第176話 アルの準備
「あぁぁっ!!ホントにここにいた!!」
孤児院に響き渡る絶叫。
「メリッサ、レイチェル、どうしてここが?」
昼食までご馳走になり、既に孤児院の子供たちのアスレチックと化していたアルが、肩で息をしている声の主に向かって振り返る。
「ご両親に教会に居るって聞いたんですよ。ほら、早く準備しないと間に合わないですよ!レイチェル、アルさんの服出して」
こくりと頷き、レイチェルが収納空間から衣装が入った箱を取り出す。
「準備って言ったって……別に着替えるだけだろ?
「はぁ?アルさん、それ本気で……」
呆れ顔のメリッサを押し退け、レイチェルがアルの前に仁王立ちする。
「アルさん、セアラさんが気にしなかったからあえて言いませんでしたけどね、そんなボサボサの頭で結婚式に出るつもりですか?髪の毛のセットだけじゃないです、化粧もしてもらいますから」
「は?化粧まで?それはいくらなんでも……」
「なにか文句でも?」
瞳に静かな怒りの炎を燃やし、有無を言わせぬ迫力を見せるレイチェル。さしものアルも、ここは逆らってはいけないことを本能的に察知する。
「いや……お願いします……ってことで遊びは終わりな」
話の最中にもまとわりついていた子供たちを引き剥がし、そっと床に下ろしていく。
「ちぇっ、つまんねぇのー」
「なんだよー」
口々に文句を言う子供たちを『悪いな』と言いながら頭を撫でてなだめるアル。
その様子に『やれやれ』と言いながらも感心していたメリッサに向かって、セレナがおずおずと尋ねる。
「あ、あの……私、準備するところ見学してもいいですか?邪魔はしませんから」
「ここの子なの?」
「はい、セレナって言います」
「セレナちゃんね。いいよ、私はメリッサ」
「レイチェルだよ、よろしくね」
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「二人がここに来たってことは、セアラの準備はもう終わったのか?」
メリッサはエリオットの許可を得て、孤児院の一室を借りる。そして椅子に座らされ、されるがままのアルが口を開く。
「とりあえずメイクとヘアセットだけは終わらせて、あとはリタさんとエリーさんに任せてきました。期待してもらっていいですよ」
「メリッサがそう言うんなら、さぞかし綺麗なんだろうな」
妻を思い、思わず口角が上がる。
「もちろんです。きっとまたセアラさんに惚れちゃう人が続出しますよ。だから、いくらセアラさんがアルさんのことが好きだと言っても、油断していたら他の人にさらわれちゃいますからね?これを機に、もっと身だしなみに気を使ってください」
「ああ、気をつけるよ。ありがとう」
「アルさんが惚気るからどんな人なのかと思ったんですけど、お二人がそうおっしゃられるなんて、本当に綺麗な方なんですね。お会いするのがすごく楽しみです」
そう言いながらも、メリッサが手際良くアルの髪をカットしていくのを興味深そうに見学するセレナ。一方、メリッサとレイチェルはこんなところでも惚気けるアルに呆れ顔。
「……ところでアルさん、髪っていつもどうしてるんです?」
「長くなってきたら魔法で適当に。セアラもよく似合ってるって言うから、それでいいかって」
「はぁ、道理でところどころガタガタだと……いいですか?セアラの言うことなんてあてにしたらいけませんからね?あの娘はアルさんのことになったら知能レベルが五歳ですから」
「言い過ぎだろ……」
ヂョギン!!
「ちょっ!今めちゃくちゃ切らなかったか!?」
「ああ、ちょ~っとだけイラっとしたことを思い出しただけですから。気にしなくて大丈夫です。例え全剃りでもセアラならカッコいい、似合ってるって言ってくれますから」
「いや、それはさすがに……」
(……全く……元はと言えばアルさんがそういうのに無頓着だからダメなのよ。珍しくセアラの方から打ち合わせしようって言ってきたから、優良物件ぞろいだって言う合コンの予定も泣く泣く断ったのに……事あるごとに惚気話を聞かされた挙句、結局、何を着てもカッコいいだろうから私のおすすめでいいって……ふざけてるのかしら?)
ハサミという凶器にもなりえるものを滑らかに動かしながらぶつぶつと言うメリッサに、アルは次第に恐怖を覚える。
「ほ、本当に大丈夫か?」
「私の旦那さんを返してもらえませんかねぇ!?」
「何の話!?」
ここで唯一人、この場でメリッサの心境を察するだけの情報を持つレイチェルが動く。
「それにしてもセレナちゃんってさ、もしかして普段から他の子の髪の毛を切ってるんじゃないの?さっきからすごく真剣に見てるよね?」
このまま放っておくとアルの髪をむしり取りかねないと判断し、一旦、間を取ろうとセレナに声をかける。
「あ、はい。いつの間にか私の仕事になってて……でもさすがプロの方ですね、すごく勉強になります!」
その言葉に嘘偽りはないようで、先ほどから耳としっぽが興奮を隠せないと言ったようにせわしなく動いている。
そんな反応にまんざらでもない様子のメリッサ。先ほどまでの怒りはひとまず鎮火したようで、笑みが浮かんでいる。
「それならセレナちゃんも切ってみる?」
「ええええ!?そ、そんな……だって今日はアルさんにとって、すっごく大事な日じゃないですか……」
「いいのよ、それは気にしなくても」
本人を前にして、悪びれもせずに堂々と許可を出すメリッサ。
「お前が言うのかよ……でもいい機会だから、やってみたらどうだ?少しくらい失敗したって大丈夫、腕のいいプロが何とかしてくれる、だろ?」
アルと頷くメリッサを見比べて、セレナが差し出されたハサミをその手に取る。
「わ、分かりました。精一杯、頑張りますね!」
「ああ、でも剃らなきゃならないような失敗はしないでくれよ?」
「アルさん、一度任せたなら、男らしくドーンと構えていてください。みっともないです」
正論かどうかはともかくとして、レイチェルから苦言を呈され逡巡するアル。
やがて意を決して、その分厚い胸板をドンと叩く。
「分かった。セレナ、坊主になっても怒らないからな」
「さすがにそんなに不器用じゃないです」
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