第175話 アルと少女、ディオネの孤児院にて

「ねぇ、セアラってなんでアルさんが好きなの?」


「なんでって……世界一優しくて、強くて、カッコよくて、素敵な人だから?」


 ごくごく自然に惚気けるセアラに、メリッサがメイク道具の準備を進めたまま苦笑してかぶりを振る。


「……ゴメン、質問の仕方が悪かったわ。前にアルさんとの馴れ初めを聞いた時にさぁ、王都の街中で助けられたことが好きになったきっかけだっていうのは分かったんだけど……そもそも密かに訓練を見に行ったり、会いたくて街に出たっていうなら、もうその時点でほぼ好きだったわけじゃない?言ってみれば一目惚れって感じでしょ?なんでアルさんだったのかなって」


「なんで……だろう?一目見た時から、なぜだか目が離せなくて……」


 考え込むセアラを意外そうに覗き込む面々。

 この手の質問をすれば、先程のように間髪入れずに惚気混じりの答えが返ってくるのがいつものパターン。

 メリッサも結婚式前の緊張をほぐそうと話題に出しただけで、このように困惑を返されるとは微塵も思っていなかった。


「……さ、セアラ。そんな顔していては、お化粧出来ないわよ?」


「あ、うん、ごめん、エリー姉様。じゃあ……エリー姉様、メリッサ、レイチェルさん、お母さん、今日はアルさんとお似合いだって言ってもらえるような、素敵な花嫁にしてください」


 改まって頭を下げるセアラに、四人は『もちろん』と力強く頷くのだった。


ーーーーーーーーーー


 教会に併設された孤児院の一室でアルが目を覚ます。


「……ん……」


 アルが目を覚ますと、見慣れぬ天井がその視界に飛び込んでくる。

 顔を横に向けると、シルより少し上と思われる黒髪の猫耳少女が椅子に座って縫い物をしている。


(獣人……いや、違う。ケット・シーか……珍しいな)


「あ、目が覚めたんですね、痛いところはないですか?」


「おはよう……体は大丈夫。ここは?」


「ここは教会の横にある孤児院です。朝のお祈りの時に教会の椅子で寝てるのを見つけて、みんなで運んできたんです」


「ああ、そうか……ありがとう」


 利用するだけ利用して完全に放置して行った両親に対し、ふつふつと湧いてくる怒りをどうにか抑えてアルが柔らかく礼を言う。


「ふふ、どういたしまして。ところで、お兄さんはどうしてあんなところで寝ていたんですか?今日は女神様降臨の儀式があるから、会場準備で鍵をかけていたと思うけど……」


「あ〜……どうしても女神様を見てみたくなってね、鍵は……かかってなかったよ?」


「えー?もう……あれほど戸締りはきちんとって言ったのに……」


 アルはケット・シーの少女が思い浮かべているであろう人物に、心の中で懺悔する。


「あ、ところでお兄さん、お腹すいてない?もうすぐ朝ごはんだから一緒に食べて行けば?」


「それはありがたいけれど……いいのかい?」


 その問いに含まれる意図を察した少女が、『大丈夫』と頷く。


「ここは女神様の町ですからね。領主様もきちんと運営できるだけの予算は割いてくださっていますし、寄付をしてくれる人だってたくさんいるんです。もちろん贅沢とかはしませんけど、三食きちんと食事は出来るし、将来お仕事が出来るように教育だって受けられるんですよ?」


