第195話 花が咲ける場所

 グランヴェール王国。まだ歴史の浅い小国ながら、ソルエール魔法学園と対をなすグランヴェール騎士学園を持つことで、広くその名を知られている。その国の起源は非常に特殊で、様々な理由によって国を追われた者、そして自ら国を捨てた者の吹き溜まりから始まった。

 無法地帯だったその地をまとめ上げ、世界最強と謳われる傭兵団を作り上げた人物こそが、ディートリヒの祖父であり、のちの初代国王『傭兵王』ガルフレイド・グランヴェール。

 そしてディートリヒは先のソルエールの大戦時に、グランヴェール騎士学園を狙ったモンスターの集団を先頭に立って退け、祖父から受け継いだ才を世界中に知らしめた、正に傭兵王の後継者と名高い人物であった。


「や、やめてくださいっ!」


『婚約者』、その言葉に一番動揺しているのは他でもないセアラ。ディートリヒの手を慌てて振りほどくと、バランスを崩してアスモデウスに支えられる。


「ママ、大丈夫?」


 料理を堪能していたシルがその異変に気付き、心配そうに駆け寄ってくると、アスモデウスが二人を守るようにディートリヒとの間に立ちふさがる。


「……そのセアラ姫というのは止めろ、不愉快だ」


 魔族の特徴である赤い瞳は爛々と輝き、今にもその身体に凝縮された膨大な魔力が放たれようとしていた。


「……魔王陛下ほどのお方ならばお判りでしょう。この場で私を力づくで排除したとしても、解決にはならないことを」


「……チッ……エドガー王、説明をしてもらおうか」


「もちろんです……ですが場所を変えさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 何事かと集まりだした周囲をぐるりと見回すエドガー。アスモデウスとしても、アルが不在の中、このままセアラ一人を好奇の視線に晒し続けるわけにもいかない。


「ああ、その方がよかろう……」


 アスモデウスはエドガーとディートリヒが従者を連れて教会の中へと入っていくのを見届けると、セアラを気遣うべく振り返る。


「セアラ、大丈夫……」


 そこで見たセアラから感じたのは、いつも傍らにいるシルですら見たことのないほどの激しい怒り。彼女からすれば、今日という最高の日を台無しにされた気分なのだから当然のことではあるのだが、ここまで怒りをあらわにするようなことは初めてのことだった。


「はい、怒ってはいますが大丈夫です。だからご心配はなさらないでください。きっちりと決着をつけて、やっぱり今日はいい一日だったって笑ってやりますから」


「分かった……だが心配はする、そなたはもう我の娘なのだからな」


「あ……はい……ありがとうございます」


 アスモデウスの静かで温かな優しさを含んだ目にアルの面影を見ると、セアラの表情からは険が取れ、落ち着きを取り戻していた。


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 マイルズたち護衛や侍従を含めると、なかなかの人数になるため、孤児院の食堂を借りて話をすることとなった一同。

 そんな中でまず口を開くのは、現アルクス王国、国王エドガー。


「かつて我が父、先王エイブラハムはアルの比類なき強さに魔王討伐の成功を確信し、アルたちの出征後に版図拡大の動きを始めました。そして手始めに軍事面での強化を目的として、グランヴェール王国との繋がりを求めたのです」


 グランヴェール王国は建国から今日に至るまで、世界最強とも謳われる騎士団を有しながらも、決して特定の国には与しなかったことで知られている。その国を常に味方につけることは、そのままこの世界の覇権へと大きな一歩を踏み出すことを意味していた。


「その繋がりのために利用したのがセアラの輿入れというわけか」


「ええ、すでに内諾を得ていたと聞いております」


 アスモデウスが『成程な』と面倒くさそうに呟く。その是非はともかくとして、ディートリヒが起こした行動の裏に国家間の約束が存在するのであれば、落としどころを見つけなくてはならない。


「だが分からぬな。なぜ頑なに中立を保ってきたにもかかわらず、その申し入れを受け入れたのだ」


「その理由は二つあります。まず一つ目ですが、確かに先王陛下が作り上げた我が国の騎士団は、今なお世界最強であると自負はしております。ですが我が国のように歴史の浅い小国が中立国家であり続けるためには、それだけでは足りません。常に外圧に晒されるわけですから、やはり優秀な……」


「もうよい、二つ目はなんだ?」


 みなまで言わずとも分かると、気だるげに促すアスモデウス。話を途中で遮られたディートリヒは眉をひそめるが、すぐに笑みを浮かべて二つ目の理由を語り出す。


「二つ目は単純です。私がセアラ姫との婚姻を望んでいたところに来た話だったので、渡りに船だったということです」


「先ほども申し上げましたが、私が殿下とお言葉を交わしたのはたったの一度きりでしたし、特別なお話をした覚えもございません」


 あくまでも淡々と、だがセアラの言葉からは明確な拒絶の意が感じられる。それでもディートリヒは全くひるむ様子はない。変わらぬ笑顔でセアラの瑠璃色の瞳をまっすぐに見つめる。


「貴女は自分の魅力に鈍感すぎるようですね。そのひと時だけで十分だったと考えられないのですか?」


「考えられませんね。私はそれまで男性に言い寄られた経験など、一度もありませんでしたから」


「ほう、それは意外ですね。私にはあの場にいたどの令嬢よりも輝いて見えましたし、私以外の男もあなたを目で追っておりましたよ?恐らくあの場の誰に聞いたとしても、貴女が最上の花であったと答えたでしょう」


 それを聞いたセアラは程なくして一つの理由に行き当たり、自嘲気味に笑う。


(あの日もいつものように壁の花に徹していたつもりだったのに……)


「それでお姉さま方のご機嫌を損ねてしまったのかしらね……」


 セアラはぽつりと独り言つと、胸に手を当てて今度は柔らかく微笑む。


「そのお話が本当ならば、なおのこと貴方との結婚は出来ませんね。私は私が一番輝ける場所を知っています。その場所でなければ、貴方が見初めた花はたちまち色褪せて枯れてしまうでしょう」


「それはどうでしょうか。まだ気が付いていないだけで、もっといい場所があるかもしれませんよ?」


 ここまで言っても伝わらないのかとセアラがふぅと小さく息を吐くと、ディートリヒは畳みかけるようにアルへの評価を口にする。


「そもそも私には彼があなたに相応しいとは思えませんがね。先ほどの結婚式での振る舞いにもがっかりしました。あれでは現実が見えていないただの夢想家ではないですか。このまま結婚しては、あなたが苦労することは目に見えていますし、英雄と呼ばれていますが、運が良かっただけでしょう?私がグランヴェールではなくソルエールにいれば……」


「自分が世界を救った英雄になれた、まさかそう仰られるのですか?」


「っ……」


 先ほど貴族たちに対応していた時と同じように、笑顔を張り付けたままのセアラ。だが明らかに食堂内の空気が一瞬にして張り詰めるのを誰もが感じ、ディートリヒもたまらず口をつぐむ。


「あの人の強さが分からないことも、先程のことが全てただの夢想に感じられることも、正直、不愉快ではありますが仕方のないことだと諦めましょう。私たちが空の広さを知れないことと同じことですからね」


「……意味を捉えかねますね」


「ではハッキリと申し上げましょう。貴方程度では私には釣り合いません。今日のことは水に流して差し上げますので、どうぞお帰りくださいませ」

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