いてしまう。


「ちょ、ちょっとだけなら、いいですよ」


 その一言で瀬奈さんがシルの頭をガシッと両手でホールド。

 どうやら、というか確実に瀬奈さんは私と同じく猫好き。そうでなければ得体の知れない存在を前にして、なかなか触ってみようという思考が前に来ないはず。

 弱点の耳まで触られたシルは小声で『ふえぇ』と言いながら、どうにか瀬奈さんの気が済むまで耐え続けようと健気に頑張っている。


「すごい、モフモフ、サラサラじゃなくて少し癖のある手触り。これはこれでいい」


 耳や尻尾を触るだけに飽き足らず、ついにはシルの頭に顔をうずめる始末。

 一向に終わる気配がなく、これ以上はシルが耐え切れそうにないので、コホンとわざとらしく咳払いをして瀬奈さんを現実に引き戻す。


「はっ!ご、ごめんなさい。私ったら」


「いえ、本物であることを十分にご理解いただけたようで」


「ええ……信じられないけれど信じるしかないわ。これは本物ね」


 きりっとした顔のまま、くしゃくしゃになってしまったシルの髪を手櫛でく瀬奈さん。シルはもはや諦めの境地で、無表情のままそれを受け入れている。

 シルには申し訳ないけれど、あれで落ち着いて話が聞けるのであれば、それはそれでいいかな。おそるべしシルのヒーリング効果。

 さあ、これで舞台はすべて整った。この得難い機会をただの結婚のあいさつだけでは終わらせてはいけない。単なる事後承諾でアルさんを任せてもらうのでは何の意味もない。

 だから私はこの強く優しい女性の信頼に対して誠実であろう。自己満足かもしれないけれど、私なら大丈夫だと安心してアルさんを送り出してもらうために。


「……私たちはこことは別の世界で家族として暮らしています。そしてすべてをお話しさせてください。一番近くで見てきたユウさん、いえ、アル・フォーレスタの物語を」


 本当はアルさんが自分で話すことが望ましい、出過ぎた真似、それは分かっている。だけどアルさんは優しすぎる人だから、本当は全部を聞いて欲しいのに瀬奈さんを心配させまいとそれが出来ない。だからこれは私の役目。

 そして瀬奈さん、願わくば、あなたの教えを胸に異世界を駆け抜けた息子アルさんの二年間、すべてを知った上で褒めてあげてください。

 悔しいけれど、今の私よりも……ううん、きっとこれからも、あなた以上にアルさんが褒められて嬉しいと思える方はいませんから。

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