第202話 世界で一番の幸せを
祭りのメイン会場として盛り上がる教会前の広場、真っ二つに折れた自身の最高傑作をまじまじと眺めながら、アルデランドの首長マルティンがふっと笑う。
「これはまあなんとも随分と派手にやったものですね」
「申し訳ございません、修復は可能でしょうか?」
「私としてはお答えするその前に、今の持ち主の意志も確認しておきたいところなのですが」
穏やかな中にあっても鋭い眼光に射抜かれ、ディートリヒは背筋を伸ばす。
「……お許しをいただけるのであれば、もう一度チャンスを頂きたい。この剣に相応しいと言われるように努力するチャンスを」
「その意志を聞けたのならば十分です。そもそも私が作った剣とはいえ、すでに手を離れたもの。取り上げるような権利は私にはありませんからね。では今よりも重く、強い剣に仕上げてみましょうか」
安堵から一転、思いがけない提案にディートリヒの表情に困惑の色がありありと浮かぶ。
「今よりも、ですか?」
「ええ、剣の状態から察するに、どうやらガルフレイド殿よりも強い力に剣が耐え切れなくなっていたようです。恐らくアルさんとの立合いが無くとも、近いうちに限界を迎えていたことでしょう」
「私が……お爺様よりも……?」
「ですので刀身の材質はアダマンタイトの比率を増して作り直した方が良いかと。ただ頑丈にはなりますが、当然重量が増しますのでさらに扱いは難しくはなります。しかし使いこなすことができれば……」
「マルティンさん、お願いをしておいてなんですが……本当にいいんですか?」
なぜか楽しそうにとんとん拍子で話を進めていくマルティンにアルが思わず口をはさむ。そもそもアルの知るマルティンという人物は職人らしからぬ丁寧な物言いをするものの、やはりモノづくりに対しては一本気な性格であることは疑う余地もない。
「アルさん、我々職人にとって最も心躍る瞬間をご存知ですかな?」
「……?やはり……傑作を生みだしたとき、でしょうか」
「その通りです。そして我々は芸術家ではありません。武器であれ道具であれ、我々の生み出したモノたちは実際に使用してこそ真の完成を見ることが、その真価を発揮することが出来るのです」
そう言ってマルティンはアルからディートリヒへと視線を移し目を細める。粉々にされた自信とプライドをかなぐり捨て、高みを目指してもがく若者の姿に、かつて気に入った傭兵の姿を思い出していた。
「己が培ってきた技術の全てを込めた傑作を作ったとして、実際に扱えるものがいなければ虚しさしか残りません。遺作としてまだ見ぬ使い手に託すというのは有りなのかもしれませんけどね。だからこそ、その潜在能力を全て引き出し得る使い手に巡り会うことは、まさに砂漠の中で一粒の宝石を見つけるが如き奇跡なのですよ」
『アルさんの時のことを思い出しますね』、そうやって笑うマルティンの言葉にディートリヒは打ち震える。
「どんなに難しくとも使いこなして見せます、絶対に!!」
____________
「なぁセアラ。俺が思うに、いちいち飲み干すようなものじゃないんと思うんだが?」
ドワーフたちの酒盛りにディートリヒを放り込んだアルとセアラは、ようやくカペラの馴染みの連中に混じって祭りを楽しむ。祝福の言葉と共に次から次へと注がれる様々な種類の酒をアルは一口だけ飲み、セアラは全て飲み干していく。
「……実際どうなんでしょうか?」
やや刺々しい口調の言葉足らずなセアラの質問。それでもその意図を正確に掴んだアルは、頬を掻きながら質問に答える。
「正直に言えば、武器の使い手としての魅力は俺より上だと思う。あのメイスは細かいことは気にせず、単純に俺の力を最大限に生かすべきっていうコンセプトで作られたものだから。まあそれはそれで面白いって言ってたけどな」
「つまり使い手云々の話はアルさんがあの無礼な人に比べて強過ぎて、いい武器を作ってもその恩恵を受けにくいからっていうことですね!?」
「ま、まあそういうことになるかな」
「ならいいです!!」
「……俺が戻る前に何があったんだ?」
「っ……何にも無いですっ!とにかく飲んで忘れます!」
もどかしそうに肩を震わせ、再び注がれた酒をあおるセアラ。到底一部始終など言えるはずがない。アルは決して怒りのままに力を振るわないが、それはあくまで自分に対しての悪意に限る。ことがセアラやシルに及ぶならば話は全く別。セアラを利用するためにプロポーズしたと知ればどうなるか、その結果は火を見るよりも明らか。
