第197話 成長

 向かい合うマイルズとディートリヒ。

 緊張感の漂う重苦しい空気の中にあっても一向にざわめきが止まないのは、ディートリヒの左手に握られている得物のせい。それはもはや剣というよりも、鉄塊という呼び名がふさわしいほどの重量感を持つ大剣。そんな並の兵士では持ち上げることすら難しい大剣を片手でいとも容易く操る光景は、その並外れた膂力を証明するには十分すぎるパフォーマンスであった。


「私も軍人ですので殿下の御高名は耳にしておりましたが、こうして実際に拝見すると圧巻の一言ですね。何より自軍の大将が敵陣をその巨大な剣で切り裂く勇猛な姿。さぞかし味方の士気を上げることでしょう」


 驚きはせずとも感心した様子で率直な感想を口にするマイルズ。


「否定はしませんが、それはあくまでも副次的な効果に過ぎません。単純に私にとって通常の剣は軽すぎて、脆すぎるんですよ。ですからご安心ください、これに振り回されて事故が起こるような心配は必要ありません。それに御高名というのならば私の剣などよりも……」


 ディートリヒの視線が水の魔剣ファンティルヌへと注がれる。


「魔剣をご覧になるのは初めてで?」


「ええ、美しい剣で惚れ惚れしてしまいます。もう一本の魔剣は使われないので?」


「二刀はまだ不慣れなもので、ご容赦ください」


 その殊勝な受け答えに、ブリジットとクラリスがこみ上げる笑いを嚙み殺す。


「かの英雄殿も魔剣使いらしいですが、それだけで勝敗が決まるわけではありませんよね」


『結局は使い手の問題』、そう言いたげに口角を上げるディートリヒ。対するマイルズは、その挑発の色を含んだ言葉には応えず静かに構えを取る。


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 開始から五分が経過していた。大剣を自在に操り、一方的に攻め立てるディートリヒ。そしてそれに盛り上がるグランヴェール陣営。対して受けに回るマイルズを静かに見守るアルクス王国の面々。

 グランヴェールの若き王子が『剣聖』を圧倒している。このシチュエーションにディートリヒの部下たちが沸き立つのは、至極当然のことであった。

 だから彼らには見えていなかった。実際に剣を交えている二人の表情が。

 いくら振れども振れども、マイルズの体にその巨大な剣は届かない。いつしか『事故』のことなどの脳裏から消え去り、命を刈り取る猛攻が繰り出されるが、それらはことごとく紙一重で躱され、稀に捉えた重厚な一撃は水の魔剣ファンティルヌによってさらりと受け流される。まるで水を相手にしているかのような感覚に、ディートリヒは次第に苛立ち始める。


「何故反撃してこないっ!?」


 業を煮やして荒々しい口調で問い質すが、マイルズは表情を変えずに見返すだけ。

 その反応を挑発と受け取ったディートリヒは、さらに荒々しく剣を振る。しかし徐々に疲労と焦燥でその剣筋からは鋭さが消え、ただの大振りになっていく。


「っと」


 不意にバランスを崩すマイルズ。好機と見たディートリヒは両手持ちにした大剣で渾身の打ち下ろしをマイルズの脳天に見舞う。


ズガァーーーーーン!!


 力任せに振り下ろされた大剣が食堂の床をぶち抜くと、床下から舞い上がった埃が二人の姿を隠す。


「終わり、だな」


 アスモデウスが小さく呟く。舞い上がった埃が徐々に落ち着くと、そこにはファンティルヌによって大剣の軌道を変えられ、片膝をついたまま止まっているディートリヒ。そしてその首筋には、いつの間にか鞘から抜かれた火の魔剣レーヴァテイン。

 しぃんと静まり返った食堂内にただ一人、ディートリヒの荒い呼吸だけがよく響く。対するマイルズは、激しく動いたあとにも関わらず、息一つ乱さず涼しい顔。ディートリヒの首筋からレーヴァテインを引き上げると、二振りの魔剣を鞘へと納める。


