第181話 いつか君が誰かを愛し、愛される日が来るように
アルとアスモデウスが揃って礼拝堂に姿を現すと、それまで和やかな雰囲気に包まれていた場の空気が張り詰める。
「おじいちゃん、おかえりなさい。パパと何を話してたの?」
そんな中にあって響くシルの無邪気な声。
アルは可愛らしく首をかしげる娘の姿を見て思う。各国の首脳が一堂に会したこの場。言うまでもなく腹の探り合いには慣れている者だらけ。それでもあの無邪気さの裏に隠された意図に気付く者がいるのだろうか、と。
いつものシルであれば、どれだけ気になろうとも、わざわざ席を外してくれとまで言われた話の内容を尋ねたりはしない。
にもかかわらず、今回に限ってそれをした理由。それは両親の結婚式にそぐわぬこの場の空気を察し、それを変えるためであった。
いつも一緒にいるアルとセアラは、誰よりも、それこそ本人よりもシルのことを理解している。その地頭の良さ、そして、いつも相手の顔色を窺っていることを。
これまでも生活態度のことではセアラに時々注意されてはいるものの、それでも困らせる程のわがままなど、シルの口からは一度たりと聞いたことがない。ちょっとしたお願い事は、二つ返事で応えられる程度の物ばかり。
けた外れの才能を持つとはいえ、まだ十一歳の少女。その性格がどこに由来しているものなのか、アルとセアラはそれを考えると胸が詰まって言葉が出なくなる。だからそんな時は、その銀髪をそっと撫で、精一杯の愛情を伝えてきた。
「アルさん、間もなく新婦様がご到着されますが、そのままご入場いただいてもよろしいでしょうか?」
アルは神父エリオットの言葉に頷きかけるが、アスモデウスに『任せて』と胸をたたいて笑うシルの声に思い止まる。
「……すみません、少しだけお集まりいただいた皆様にご挨拶をさせて下さい」
そう言うと、アルはエリオットの視界を塞ぐようにして参列者の前に立ち、深々と礼をする。
顔を上げたアルが参列者をゆっくり見渡すと、ひとりひとりと視線が合う。誰もがその口から語られる言葉を静かに待っている。
「本日はお忙しい中、私たちのためにご足労頂き、まことにありがとうございます。皆様もご存知の通り、私は神族と魔族の混血であり、セアラは人族とエルフの混血です。そんな私どものために、外におられる方々も含め、大勢の、そして多様な種族の方々にこうしてお集まりいただき、感謝の念に耐えません」
アルは再び深々と頭を下げる。
「このようなことは、いま現在、この世の中においては非常に珍しいことです」
先程のようなことがある度、アルは痛いくらいに実感する。
一度捨てられたことでシルが負った心の傷は、決して癒えてなどいないことを。恐らく本人ですら気付かぬうちに、誰かに必要とされる自分であろうとしている。役に立たない自分になってしまうことを恐れていると。
「この世界における絶対的な大多数は人族ですが、エルフやケット・シーなどに代表される妖精族には豊富な魔力や魔法の知識があります。そして魔法では劣りますが、ドワーフには手先の器用さとものづくりの才が、獣人族は卓越した身体能力を有しています。皆様のもとで少しづつ進められている、種族の垣根を越えた交流、適材適所での登用がさらに盛んになれば、この世界は今よりも大きく発展していくことでしょう」
魔界と地上の融和というアスモデウスの政策に端を発した、多様な種族が活躍する世界。それは確かにアルの望みの一端ではある。
だがまだ足りない。アルの望む世界はその先にある。
「そして切っ掛けは相互に利益をもたらす存在でも、それがいつしか良き隣人であったり、気の置けない友人になるかもしれません。あるいは私どものように、互いをかけがえのない存在だと思えるようにも……それが決して珍しいものではなく、当たり前の世界になればいいと思います」
それはこの場にいる全員に向けての言葉でありながら、ただ一人に向けての言葉でもある。
