第180話 世界を変える小さな願い
「ふぅ……」
礼拝堂の裏手、セレナから手渡された水に口をつけて一息つくアル。先ほどから何度も同じことを繰り返している。
「アルさん、大丈夫ですか?お水、もう一杯持って来ましょうか?」
「いや、大丈夫。ありがとう」
アルは礼拝堂に着々と集まる招待客を見渡して嘆息し、セレナは『ふわぁ』と驚きの声を上げる。
是非にと請われて各国に招待状を送ったものの、いざこうして顔ぶれを見ると複雑な心境がこみ上げてくる。
「落ち着きが無いな」
「パパ、大丈夫?」
あきれ顔のアスモデウス。その後ろから心配そうなシルがひょっこり顔を出す。
「大丈夫、ちょっと緊張しているだけだよ」
「堂々としておれ、お前は我の息子なのだぞ?」
「……チッ……」
アスモデウスの言葉が意味すること。それは各国首脳は世界を救った英雄の結婚を呑気に祝福しに来た訳ではなく、魔王の息子の結婚式に出席したかったということ。
それ即ち、魔王の後継者としてアルを見ているということであった。
「シル、悪いがそこの者を連れて、先に席に戻ってもらえるか?」
「うん、分かった。セレナ……だっけ?行こ」
「えっと……」
シルに手を差し出され、困惑の表情を浮かべるセレナ。
「うちの家族は少ないんだ。セレナがいいんなら、一緒に祝ってくれると嬉しいよ」
アルが優しく語りかけてもなお、セレナの表情から困惑の色が消え去ることはない。
「全く、気が利かぬ奴だ……」
アスモデウスがぱちんと指を鳴らすと、セレナの服がシルと色違いのワンピースに一瞬で変化する。
「これでよいであろう?」
「す、すごい!ありがとうございます、えっと、アルさんのお父さん!」
セレナは笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げると、シルに手を引かれて礼拝堂の中へと入っていく。
同型異色のワンピースを身にまとった二人のケット・シー。その後ろ姿はまるで姉妹のようにも見える。
「さて……座れ、少し話をしよう」
「は?もうじきセアラが到着するぞ?」
「主役が席に戻らぬ限り、セアラが入場してくることはない」
「相変わらず傍若無人だな、さすが魔王様ってところか」
先ほどのセレナへの対応で一歩先を行かれ面白くないアル。そんな息子からの嫌味にも眉一つ動かさないアスモデウス。
「アル、お前は我の後継者となるつもりはあるのか?」
「何を急に……」
「そも、魔王とは魔界で鎬を削る数多の強者の頂点に立つ者。そう簡単に届く地位などではない。ましてや自らの意志で望まぬ者には到底務まらぬ」
「……望まねえよ。そもそも魔界に行ったことすらないし、自分をそんな器だとも思っていない。大切な人を守って、ついでに手が届くところにいる人を助けるくらいで十分だ。せっかくお越しくださったお偉いさん方には申し訳ないけどな」
そういうことかと察したアルが鼻で笑い、面倒くさそうに答えると、アスモデウスは目を閉じて静かに頷く。
「それでよい。お前はそのままでおればよい」
「……何なんだよ、一体。跡を継いでほしいのか、継いでほしくないのかどっちなんだよ?」
アルとしては、わざわざ式の直前に時間を取ったからには、よほど大切な話、それこそ魔王の座を譲るとでも言いだすのではないかと思っていた。しかし、そんな気配を微塵も見せないアスモデウスに怪訝な視線を送る。
「あれはアディによく似て、一度心に決めたことを貫き通す強さを持っておる。それゆえに危うい」
普段めったに変えないその表情に、後悔の念がありありと浮かぶ。
「かつてこの町を救ったアディは全ての力を使い果たし、ようやく我が魔王の座を得て戻った時には、もはや死を待つのみという有様。それを魔界の禁術まで持ち出して、どうにか生きながらえさせたが、その代償として多くの魔力を消費する体となった。それでもあやつは微塵も後悔しておらぬ、町の者たちが無事で良かったと腹の底から笑うのだ」
二人の間に流れる沈黙。
アルとしてはよく二人が似ているという言葉に物申したい気持ちもあるが、ソルエールで自分たちのために命を投げ出したセアラを見ている以上、それを否定することは出来ない。この一年、一番近くで彼女を見てきたアルには、はっきりと分かってしまう。
「……アンタはなんで魔王になったんだ?そこまでする理由は何なんだよ」
「答える必要があるのか?」
にべもない返答にアルは大きく息を吐く。
アルにはそれが拒否ではなく、わざわざ分かっている答えなど言う必要がない、という意図であることはすぐに理解出来た。
ずっと疑問に感じていた。アスモデウスには、魔王という座にありながら、権力への執着など微塵も感じない理由を。
認めたくはないが、自分に近しい考え方を持っている気がしていた。
それがなぜ魔王になる必要があったのか。考えられる答えは一つだけ。
「俺の為、か……」
ポツリと呟くアル。
アスモデウスは魔界と地上との融和を進めている。そしてその政策に伴侶であるアフロディーテの意思が反映されているのならば、更にその先を見ていることは明らか。
事実、アスモデウスとアフロディーテは、地上の豊かな資源と魔界の高い技術を以て、全ての者が暮らしやすい世界を作り、ゆくゆくは神界をもそこに巻き込むことを目指していた。
全ては神族と魔族の混血という
アルは席を立ち、礼拝堂で楽し気に会話をしているシルとセレナを覗き見る。
ケット・シーのシルやセレナ、そしてこれまで出会ってきたエルフのアイリ、ドワーフの血を引くジュリエッタ、これからを生きる子供たちが種族の違いや生まれ持った外見で差別されない、生き方を制限されない、どこに行っても笑って暮らせる
「遠きに行くは必ず
「結局、いつかは魔王になれってことかよ……」
「そこまでは言わぬ。だが有効な手段であることは紛れもない事実。むやみに忌避すべきでないことを理解しておれば十分だ」
アスモデウスが席を立って礼拝堂に向かおうとすると、その背に向かって、アルが呟くように問いかける。
「俺に……務まると思うか?」
「……分かっておらぬな。男が一人で出来ることなど、たかが知れておる。だからお前のそばにはセアラがおるのであろう?これから一生涯、互いが互いを補い、支えあって生きていくに相応しい相手だからこそ、お前たちは夫婦となったのであろう?」
「ああ、そうだ……癪に障るけど、その通りだ」
話を終えたアルとアスモデウスは、ふっと笑いあって礼拝堂へと入っていく。
そしてアルは女神像の前に立ち、アスモデウスは最前列の長椅子、シルの横に腰掛ける。
「おじいちゃん、おかえりなさい。パパと何を話してたの?」
「これから先、困難なことがあったとしても、セアラと協力して乗り越えていくように、とな」
「そっか、でも何があっても大丈夫だよ、私もいるもん」
自信満々に胸をトントンと叩くシル。その仕草にアスモデウスは珍しく笑顔を見せる。
「頼もしいな。ならば、シルもアルとセアラを助けてやってくれ」
「うん、任せて!」
朗らかに笑うシル。
そう遠くない未来、この小さな銀髪のケット・シーが、本当に
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