第187話 生きる理由

 セアラが準備を進めている隣の部屋では、アルの準備が進められていた。とは言えセアラほど大掛かりなものではなく、服を着替えて、髪をもう一度セットしなおす程度のもの。それゆえにさほど慌ただしさはないのだが、


「そんなあからさまに嫌そうな顔をするなよ……」


「だって……今日は一日セアラさんのお手伝いをするぞってはりきってたのに……何が悲しくてアルさんの準備を手伝わないといけないんですか」


「それは悪かったな」


 アルからすればかなり失礼な物言いではあるが、今にも泣き出しそうな顔をしながらも、手を抜かずにせっせと準備を進めるレイチェルを見ては、さすがに気の毒になってくるというもの。


「まあ……でも、ありがとうな。知らない人にやってもらうより気楽だし頼もしいよ」


 さんざん文句を言ってしまったにもかかわらず、素直に礼を言われ、レイチェルはバツが悪そうに頬を掻く。


「こ、ここでアルさんがみっともない仕上がりだったら、セアラさんに迷惑が掛かってしまいますからね。私にやれることは、きっちりとやらせてもらいますよ」


「ああ、助かる。ところでリタさんは良かったんですか?セアラのほうに行かなくて」


「いいのよ、メリッサの腕は絶対に必要だし、エリーちゃんにいたっては、一番長い間セアラのことを見ていてくれた子だもの。私なんかよりね」


 その自分を卑下するような物言いに違和感を覚え、アルが困惑の色を浮かべる。


「……あのね、アル君」


「はい、なんでしょうか?」


「結婚式が終わったら、アル君の昔の話を聞かせてもらえないかしら?」


「昔……ですか?」


 突然の申し出にアルが困惑の色を深める。


「そう、この世界に戻ってくる前の、向こうの世界でどんな風に育ってきたのか、どんな人と過ごしてきたのかを教えて欲しいの」


「……それは……」


「もちろんアル君にとって、嫌な思い出しかないって言うなら無理に聞かない。でもね……もしも、アル君にとって大切なものだったら教えて欲しい」


 その意図が掴めずに、アルがどう返していいのか分からずにいると、リタは優しく諭すように続ける。


「覚えてるかしら?アル君にこの世界でセアラとずっと一緒にいてくれるかを聞いたこと」


「もちろん覚えています。ずっとこの世界で一緒にいると誓ったことも」


 今度は間髪入れずにアルが答える。


「うん、本当に今更なんだけど、その時のことを後悔しているの」


「後悔、ですか?俺は別に……母親として当然のことだと思いますし」


 リタがその答えに『予想を裏切らないわね』と苦笑する。


「自分を後回しにするのはアル君の美徳だと思うし、その言葉だって決して嘘じゃないって分かってる。だけどね、本心って一つだけとは限らないでしょう?それこそ相反する思いを持ってしまうことだってあるわ。だから家族に対しては、それはしないでほしい。セアラはもちろん、シルちゃんにも、私にも、ね」


『その振る舞いは壁を作ることになるからね』とでも言いたげな真剣な眼差し。実際、やや束縛が強いはずのセアラですら、それを感じ取っているようで、アルの過去には進んで触れようとはしない。


「……はい」


 この世界でセアラと添い遂げるという誓い。それはリタを安心させたいという心からのもの。その一方で胸に抱いていた想いは、利己的でリタに心配をかけかねないものであり、誰にも打ち明けたことは無い。


「ふふ、よろしい、じゃあ話を戻すわね。私の後悔はね、アル君の気持ちを全然考えられなかったこと。その誓いがアル君にとって残酷なものになってしまうかもしれない、そんな当たり前の考えが全く無かったの」


 リタは当たり前のことと言うが、幼いころに離別した娘が突然連れてきた結婚相手を気遣うなど、そうそう出来るものではない。

 アルもそれは十分に理解していたので、わざわざ気に留めるようなこともなかったし、それで構わないと思っていた。だからこそ、リタがこうして自分を気に掛けてくれたのに、ごまかすような返答は出来ない。


「……リタさん、俺には向こうの世界に戻りたいという気持ちはありません。前にも言いましたが、俺はセアラに心底惚れていますし、シルの成長をずっと見守っていきたいですから。ただ一つ未練があるとすれば、俺をここまで育ててくれた人達に、未だ何も伝えられていないということです」


 アルがその胸襟を開くと、リタは静かに頷きながら耳を傾ける。


「確かにそばには両親もいなかったですし、不自由がなかったと言えば嘘になります。普通の人から見れば、およそ幸せとは言い難い生活だったかもしれません」


「うん」


「それでも、気の置けない友人や俺を導いてくれる人がいましたから、それらも含めて今の俺を形作ってくれた大切な経験です」


 リタが見つめるアルの表情は穏やかで、その口から語られる言葉に嘘はないのだろうと分かる。


「だから、聞いてもらえますか?セアラにも、出来ればシルにも聞いて欲しいと思います」


「ええ、それがいいわ。多分あの子も口に出さないだけで、気になっていたと思うから」


 アルとリタの話がひと段落したのを見計らって、完全に蚊帳の外に置かれていたレイチェルがおずおずと声をかけてくる。


「あの、アルさん……」


「終わったのか?」


「あ、もうちょっとなんですけど……その話って、私も聞いていいんですよね?」


「は?なんでレイチェルが聞くんだよ」


「いやいやいや、私だってさっきまでそんなこと露ほども思っていませんでしたよ?でもここまで聞かせておいてダメって……それはさすがに酷くないですか?アルさんには人の心がないんですか?」


「まあ人族の血は入ってないな」


「それを言います!?……時々思うんですけど、アルさんって私に当たりが強いですよね?私何かしました?」


 アルが『どの口が』とでも言いたげに大きくため息をつく。


「……胸に手を当ててみたらどうなんだ?」


「胸にですか?…………むぅ、ちょっと心当たりがありすぎますね……」


「お前なぁ……」


 言われたとおりに胸に手を当て、深刻そうな顔で間の抜けたことを言うレイチェルに、アルがとうとうこらえきれずに笑い出す。


「……ほらね、心配する必要なんてどこにも無いのよ」


 楽しげに笑う二人を見てリタが嬉しそうに呟く。


 惜しみない愛情を注いでいるシル

 裏切りすらも乗り越え、以前よりも固い絆で結ばれた仲間たち。

 こうして冗談を言って笑い合える友人たち。


 今のアルにとっては、セアラの存在だけではなく、そのすべてが宝物であり、この世界で生きる理由。

 リタが初めて会った頃に感じた、どこか危うさを持った青年の姿はもうどこにも無い。この世界に根を張って生きていくという力強さを感じさせる。


「ほらほら、話はそこまでにして。二人がイチャついていたから遅くなったってセアラに言いつけちゃうわよ?」


「「やめてください!!」」


 愛情と憧れ、種類は違えど、セアラへの想いが二人の言葉をぴたりと揃えさせるのを見て、リタは朗らかに笑うのだった。



※あとがき


 このお話のサブタイ、第70話と全く同じですね。敢えて同じにしたわけです。決して思いつかなかったわけでは……


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