第190話 二人の決断(前編)

 勇者ユウキ一行による魔王の封印から約三年。何の変哲もない、のどかさを絵に描いたような小さな町ディオネ。そんな町に似つかわしくないほどに整った顔立ちをした女性が、生後半年ほどの黒い髪をした赤ん坊を胸に抱いて歩いていく。


「あら、アディちゃん、こんにちは。アル君とお散歩?」


 畑仕事の手を止め、温和そうな中年の女性が二人に声をかける。


「こんにちは、ベルおばさん。今日はいい天気ですから家に引きこもってちゃもったいないですよ。それに、この子にはここの景色を好きになってほしいですから」


「のどかなだけでなぁんもないところだけどねぇ」


 ベルは首にかけたタオルで汗を拭きながらアフロディーテに近づくと、アルを覗き込んで優しく微笑む。


「私は好きですよ、緑が豊かで、風が気持ちよくて、人が優しくて。きっとこの子も好きになります」


「ふふっ、そう言ってくれるとなんだか嬉しいもんだねぇ。それにしてもアディちゃんが旦那さんとモンスターを追っ払ってくれた日から、もう三年くらいかしら?」


「あ~、もうそんなになりますか」


 腕の中でぐずるアルをあやしながらアフロディーテが答える。


「ろくな城壁もない小さな町だから、ああやってモンスターが来るたびに被害が出て……そんな立派なものを作るほど豊かでも無いから、仕方のないことって諦めてたんだけどねぇ。二人が来てくれてからは、少しずつ人も増えて町も順調に発展して、ほんとみんな感謝してるのよ」


『なんだか作物もよく育つのよ』と笑いながらベルが言う。


「感謝してるのは私たちのほうですよ。得体の知れない私たちを受け入れてくれたんですから」


 謙遜などではない、心からの言葉にベルの頬が緩む。


「二人さえよければずっと住んだらいいさ。もちろんアル君も一緒にね」


 ベルにそっと頭を撫でられると、まだ何も分からないはずのアルは、まるで笑ったような表情を浮かべていた。


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「アズさん!こっちは終わりました!!」

 

 ディオネに隣接する森の中、アスモデウスは町の若い男三人を連れてモンスター討伐に出ていた。


「ああ、ご苦労。もう周囲に目立ったモンスターはおらぬ、今日は帰るとしよう」


 アスモデウスはふぅと息を吐いて、三人とともに帰路に就く。この町に住んで以来、こうして町の若い男を交代で三人連れてモンスターの討伐に連れていくのが、すっかり日課となっていた。


(しかしモンスターの数がここのところ明らかに多い……偶然、ではなかろうな)


「アズさん、俺らもだいぶ板についてきたと思いません?」


 思考を遮る朗らかな声に、アスモデウスは小さく笑う。


「そうだな、最初のころよりは遥かにマシになった。だが一時の油断が……」


「「「命を奪う」」」


 三人が声を合わせ、ニッと笑う。


「耳タコですって、それ。そもそも前にやらかした時に嫌ってほど身に染みてますからね」


 一人がおどけるように言うと、あとの二人も笑ってそれに同調する。


「そうそう、お前泣きそうになってたもんな」


「しゃ、しゃーねえだろ!あの時のアズさんめっちゃ怖かったんだぞ!」


「確かに。正直、傍から見てた俺らもビビってたし」


「分かっておるなら良い。他の者たちと力を合わせれば、我がおらずとも、十分にモンスターどもを追い払えるだろう」


 まさか褒められるとは思っていなかった三人は目を丸くする。


「ちょ……アズさん、どうしたんすか?」


「そ、そうですよ。らしくないですって」


「その言い方じゃ、どっか行っちゃうみたいじゃないですか」


「深く考える必要は無い。ただ、いつも我がいるわけではないのだ。自信を持て、自分たちだけで町を守るくらいの気概を持つのだ。そうすれば今よりもっと成長できるであろう」


 不安げな三人に対して、そう語りかけるアスモデウスの声色は穏やかなものであった。


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 町のはずれに作られた小さな一軒家。いつものように夕食の片付けを済ませたのち、アスモデウスは妻子が待つ寝室へと向かうべく重い腰を上げる。


「アディ、以前よりもモンスターの数が増えておる」


「……うん、そうみたいね」


 ベッドの上、上体を起こしてアルを寝かしつけながら、相槌を打つアフロディーテ。その視線はすやすやと寝息を立てる息子から、ただの一時も離れることは無い。


「恐らく魔王不在によって、魔界が不安定になった影響が地上にまで出ておるのであろう」


「……うん」


「そろそろ例の件を本気で考えねばならん」


「っ……」


「我が魔王となり、こちらが落ち着くまで、アルシエルをユウキのいた世界に送る」


 淡々と告げられたその言葉に、唇を噛み、涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えるアフロディーテ。

 この世界を安定させるため、そして何よりアルの将来を切り拓くため、アスモデウスは魔王を目指すことを決断した。だがそれは即ち、アスモデウスにとって決定的な弱点となるアルとの別離を意味するものであった。


「…………姉さんも協力するって言ってくれてる……だけど……もうちょっと待って……せめてあと半年、この子の初めての誕生日を祝うまでは……」


「……うむ、それぐらいの猶予はあろう」


 アスモデウスはアフロディーテの震える肩を抱き、アルの膨れた頬を愛おしそうに撫でるのだった。




※あとがき


過去編は次で終わると思います。

あとアルシエルはアルの本名です、念の為……

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