第196話 全ては魔王の掌の上

「おのれ、無礼なっ!!」


『貴方程度』、自国の王子に対して放たれたセアラの言葉に、グランヴェール王国の者たちが一斉に色めき立つ。

 そしてディートリヒの護衛の一人が声を荒らげながら、剣の柄へと手を伸ばす。


「……なんだ……う、動けん……うぐっ」


 魔王の赤く輝く瞳に射抜かれ、護衛がぴたりと動きを止めてその場に崩れ落ちると、それに驚いたグランヴェール側の気勢が一気に削がれる。


「魔王陛下っ!何を!!」


「心配はいらぬ。魔力にあてられて気を失っただけだ」


「しかし私にも立場があります!先ほどの言いようを許しては……」


 ただ一人、未だ憤るディートリヒの非難めいた視線を真正面から受けても、アスモデウスは眉一つ動かさない。


「ここに口外する者はおらぬ。そして忘れるな。無礼を働いたのはどちらが先であったのかを」


「くっ……」


 身も凍るほどの一睨みに、しぶしぶ引き下がるディートリヒ。そしてアスモデウスは何事もなかったように話を戻す。


「さて、セアラはそなたでは自分には釣り合わぬと言っておるが、そなたはどう思うのだ?」


「……納得できるはずがありません」


 セアラからの屈辱的な言葉を再び聞かされ、さすがのディートリヒの表情も苦々しい。


「であろうな。ならばその武力だけでも証明してもらうとしよう」


「証明?」


『一体どうやって?』と誰もが困惑していると、アスモデウスがすっと指を伸ばす。そしてその先には燃えるような赤髪の男。


「は?私ですか?」


 エドガーの後ろに控えていたマイルズが素っ頓狂な声を上げる。


「相手はアルクス王国の剣聖、『傭兵王』の名を継ぐとも言われるその力を示すには、これ以上の適任はおらぬと思うが?」


 その提案をディートリヒは驚きをもって受け止め、マイルズへと視線を移す。


「自信がないか?」


「まさかそのようなこと。驚きはしましたが、おっしゃられる通り、願ってもない相手だと思っただけです」


 アスモデウスの言わんとすること。そしてそれが自らの『得意分野』であることを理解した途端、ディートリヒの表情に笑みと余裕が戻ってくる。


「エドガー王、よいな?」


「かまいませんよ。元より選択肢はなさそうですがね」


 嘆息しながらも了承するエドガーを確認すると、ディートリヒは笑みをさらに深める。


「ありがとうございます。ですが、ただ勝った負けたではつまらないと思われませんか?」


「ふむ……確かにこちらとしても何らかの旨みは欲しいところではある。だが最初に断っておくが、セアラは既に王室を離脱している故、セアラを賭けるような真似は出来ぬぞ?」


「承知しております、もとよりこれだけで手に入るとは思っておりませんから。まず私が負けた場合、セアラ姫との婚約の話は最初から無かったことにいたしましょう」


「いいだろう。ならばマイルズが負けた場合、セアラが嫁いだものとして、貴国に対しての支援を約束しよう」


 アルクス王国側からすれば、この立ち合いによって得られるものはほとんどない。だが非公表と言えども、婚約が成立しなかった原因がアルクス王国にあることを考えれば、落とし所としては悪くない。両者の合意にアスモデウスは満足そうに頷き、パチンと指を鳴らす。


「おお……素晴らしい……これが魔王陛下の魔法ですか」


 魔法によって食堂に置かれたテーブルや椅子が一瞬にして消え、立ち会うのに十分過ぎる空間が広がると、アルクス王国、グランヴェール王国の両陣営から感嘆の声が漏れる。


「申し訳ございません、お義父様。ご迷惑を……」


 東西に分かれてマイルズとディートリヒが準備を進めている間、セアラがアスモデウスに頭を下げる。


「確かにさきほどのあれは、一国の王子に対する物言いでは無いな」


「はい……」


「アルのこととなると見境が無くなるのも相変わらずだ」


「返す言葉もございません……」


「だが……それで良いと、アディであればそう言うであろうな」


 しおらしく伏せていた顔を上げるセアラに、アスモデウスはふっと笑う。


「アディは初めてそなたを見たときから、『きっと今にアルを任せられる娘になる』と言っておったよ。いくらその理由を聞いても『女の勘』の一点張りではあったが……今にして思えば、そなたの魂の輝きに、かつての自分の姿を見ておったのかもしれんな」


「魂の、輝き……」


 セアラは両手をそっと自分の胸に当てて、アスモデウスの、アフロディーテの言葉を噛み締める。そして『任せられる』その言葉が持つ重みを改めて感じていた。


「あ、マイルズさんにはとんだご迷惑をかけてしまいました。あとで謝らないとですね」


「その心配はいらぬ。むしろ感謝しておるくらいであろう」


「……?」


「セアラ」


 ブリジットとクラリスが困惑しているセアラに駆け寄り、アスモデウスに挨拶をする。


「あの、マイルズさんは大丈夫でしょうか?」


「平気平気。今のあいつならアルにだって負けないわよ」


『もちろん魔法ナシならね』と付け加えるブリジットではあったが、セアラがその意見にむぅと少し頬を膨らませる。


「それはちょっと認めたくないです……」


「相変わずのベタ惚れっぷりだねぇ」


 クラリスが茶化すように笑うと、ブリジットは『とにかく』と小声で話を続ける。


「私たちだってセアラと同じ気持ちよ。正直アルをあんなふうに馬鹿にされて、かなりムカついてたところなの。もし魔王陛下があの護衛が剣を抜く前に気絶させていなかったら、マイルズがしてた」


「ちなみに対処ってどんな……」


「うーん、いくらマイルズが考えなしのバカでも、他国の人間を殺しはしないだろうから……腕の骨を一、二本折るくらいかなぁ?」


 セアラが恐る恐る尋ねると、クラリスがあっけらかんと答える。


「さすがに二本はダメじゃないでしょうか?」


「へー、じゃあセアラも一本ならいいって思ってるんだ?」


「あ……」


 思わず飛び出したセアラのツッコミに、またしてもクラリスは茶化すように笑う。


「ま、冗談はそれくらいにして。だからセアラが気に病むことなんて一つもないのよ。マイルズも私たちも、こうして機会をもらえたことに感謝してるんだから」


 ブリジットの話に、『そういうことか』と得心したセアラがアスモデウスをちらりと見やる。クラリスはああして軽く言ってはいるが、アルクス王国に属さないセアラのためにマイルズが一国の王子の護衛を傷付けるなど、本来あってはならないこと。つまりアスモデウスは全ての事情と心情を理解し、そして誰しもが納得したうえで事が収まるように立ち回っていたことになる。


「さぁ、始まるようだ。『傭兵王』の名を継ぐという実力、そして二人の言うアルをも凌ぐ実力とやらを存分に見せてもらおうではないか」


 愉快そうなアスモデウス。その魔王の名に恥じぬ姿に、アルが超えようとしている壁はなかなかに高いと思うセアラであった。

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