一方のアルからすれば、何かあったことはもはや疑う余地もないのだが、セアラが拒むのであればと追求はせずに話題を変える。
「そういえば、さっきは瀬奈先生の話、出来て良かった。本当はずっとセアラにはしておきたいって思っていたんだけど」
「あ、はい。私も聞けてよかったです……言ってみれば、私がアルさんに助けていただけたのは、その方のおかげですからね」
話題転換が功を奏し、すっかり険が取れたセアラの様子にホッとするアル。
「この世界で独りになって、セアラと出会ってから考えるようになったんだ。先生が困ってる人がいれば助けろって言った本当の意図は、こういうことだったんじゃないかなって」
「本当の意図、ですか?」
「先生はきっと、俺が独りにならないようにって願ってくれていたんだ。人助けはただのきっかけで、どんな形でもいいから、人と関わっていて欲しいって。あの人は誰よりも人の温かさを知っていた人だったから」
穏やかで、少しの寂しさを含みながらも幸せに満ちたアルの表情。それを見たセアラは『ああ、そうか』と理解する。これまで向こうの世界での出来事ついてほとんど話さなかったアルが、今日という大切な日に敢えて話してくれた理由。
(嬉しい、けど……)
それはずっと自分を不安にさせないようにと心に秘めていた故郷への思い、恩人への思いに、この結婚式でようやく一区切りをつけたからなのだろうと。
「……そんなのダメです」
「セアラ?」
「このままじゃダメです!アルさん、瀬奈先生に会いに行きましょう、ちゃんと約束を果たしましょう!アルさんにとって今の自分を一番に見て欲しい人なんですよね?だったら諦めずに方法を探しましょう!!」
セアラの勢いに押されてアルが困惑していると、コホンと咳ばらいをして二人に歩み寄る影。
「方法なら既にある」
「親父、母さん……?」
「そのために姉さんを呼んだのよ?空間と時間を自在に操ることができる能力さえあれば、向こうの世界、そして任意の時代へと連れていくことが出来るの」
「ほ、本当なんですか!?」
驚きのあまり言葉が出ないアルに代わってセアラが叫ぶように問う。
「もとよりアルを連れ戻す算段がなければ、向こう側に送ってなどおらぬ。無論、その際には世話になった者への心尽くしも十分にするつもりであった。だがそれも全てアルクス王国が先走って勇者召喚なんぞをしおったせいで台無しになってしまったがな」
先王の愚行へのアスモデウスの辛辣な言葉に、少し離れた場所で静かに話を聞いていたエドガーは気まずそうに肩を小さくする。
「あのっ!クロノス様、でしたよね?ありがとうございます!」
「礼などいらぬよ、大人たちの都合で振り回された甥っ子に出来ることをしてやりたいだけのこと。結婚祝いだとでも思ってくれればいい」
「ありがとうございます!よかったですね、アルさん、先生に会えますよ!」
未だ呆けて声を発さずにいるアルの肩を、セアラが力いっぱい揺すって正気に戻す。
「……会える……?本当に、先生に……?」
アルの目にうっすらと涙が浮かぶのを見たセアラは、それを隠すようにぎゅっと自らの胸に抱きよせる。
「はい。会いに行きましょう、一緒に」
そしてセアラは抱きしめたままアルが落ち着くのを待ってから、ゆっくりと体を離し、いつもの太陽を思わせるような眩しい笑顔で続ける。
「私を瀬奈先生に紹介してくださいね」
「……ああ、もちろんするさ、自慢の妻だって紹介するよ。それともう一度会えたら、先生に絶対に言いたいと思っていたことがあるんだ」
「何ですか?」
「先生の言う通りでした。運命の人はどこにいても出会えるみたいです、ってさ」
ふふっと幸せそうに笑い合う二人。すっかり酔いの回っているカペラの住人たちは、そんな二人をはやし立てながら酒をがんがんとあおる。そして次第にその輪が広がっていくと、祭りの盛り上がりは最高潮に達する。
「よーし、じゃあ盛り上がってきたことだし、とっておきを見せちゃおうかな。シルちゃん、さっきお願いしてたこといいかな?」
「うん、もう元気になったからオッケーだよ!」
「さっすがシルちゃん」
アフロディーテは念入りに余所行きの厳かな顔を作ると、認識阻害魔法を解除して、シルと共に催し物が行われていた舞台に立つ。