「さて、結果は見ての通りだが……もう一つ確認せねばならぬことがあるな」


 アスモデウスがセアラに視線を送る。


「……剣に明るくない私では判断は出来ません」


「いいの?セアラ」


「え?」


「『強かったからセアラにお似合いだ』とか言いかねないよ?」


 茶化すブリジットとクラリスを、マイルズが『言わねぇよ!!』というツッコミの代わりにじろりと睨む。


「セアラ、これはそなたが決めるべきことだ」


「……分かりました……」


 放心状態でその場に片膝をついたままのディートリヒに手を差し伸べ、自分の前に立たせるセアラ。


「殿下は、なぜモンスターが騎士学園を襲撃した際、先頭に立って戦われたのでしょうか?」


「……無辜の民、そして各国から預かった大切な生徒たちを守る、それがグランヴェールの王族である私の義務だからです」


 この状況にあっても淀みなく答えるディートリヒ。それは彼が幼いころから言い聞かされ、それを守ってきたという証。そしてそれはセアラの予想通りの言葉であった。


「正しいと、立派なことだと思います。ですが、私にとってはそうではありませんでした。妾腹と蔑まれ、尊重されない中にあっても、王女としての義務だけは果たさなくてはならない。そんな日々の中で、いつしか私は心を閉ざし、何事にも心を動かさず、言われるがままに動く人形となりました。そうすれば辛さを感じられずにいられましたから」


 淡々と、形の上ではディートリヒに向けて話してはいるが、それはまるでかつての自分と向き合うための独白のよう。


「考えてみれば当たり前のことですね、そんな私が誰からも関心を向けられなかったのは」


 自嘲気味に笑うセアラ。それを居た堪れない様子で聞いているのは、そんな娘のそばにいてやれなかったリタと、その様をそばで見続けるしかなかったエリー。

 そしてセアラは『先ほど感情的になってしまったことは、大変申し訳ありません』と予めと断ってから続ける。


「ですが、一つ言い分を申し上げさせていただくのならば、彼なくして今の私はあり得ないのです。彼と出会い、その強さと優しさに触れたことによって、誰かを想う心を取り戻したことはもちろん、彼を通して出会った人々、彼とともに経験した出来事の一つ一つが今の私を形作っているのです。ですから、彼に対する否定の言葉は、私へのそれと同義なのです」


 その強い意志を感じさせる口調にディートリヒは気おされ、アスモデウスは『ほう』と感心した表情を浮かべる。


「……そこまで考えが至りませんでした。先の発言の撤回と、謝罪をさせていただきたく存じます。大変申し訳ございませんでした」


 部下たちがあたふたしながら止めようとするが、お構いなしに深々と頭を下げるディートリヒ。セアラはその様子をじっと見つめ、気持ちを落ち着かせるように一つ息を吐く。


「頭を上げてください」


 アルよりも少し高いディートリヒの瞳をまっすぐに見つめるセアラ。


「受け入れます。私も今日、殿下が為されたことは全て忘れることに致します」


「感謝します。それと……今更ですが……ご結婚、おめでとうございます」


「はい、ありがとうございます」


 その祝福の言葉は、自身の気持ちとの決別。セアラは笑顔を作って、それを受け取るのであった。


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「上手い立ち回りであったな、セアラ」


「正直なところ、スッキリとはしていません」


 本音を言えば、マイルズではなくアルにその力の差を存分に見せつけてもらい、自分ではなくアルに向かって頭を下げてほしかったという気持ちはある。

 アスモデウスはそんな心情を抱きながらも、決して落としどころを見誤らなかったセアラの成長に満足そうに頷く。


「相手が間違っているからと、自らの溜飲を下げるために徹底的にやるのは子供の喧嘩だ。相手は一国の王子、発言を撤回させただけでも上出来、そこに謝罪までつけさせたのだから、これ以上を望んでは反感を買いかねん。グランヴェールには価値がある」


「あの方にも、でしょう?」


「この敗戦を糧に成長出来るかどうかにかかってはいるが……あれを見る限り心配は要るまい」


 視線の先には、マイルズに教えを乞うているディートリヒの姿。


「それすらも計算のうちということですね。それで、グランヴェールをどうされるのですか?」


 アスモデウスはわずかに口角を上げ、扉のほうに視線を移す。


「さて、最後の仕上げに必要な人物が到着したようだ」


 そう言うなり、荒々しく扉が開くと、不満げな表情のルシアがシルとともに入ってくる。そしてその後ろから、アスモデウスが二人に連れてくるよう依頼した人物が姿を現すのだった。

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