第194話 セアラの婚約者

 メインディッシュの狂騒に乗じてアルとアフロディーテが広場を離れたのを見届けると、アスモデウスはクロノスとともにセアラのもとへと向かう。


「どうやらお前の息子の嫁は随分と人気があるようだ」


 二人の視線の先では、貴族たちの対応に追われているセアラ。アルが席を外したことによって、で『戦場の女神』とお近づきになりたい者たちが押し寄せていた。


「ふん、身の程を知らぬ者ばかりのようだ」


「それは息子を評価しているのか?それともあのハイエルフの嫁か?」


「さぁ、どちらであろうな」


 そう言うとアスモデウスは集まっていた貴族たちを蜘蛛の子を散らすように、セアラを中心とした輪の中に割り込んでいく。 


「ありがとうございます、お義父様。助かりました」


 セアラが張り付けていた笑顔をふっと解いて頭を下げる。身分によって対応を変えるような性格ではないが、さすがに高貴な身分の者たちばかりを相手にしては気疲れしてしまうというもの。


「もとはと言えば我の頼みが引き起こしたこと。すまなかったな、アルを借りてしまって」


 アスモデウスがセアラに軽く頭を下げ、そしてクロノスを紹介する。


「いえ、お義父様にはいつも助けていただいておりますから、これくらいのことは。ですがせっかくの機会、ご一緒されなくてよかったのですか?」


「うむ、これを逃すと二人だけで話すような機会もそうそう無いであろうからな。その上、アルは我がおると、どうも意固地になってしまうようでな」


 ふぅとため息をつくアスモデウスの姿に、セアラはクスクスと口元を押さえて笑う。


「それはアルさんがお義父様に負けたくないと思っているからですよ。お義父様、と言うよりも魔王様は、アルさんが初めて敵わないと思った相手なんです。力でも、思慮の深さでも。そんな風に思った相手が自分の父親だと知って、素直になれないんですよ」


 推測などではなく、はっきりと言い切るセアラにアスモデウスは珍しく驚いた顔を見せる。


「どうして分かるのだ?」


「一番近くで見ているんですよ?分からないほうがおかしいです」


『それに案外分かりやすい性格をしているんですよ』とセアラが得意げに言って笑うと、アスモデウスがつられて声を上げて笑う。


「お義父様がそんな風に笑うところ、初めて見ました」


「ああ、我も久しぶりに笑った気がするな。だがそうは言っても、アルが分かりやすいというのはセアラだけであろうな」


「いえ、あそこにもう一人いますよ」


 セアラの視線の先には、ドラゴンステーキを口いっぱいに頬張ってご満悦なシル。口元についたソースをセレナにかいがいしく拭いてもらっているその姿に、セアラは悩まし気に頭を抱えるが、気を取り直してアスモデウスに向き直る。


「アルさんは確かに表情豊かとは言えないかもしれません。ですが、いえ、だからと言うべきでしょうか、感情をごまかすようなことをしません。なのでいつもアルさんを見てる私とシルには分かるんですよ」


「……アディがセアラとシルを気に入る理由が分かった気がするな」


「どういうことですか?」


「我も昔、アディに言われたことがある。案外分かりやすい性格をしている、とな。ユウキやリリア、どこぞのハイエルフには否定されておったが……おそらくアディがここにおったのならば、その意見に同意したであろうな」


「ふふっ、でしたらお義母様がお義父様をあんなにも愛されておられるのも納得ですね」


「む?」


「お義父様とアルさんはよく似ています。そしてお義母様が私と似ているのであれば、同じような方を好きになるのは、もはや必然と言ってもいいのではないでしょうか?」


 右の人差し指をぴんと立ててにっこりと笑うセアラに、アスモデウスはふっと笑う。


「そなたと話しておると本当にアディと話しておるようだ」


「おい……さっきから何を息子の嫁といちゃついておるのだ。気色悪い」


 セアラとの会話中は終始柔和な雰囲気のアスモデウスに、クロノスが眉間にしわを寄せて詰め寄る。


「どこをどう見たらそう見える……お前の頭の中は一体どうなっておるのだ」


「言ったはずだ。アディと結婚した時点で、お前に女と話す自由はないとな」


「そう言えばそのようなことを言っておったな……本気だったのか」


 二人のやり取りにくすりと笑うセアラ。

 最初は当たりの強いクロノスに内心ハラハラしていたが、よくよく考えてみれば、ここまで溺愛する妹分アフロディーテを託したアスモデウスへの信頼の深さは容易に想像できるというもの。


「ところでクロノス様が今日いらしたのは……」


「お話のところ申し訳ありません、ご挨拶させていただけませんでしょうか」


 セアラの言葉を遮って強引に割り込んできたのは、アスモデウスと同じくらいの長身に服の上からでも分かる筋肉の盛り上がりが特徴的な男。そして野性味と甘さが同居するその風貌は、周囲の女性たちからの視線を一身に集めていた。


「あなたは……」


「覚えておいでのようで安心いたしました、セアラ姫」


 セアラを姫と呼ぶどこか馴れ馴れしいその物言いに、それまで和やかだったアスモデウスの雰囲気がいつもの威厳に満ちた近寄りがたいものに変わる。


「セアラ、この男を知っておるのか?」


「えっと……」


「失礼いたしました。お初にお目にかかります、魔王陛下。グランヴェール王国第一王子、ディートリヒ・グランヴェールと申します」


 優雅な礼を見せるディートリヒと名乗る男。その所作は荒々しさも感じさせる見た目からは想像もできぬほどに洗練されている。しかしそれでもアスモデウスの警戒が緩むことは微塵もない。


「ふむ、義理とはいえ父と娘が会話を楽しんでいるところに割り込んでくるとは、一国の王子の態度としては褒められたものではないのではないか?」


「おっしゃる通りでございます。ですがこれでも式の間はずっと我慢していたのです。無礼と知りながらも話しかけずにはおれませんでした。お許しください」


 アスモデウスの雰囲気が更に剣呑なものに変わり、周囲の者たちが思わず退くと、セアラがそれを制して一歩前に出る。


「それはどういうことでしょうか?私の記憶違いでなければ、殿下とは舞踏会でご一緒になった際に一度お話をしただけだったかと思います」


『こんな風に声を掛けられる覚えはない』、そう言いたげなセアラの手を取り、手慣れた様子で口づけるディートリヒ。


「つれないことを言わないでください。我が麗しの『婚約者』殿」

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