突如として現れた一人の女性、しかしディオネの人々にとって、彼女が誰であるかなど紹介されるまでもない。そして人々の心に去来するのは歓喜ではなく、その姿を目にすることすら憚れるほどの畏敬の念。人々は自然と膝を折り、目を閉じ両手を組んでアフロディーテに向かって祈り始める。
「面を上げよ。私の復活を祝うため、こうして多くの子どもたちが集まってくれたこと、うれしく思う。日頃のそなたらの信心に応えるため、聖女の力を借りて祝福を授けよう」
左手をシルとつなぎ右手を突き上げるアフロディーテ。そしてシルから供される聖女の魔力をいったん体内に取り込み空に向かって放つ。
「わぁ、綺麗……」
昼間のスタンピードの際に張った結界がキラキラと虹色に輝くと、色とりどりの花びらが町全体にひらひらと降り注ぐ。
「あ、消えちゃった」
手のひらに落ちてきた花びらを名残惜しそうに見るのは、車いすに乗った一人の少女。再び花びらをその手にしようと車いすを動かし目いっぱい体を伸ばすが、思いがけずバランスを崩してしまう。
「危ないっ!……え?」
急いで駆け寄ろうとする少女の母親。しかしその眼前には目を疑う光景が広がり、足がぴたりと止まる。
「お、お母さん……足が……足が動くよ!」
事故でひざから下が不自由になってしまった少女がとっさに踏み出した足は、細いながらもしっかりと地面をとらえ少女の体を支えている。
「ああ、こんなことが……女神様、本当に、本当にありがとうございます」
抱き合って涙を流す母と娘。そして奇跡の輪は町全体へと広がっていく。ある者の曲がった腰が、ある者の長く苦しんでいた持病が、そしてある者の失われた視力すら治ってしまう。
「うわぁ、すごい、おばあちゃんすごいよ!私じゃこんなたくさんの人を一気に治せないもん」
歓喜に沸くディオネを舞台から見下ろし、シルはぴょんぴょんと跳ねながらアフロディーテに抱きつく。
「ふふ、ディオネが私の神域で、子どもたちの私への信仰心が本物だから出来るのよ。もちろん
広場の注目を完全に集める舞台の上の二人に向けられる感謝の言葉、そしてそんな二人の姿にアルとセアラは誇らしい気持ちを抱く。
「お義母様、すごいですね」
「すごいというか、とんでもないな。普段の姿からは想像できないけど、あの存在感といい、さすがは女神様って感じだ」
「はい。シルもどんどん前に進んで行っちゃって、このままだとすぐに親離れしてしまいそうです」
「セアラだってすごいさ。いつも助けられてるよ」
「ふふっ、ありがとうございます。ですが卑屈になっているわけではないんですよ?お義母様は本当に尊敬できる方ですし、シルの才能は母親として誇らしいと思っています。人と比べて卑屈になる必要なんてない、私は私にできることを精一杯やればいい、それを教えてくれたのは他でもないアルさんです」
ゆっくりと目を閉じセアラは思い出す。簡単な魔法すら使えずに守られるだけだったあの日、この地でアルの背中の傷に誓った、たった一つの譲れない思いを。
「だから私はこの先ずっとあなたのそばにいます、何があっても私があなたを守ります。世界で一番の幸せをあなたに贈る、それが私の生きる意味。そして、あなたを世界で一番愛しているのは私、それだけは誰にも譲りませんから」
強い意志を感じさせる瑠璃色の瞳。そしてそれは、かつてアルの凍えた心を溶かした温かさを今も変わらず宿している。
「……さっき、俺は先生の教えを守ってるだけって言ったけど、あれは半分本当で半分は嘘なんだ。先生の教えはとっくに俺のものになっていて、もう人助けは性分みたいなものなんだ」
「はい、知っていますよ。そのおかげで私がここにいられるんですから」
セアラの笑みにアルは『だよな』と答えて続ける。
「そのせいで色々大変なことはあるかもしれないけれど、セアラが隣にいてくれれば、俺はこれからも俺らしくいられる」
穏やかに微笑むアル。そっと手を伸ばしセアラの酒で火照った頬に触れると、セアラは気持ちよさそうに目を細めて自らの手を重ねる。
「だからずっと俺の隣で支えてほしい、俺が間違えたら怒ってほしい、いつも俺と一緒に笑ってほしい。いつまでも仲良しの夫婦でいよう。約束するよ、世界で一番の幸せを君に贈る。それが俺の幸せだから」
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