第201話 それは祝福なんだよ

※アルが召喚される前、ゆうだったころの話です。



「おーい、ゆう!」


 歴史を感じる、と言えば聞こえがいいが、歩くたびに軋む床と壁のひび割れが目立つ古い道場に響く女性の声。十歳ほどのまだあどけない顔立ちの少年、有が道着の袖で汗を拭いながら振り返る。そんな彼の手には、体格に合わせたやや短めの居合刀。


「なに?瀬奈せな先生」


「なにじゃないでしょ、また学校サボったんだって?」


「大丈夫、勉強なら家でやってるから。それに稽古してるときは気が紛れるし」


「分かってないわね、学校は勉強するためだけのものじゃないのよ」


「分かってるよ、でもやっぱり気が進まないから」


『もう誰も傷付けたくないし』、有がぽつりとつぶやいて再び型稽古を始めると、瀬奈はやれやれとため息をつきながらも少し離れたところで正座し、優しい眼差しでそれをじっと見つめる。

 この古びた小さな町道場は児童養護施設の職員である瀬奈の実家のもので、彼女の勧めによって有は居合道を学び始めたのだった。


 巻き藁を斬るでもなく、ただ基本の型を何度となく繰り返すが、有はしっくり来ないのか首を傾げながら手の中の居合刀をじっと見る。


「有、心が乱れてる。雑念はそのまま剣閃に現れるわよ」


「先生……はい……」


 瀬奈は有のもとへとゆっくりと歩み寄り、黒く艶のある髪をさらりと撫でる。


「気持ちは分かるよ。でもね有、その力は悪いものじゃない。そんなふうに思ってはダメ」


「……どうしてそんなことが言えるの?だってこの力がなければ、あんなケガをさせることはなかったのに。ちょっと押しただけなのにあんな……」


 キッカケすら思い出せないほどの小さな口論に、有が少しカッとなって押しただけで友人の肩は容易く外れてしまった。今でもその感触と痛みに泣き叫ぶ声が耳に残っている。


「大丈夫よ、相手の親御さんも事故だから気にしないでとおっしゃっていたわ。相手の子も有が学校に来ないとつまらないって」


「うん……ごめん、先生……」


 有が俯いたままか細い声を絞り出すと、瀬奈はその震える肩をそっと抱き寄せ、背中をポンポンとたたく。


「怖かったよね……でもね、怖いというのも一つの感情、あって当然のもの。どんな感情であれ、押さえつけようとしたらどこかに歪みが出来てしまうものなのよ。そしてそうやって心に歪みを持った力は、いつかまた暴走する」


「じゃあ……どうすればいいの?ずっと怖い思いをしなきゃいけないの?」


「大切なのは捉われ過ぎないこと、良い感情にも悪い感情にも、ね。居合で雑念を排することは感情から逃げるためのものじゃない、正面から向き合ってコントロールするためのものよ。それが出来るようになれば、その力も怖がらなくて良くなるわ。そもそも力に善悪なんてないの、それが決まるのは力を使う者の心次第。だからこそ強い力を持つ者には、それだけ強い心が必要になるの」


「強い……心……」


「そう、そしてその力を怖いと思えるあなたは、とっても強くて優しい子よ。有ならきっと、その力を正しく使うことが出来る」


「正しくって、どういうふうに?」


「そうねぇ、目の前で困っている人がいたら助けてあげるとか」


「それだけ?」


「そう、それだけ」


『目の前で困っている誰かを助けること』、それを何も特別なことでは無いように言う有に、瀬奈はふふっと笑って頭をよしよしと撫でる。


「先生、なにが面白いの?」


「ん〜、こんなにいい子の有のお嫁さんになる人は、一体どんな人なのかなって」


「ええ?なに、いきなり……」


「いいでしょ?私は有の親みたいなものなんだから。そうねぇ、有のことを守ってくれる人がいいなぁ」


「じゃあ……俺より力が強い人?」


「あはははは、もしかしたらそうかもね。でもね、力の強い弱いは関係ないのよ。有と一緒に笑ったり泣いたりしてくれる、有が間違っていたら怒ったりしてくれる、有のことを心から大切に思って、いつも寄り添って有の心を守ってくれる、そういう人がいいかな」


「そんな人いるのかな?」


「いるよ。運命の人はね、どこにいたって必ず巡り会えるんだから。それこそ地球の反対側にいたってね」


「ふぅん、先生って意外とロマンチストなんだね」


「意外なんかじゃないわよ、だって私と旦那様の馴れ初めは」


「それはもう何回も聞いて飽きたから」


「え〜、何十回と言わず何百回だって聞いてよ」


 二人で顔を見合わせて一頻り笑うと、瀬奈は柔らかな微笑とともに有の瞳をじっとのぞき込む。


「あのね、有」


「なに?」


「お嫁さん、ちゃんと私に紹介してよね」


「……いいけど、反対しないでよ?」


「ふふふ、それはどうかなぁ」


 呆れたようにため息をつく有を見ながらケラケラと笑う瀬奈は、有が施設に連れてこられた日を思い出す。


(あのね、有。私が運命を信じる本当の理由はね、あなたとの出会いがあったからなのよ)


 一歳になったばかりの有を連れたオレンジ色の髪をした背の高い女性。十年経った今でも鮮明に記憶に残るその存在感は、まさに人ならざる者のそれであった。その女性は瀬奈に向かってただ一言、『この子を頼む』とだけ言って姿を消した。

 一歳とは思えぬほどにしっかりとした足取り、指を握られたときに思わず痛いと叫びたくなるほどの握力。有が普通の子供ではないことは、一緒に暮らし始めてすぐに分かった。

 出会った時から今に至るまで、瀬奈には有の行く末は平坦なものではないという確信がある。だからこそ、せめて自分のもとを離れるまでは目一杯の愛情で包み、逆境の中でも真っすぐに生きる強い子に育て上げると誓った。


(ねぇ、有。きっとその娘との出会いが教えてくれるよ。その力は有を苦しめる呪いなんかじゃない、未来を切り開くために授けられた祝福なんだってね)

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