 そう言われて改めて少女の姿を見ると、髪の毛、肌、服装、全てが清潔に保たれており、その言葉に説得力を持たせていた。


「分かった、じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」


「どうぞどうぞ!あ、そういえばお兄さんのお名前は?私はセレナです」


「アルだよ、よろしく、セレナ」



 食堂に到着したアルとセレナを出迎えたのは、焼けたパンの香り、賑やかな子供たちの声、そしてかつて宣誓に立ち会ってくれた神父。


「またお会いしましたね。孤児院の院長を務めております、エリオットと申します」


「アルと申します。この度はご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」


「いえいえ、どうぞお気になさらず。さあ、話は食事をしながらにしましょう。せっかくのパンとスープが冷めてしまいます。セレナ、アルさんを席に」


「あ、はい……アルさん、神父様にお会いしたことが?」


「ああ、実は以前にも二度ほどお世話になっていてね」


「そうなんですか、だから神父様はアルさんを見てもさほど驚かなかったんですね」


「普通は叩き出されても文句は言えないよな。セレナだって一人で付き添わされて怖かったんじゃないのか?」


「それが不思議なんですよね。なぜかアルさんを見ていると、女神様を思い出すんです。心が落ち着くというか」


「……それは光栄だね」


 アルたちが着席したことを確認すると、当番と思しき男の子が女神への感謝の言葉を口にし、全員で祈りを捧げて食事が始まる。

 当然のごとく『名前』、『年齢』、『どこに住んでいるのか』、『仕事は何をしているのか』などなど質問攻めに合うアルであったが、それらに一つ一つ丁寧に答えていく。

 そしてそれが一段落すると、向かいに座るエリオットが微笑みながら話しかけてくる。


「それにしてもアルさんは随分と子供に慣れておられますね。子供たちも初対面のアルさんに抵抗を抱いていないようですし。やはり娘さんがおられるからでしょうか?」


「どうでしょうかね。ただ、似たような場所で過ごしていましたから懐かしいとは感じますね。今ではなかなか戻ることも難しいので……」


 育った児童養護施設とはもちろん内装も外装も全く違う。それでも子供たちが寄り添い暮らしている様子は、アルにかつての暮らしを想起させる。

 二度とは戻れぬ場所、そしてそこで過ごした日々を思って郷愁に浸るアルに、エリオットは目を細める。


「そうでしたか……しかし今はこうして立派になられて、アルさんを育てられた方もさぞかし喜ばれていることでしょうね」


「そう思ってくれているのであれば、嬉しいですね……」


「ちょ、ちょっと待ってください。アルさん、娘さんがいるんですか?」


「え?ああ、養女だけど十一歳の娘がいるよ」


「じゅ、十一歳?ア、アルさん二十歳ですよね!?あわわ、私と一つしか変わらないのに……そ、それってなんだか緊張しちゃうなぁ……」


「……セレナ?」


「詳しい事情は分かりませんが、もしも気になるのであれば手紙を送ってみてはいかがでしょうか?」


 なぜか顔を赤くしているセレナと、その様子に全く動じずに話を進めるエリオット。思わず二人の顔を見比べるアルであったが、結局エリオットの話に考え込む。


「…………手紙……ですか」


「ええ、時間はかかるかもしれませんが、届かぬ場所などそうそうございますまい。便りのないのは良い便りとも言いますが、やはり私もここを巣立った子からの手紙は嬉しいものです」


 一度、向こうの世界と自由に行き来出来るのかという問いをアスモデウスにしたことがあったのだが、結論は難しいというものだった。

 その最たる理由はアフロディーテの力が完全な状態でないこと。

 両世界の間には時空のねじれが生じており、不完全な状態では目的の場所、時間を指定することは不可能。そして完全な状態でも非常に難しいことに変わりはなく、リスクが大き過ぎるとのことであった。


(確かに手紙モノなら……試してみる価値はある、か)


「ありがとうございます、エリオットさん。今日の結婚式のこと、写真を添えて送ってみます」


「ええ、ええ、それがよろしいかと」


 アルがサラッと自分が今日の新郎だと暴露するが、それでも動じないエリオット。そして対照的に大声とともに立ち上がるセレナ。


「えぇーっ!!!!も、もしかしてアルさんが今日の新郎様なんですか!?」


「ああ、そうだよ」


 すると先程質問攻めをしてきた兄弟が、興味津々にアルの元へとやって来る。


「ねぇねぇ、お兄ちゃんは相手の人のこと好きなの?」


「バッカだなぁ、お前。結婚すんだからそんなの当たり前だろ?それでさ、お兄さんの相手ってどんな人なの?可愛い?どこが好き?」


「ああ、可愛いし、素敵な人だよ。いつも笑顔を絶やさない、まるで太陽みたいな人なんだ」


「うわ〜、お兄さん、全然そんなこと言うようには見えんのに……」


「はっきりとそう言える相手だから結婚するんだよ」


 かつて出口の見えない暗闇をさまよっていた自分に射した光、最愛の人を想うアルの優しい横顔。セレナはそれを羨ましそうに眺める。


「いいなぁ……私もそんなこと言ってくれる人と結婚できたら良かったのになぁ……」


 およそ十二歳の少女が口にするとは思えぬ言葉。それはこれから先、そんな時が自分に訪れることはないと確信しているかのよう。


「……セレナ、孤児院育ちだからとか、ケット・シーだからなんて考えたらダメだ。最初から自分はダメだと諦めている人と、逆境にも負けずにしっかりと前を向いて生きている人。セレナはどっちの人を好ましく思うんだ?」


「……前を向いて生きている人……」


「ああ、そうだよな。セレナは賢いからそういう考えを抱いてしまうのも分かる。だけど、そういう状況でも前を向いていられる人には、手を差し伸べて助けてくれる人や理解してくれる人、好きになってくれる人が現れるよ」


「……じゃあアルさんは……もしもアルさんのお嫁さんが私と同じ立場でも、結婚してくれるんですか?」


「もちろん」


 全く逡巡する素振りすら見せずに答えるアル。

 親のいないケット・シー。出会った頃のシルと同じ境遇にあるセレナを否定するはずがない。


「……ふふ……それなら安心です。じゃあ、もし頑張ってもそんな人が現れなかったら、責任を取ってアルさんのお嫁さんにしてもらいますからね?」


「そうだな、まあ許可が出るかは分からないけれど……」


「ふふっ、新婚さんですもんね!」


 アルに頭をポンポンとしてもらい、セレナが『えへへ』と歳相応の笑顔を輝かせる。


「それにしてもエリオットさんは結婚式のことを聞かれても驚かれないんですね?領主様から聞いておられたんですか?」


「いえいえ、単なる推測ですよ。結婚式と聞いてまっさきにお二人の顔が思い浮かびました。そして今日アルさんがここに現れて、これは間違いないと確信した次第です」


「そういうことでしたか……では、改めて本日はよろしくお願い致します」


「こちらこそ、このような機会をいただけましたこと、大変光栄に思います。どうぞよろしくお願い致します」

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