第188話 転換点

「「「かんぱーいっ!!」」」


 アルとセアラの準備が進んでいる間に、宴会場の設営は完了し、早くもそこかしこから乾杯の音頭が聞こえてくる。

 女神アフロディーテの御前とあり、今日ばかりは正真正銘の無礼講。誰もが本祭の開始を待ちながらエールやワインを傾ける。

 そしてその『誰もが』には多様な種族も含まれていた。


「お父さん、この人たちってみんなアルさんとセアラさんのお祝いなの?」


 長耳を持つ父親のエルヴィンにそう尋ねるのは、セアラの従妹アイリ。こうして人族の街に来るのは初めての経験のため、先ほどからきょろきょろと珍しそうにあたりを見回している。


「いや、女神見たさの者も多いだろう。表向きは女神降臨祭であって、あくまでもアルとセアラの結婚式はその一環ということらしいからな」


「それにしてもこの人の多さだと、あんまりアル君とセアラちゃんとはゆっくり話せそうにないわねぇ……リタちゃんとシルちゃんはどこかしら?」


 母親のルイザがそう言いながらあたりを見回すと、教会から出てきたと思しき三人組のエルフと目が合う。


「あ!クラウディアちゃんじゃない!久しぶりねぇ、知らない人ばっかりで心細かったのよ」


「お久しぶりです、ルイザさん。あの、ちゃんづけはちょっと……」


「まったくもう、リタちゃんとおんなじこと言うんだから、さすが幼馴染ねぇ。じゃあこちらが娘さんかしら?」


「は、初めまして。ドロシー・ロンズデールです」


 にこやかながらも謎の威圧感を感じさせるルイザに、いつもは傍若無人なドロシーもたじたじ。

 そんなやり取りが行われている中、エルヴィンの視線はもう一人のエルフに釘付けとなっていた。見覚えのある瑠璃色の瞳。この世界で二人だけしか持たぬはずのそれが、その人物が誰かを物語る。


「……自己紹介の必要は無いかしら?」


「失礼致しました。私はセアラの叔父エルヴィンと申します。こちらが妻のルイザ、娘のアイリです。ラズニエ王国のハイエルフ、ルシア様とお見受けいたします」


「ふふ、そんなに畏まる必要なんてないわよ。確かにうちの国では聖域扱いだけど、あなたたちからしたら、遥か前にエルフの里から逃げ出したやつでしかないんだから」


 そう言って屈託なく笑うルシアに、エルヴィンは拍子抜けしながらも長老たちの言葉を思い出していた。

『天才ゆえに気難しい』、それがエルフの里に一般に伝わっているルシアの評価。だがそれはハイエルフであるがゆえに、自由の無い状況に辟易していただけであり、本来は明るく親しみやすい性格をしていたと。


「あの……」


「何かしら?」


 ルシアの瑠璃色の瞳がエルヴィンを見つめる。すべてを見透かすような、そして吸い込まれそうなその輝きに目を奪われ、次の言葉が出てこない。 


「言っておくけれど里には戻らないわよ?二度と足を踏み入れない覚悟で出てきたんだもの」


「……そう、ですか」


 長老たちから託された言葉すら伝えられず、あからさまに落胆するエルヴィンに、ルシアはふぅと息を吐いてもう一度言い直す。


「……いい?行くのは無理だからね?」


 顔を上げたエルヴィンはルシアの表情を見て、『ああ、そういうことか』と納得する。すべてを知っていた、否、気付いていたのだと。

 当時、里の宝である先祖返りハイエルフを守るために敷かれた警戒態勢は、勇者ユウキ一人でかいくぐれるほど甘くはない。誰かしらの協力がなければ連れ出せないことは明らかであり、そしてそれが誰なのかなど、考えるまでもないこと。

 だからこそもう二度と戻ることは出来ないと分かっていた。お互いの立場がそれを許さないのだから。


「はい、必ず、一言一句違えずにお伝えしておきます」


 エルヴィンが礼をしたその時、にわかに歓声が上がり教会前の広場の視線が一点に集まる。

 その視線の先には、濃紺のタキシード姿のアルが手を引く、瑠璃色のドレスを身にまとったセアラがいた。


「うわぁ、セアラさん綺麗」


「ほんとねぇ。やっぱりリタちゃんにそっくりだわぁ」


「……瑠璃色のドレス、か」


「お嫌いなのですか?」


 目を輝かせるアイリとルイザ。その一方でルシアの感傷的な様子にエルヴィンが思わず尋ねる。現代のエルフからすれば、ハイエルフは憧憬の的であることに間違いない。


「……はっきりと好きとか嫌いと言い切れるほど単純ではない、ってところね」


 自らの瞳をぴっと指してルシアが言う。

 瑠璃色の瞳を持つ天才の存在に、優しく優秀だった兄は狂ってしまった。そして口にすることすら憚られる役割を強要されそうになり、故郷を捨てなくてはならなくなった。ルシアにとって不幸を象徴する色と言ってもおかしくはない。