アルはシルにそんな世界を生きてほしいと願う。それが当たり前になった世界で生きることで、いつかシルの心の傷が癒える日が来てほしいと願う。
そして……いつか、シルのことを心から大切に思ってくれる、そんな誰かの愛情を真っ直ぐに受け止められるようになって欲しいと
その願いを叶えるためには、この場で言わなくてはならないことがある。アルは再び参列者を見渡すと、大きく息を吸って、腹の底からはっきりと通る力強い声を出す。
「私はその世界の実現のためであれば、この先どのようなことも厭わない。それをここでお約束いたします」
突然の宣言にあっけにとられる参列者たち。だがその言葉を反芻し、そこに込められた意図に気付き始めると、場がにわかに色めき立つ。
「んん?なんだ?どういうことだ?ブリジット」
礼拝堂の一番後ろの席。マイルズが隣に座るブリジットに耳打ちする。
「バカね、アルがどんなことも厭わないって言ったなら、それは……」
「お父さんの跡を継ぐかもってことだよね」
「あー、そういう…………はぁぁっ!?マジかよ!?じゃ、じゃあアイツまお……ふがっ」
マイルズの口を両手で抑え込むブリジット。
「ちょっと、大声出さないでよ……」
「前までは絶対いやって感じだったのに、どういう心境の変化?」
「さぁねぇ……ここにお集まりの方々にとって、望ましいことに違いないけど……」
アルを心配するブリジットとクラリス。
そんな二人の様子をマイルズは笑い飛ばして言い放つ。
「おまえら何言ってんだよ、アイツが心変わりしたってんなら理由は一つだけだろ?」
マイルズの言葉を受け、二人は前方かすかに見える銀色の猫耳に視線を送る。
「……時々……ほんっとうにたまにだけどアンタを見直すことがあるわ」
「うんうん、単純な思考が羨ましい」
皮肉たっぷりにクラリスがブリジットに同意するが、当のマイルズはどこ吹く風でぐっと伸びをする。
「いいんだよ、俺はそれで。考えるのはお前らに任す。そのほうが俺らは上手く行く、だろ?」
得意げな表情で言い放つマイルズ。その頬を二人が両側から思いっきりつねり上げる。
「いててててっ!何すんだよっ!?」
「顔がむかつく」
「死ね」
「……何してんだアイツら……?」
壇上から三人の様子を見ていたアルが呆れ声でつぶやく。
そしてアルはそれ以上何も言葉を発しないまま、静かに参列者たちの様子を見守る。向けられる視線からは決して目を逸らさず、自分の覚悟を示すかのようにまっすぐに見返す。
すると次第にざわめきが収まりはじめ、最初の和やかな空気が場に拡散していく。
そんな空気を肌で感じ、ほっとした表情を見せるシル。隣でクエスチョンマークを頭上に広げるセレナの手を取って、きゃっきゃとはしゃいでいる。
アルはそれを確認して微笑むと、自身の斜め前、目を閉じ、腕を組んで微動だにしないアスモデウス、後ろにそびえる女神像を順に見やる。
「……ありがとう、親父、母さん」
すぐそばに立っているエリオットの耳にすら届かぬほどに、小さな感謝の言葉がアルの口から漏れる。
こうして神族と魔族の混血という異端を恐れることなく、当たり前のように世界の輪の中に迎え入れてくれる。それはアルが世界を救った英雄だからという理由だけではない。その道筋を作ってくれたアスモデウスとアフロディーテがいたから。
「なに、大したことでは無い」
依然として目を閉じたまま、身動ぎひとつせずに返された父親からの言葉。
「……聞いてんじゃねえよ、まったく……どんな耳してやがるんだ」
アルは口元を隠し、まんざらでもないというようにふっと笑うのだった。
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あとがき
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
決して書いていなかったわけではなく、何度も書き直していたらこんなことに……
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