 エルヴィンがどう反応したものかと困惑していると、ルイザがのほほんとした雰囲気で口を開く。


「アル君には一度しか会ったことないですけど、そんな私でも分かるくらい、とってもできた子ですよねぇ。今日も周りからアル君に対する好意的な話が聞こえてきますから、どうやらその印象は間違いじゃなかったようですねぇ」


「誤解されがちなんですが、アルは潜在能力は高くとも、決して天才では無いんですよ。魔法を教えていたときも、コツをつかむまでは随分と苦労したものです。子供のころにやっていた習いごとでも、勘がいいほうじゃないと言われたそうですしね。類まれなる力を持ちながら努力家で、だからこそ人に教える時には丁寧で。そういうところも慕われる理由の一つなんでしょう」


「ドロシーも行く前は面倒だって散々渋っていたくせに、帰ってきたらすっかり絆されて大騒ぎしていたものねぇ?魔王討伐が終わったら絶対にソルエールに呼び寄せるべきだって」


 クラウディアにからかわれると、ドロシーは顔を赤くして抗議の視線を母に向ける。


「ふふっ、大丈夫。心配しなくても、この瞳のせいでずっと不幸だわ~なんて思ってないわよ。兄さんのことがあって少し感傷に浸っていただけ」


『それなりに楽しい人生よ』とルシアが笑う。

 瑠璃色の瞳を持つことで失ったものもあれば、得られたものもある。外の世界へと連れだしてくれた勇者ユウキ。聖女であり、唯一無二の親友リリア。そして今なお縁が続く現魔王のアスモデウス。この三人と世界を旅した経験は、何物にも代えがたいものがある。


「あの二人がいなかったら兄さんを止めることも、あんな形になってしまったけれど、最期を看取ることも出来なかったと思う。だから私は私がこれまで培ってきた、あらゆる権限を使ってあの二人を助けていくわ」


 礼拝堂での挙式に参加していないエルヴィンたちにドロシーが、アルとセアラが目指す未来について説明をする。


「さっきドロシーさんが言っていたことにも通じるんだろうけれど、ハッキリ言ってアルさんは真面目過ぎるのよ。あれじゃあセアラは相当苦労するわ」


「同感です……同感ですが、それでもアルさんはそのままでいいと思っています。せっかく私たちとは異なる思考をされる方をこの世界の常識に当てはめて……それでは結局何も変わりません」


 クラウディアの言葉にルシアが首肯して続ける。


「エルフの里を飛び出して三百年以上、前魔王を封印して、この世界はある程度安定していたわ。でも、相も変わらず国同士の小競り合いは無くならず、他種族との交流も遅々として進まない、この世界の向かう先はせいぜい現状維持か緩やかな衰退しかなかった。まあ私には世界を変えてやろうだなんて思いは無かったから、別にそれでもいいって思ってたけどね。そんなところに私に連絡もよこさずにのこのこやってきて、魔界と地上との交流を始めるっていう特大の一石を投じたのがアスモデウスだった」


 忌々し気にその名を口に出すと、テーブルに置かれたワイングラスをひっつかみ、喉元まで出かかった恨み節とともに、なみなみと注がれたワインをぐいっと飲み干すルシア。それでも一言、『ほんっとにいけ好かないやつ』という言葉だけは、その唇から漏れだす。


「ルシアさんはどうしてそんなに魔王陛下を邪険にするんですか?」


 ルイザが首をかしげると、ルシアは空になったワイングラスをくるくると回しながら口をとがらせる。


「邪険にしたのは私じゃなくて、あっち。さっきの結婚式で確信したの」


「何をですか?」


「要するにアスモデウスがアルさんをこの世界の転換点となるように仕向けたってこと。アイツはいっつもそうなのよ。格好つけてるのか知らないけれど口数が少なくて、何考えてるか分かりにくくてさぁ。アフロディーテもあんな根暗のどこがいいのかしら?ああ、そうそう、あの二人の馴れ初め教えてあげようか?」


 酒が入ったせいか、饒舌に語るルシア。


「あの、ルシアさん……後ろ……」


「後ろ?」


「酒が入ると余計なことを喋るのは変わらんな」


 ルシアがルイザに促されて後ろを見やると、そこにはアスモデウスが眉間に皺を寄せ、魔王の威厳たっぷりに立っていたのだった。

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