第174話 女神、魔王、そして聖女の力
「ふむ……どうやら思ったよりも大規模なようだな。ここら一帯のモンスターが殺到しているな」
言葉とは裏腹に全く焦る気配のないアスモデウスを、シルは不安げに揺れる瞳で見上げる。
「ねぇ、おじいちゃん……あのモンスターって操られてるだけなんでしょ?殺しちゃうの?」
「……それが出来ぬ訳では無いが、モンスターといえど生態系の一部。ここで全て殺すことは得策とは言えぬし、何より今日はめでたい日。シルもそのような日に血など見たくはないであろう?」
抱いていた懸念を見透かし、全て解決してくれる言葉をくれるアスモデウス。シルはぎゅっと抱きついて『ありがとう』と笑う。
「ちょっとちょっと、な〜に全部自分の手柄みたいに言ってるの?それをやるには私の力がいるでしょ?」
「うむ、もちろん頼りにしておる」
『んふふ』と笑ったアフロディーテは『仕方ないわねぇ』と呟きながら、シルの手を握る。
「シルちゃん、今の私だけだとしんどいから、ちょっとだけ手伝ってくれる?」
「え?うん、何をすればいいの?」
「ふふっ、簡単なことよ。はい 、シルちゃんおんぶっ!」
アフロディーテはスっとしゃがむと、肩越しにシルに呼び掛ける。
「え?」
「ほら、早く早く!」
「う、うん」
促されるままにシルが背中にゆっくりと乗ると、満面の笑みで立ち上がるアフロディーテ。
「じゃあね、ソルエールでアルにもやった要領で私にシルちゃんの魔力を分けてちょうだい」
「……うん、分かった!」
この状況であれば別におぶる必要など無かったのでは?とシルは思うが、突っ込むのも時間の無駄なので言われるがままにする。
シルの銀髪がキラキラと輝きながらふわりと浮き上がる。
次第にその光がアフロディーテの体を包んでいく。
「ん…………いいね、さすが
シルが応えようとしたその時、脳内に誰かの声が響き渡る。
【神族などに手を貸すための力では無いのだがな……】
「え!?誰?」
唐突に響いた忌々しげな声に、シルは当たりをキョロキョロ見渡すが、その声が再び聞こえることは無い。
「シルちゃん、どうしたの?行けそう?」
「う、うん、大丈夫!」(おばあちゃんには聞こえてなさそう……空耳……?でも何だろう……なんだか懐かしいような……そんな声……)
「……りょーかい!」
アフロディーテは返事を確認すると、シルを支えていた手を離す。そして目を閉じ、両手を組んで祈るような仕草を見せる。
いっそう強く輝く二人の体。シルの魔力が急激にアフロディーテへと注がれていく。
「……今この瞬間より、この地、ディオネは女神アフロディーテの庇護下に入り、我が聖域とする。この地で暮らす我が子たちに永久なる安寧をもたらさん。そして仇なす者に凄惨たる報いをもたらさん」
アフロディーテが両手を天にかざすと、その手から白く輝く光球が生まれ、ディオネの中心部の上空へ向かって放たれる。
やがてその光球がひときわ強く輝き破裂すると、町全体を白い魔力がカーテンのように揺らめきながら覆っていく。
「うおぉ……こいつはスゲェ……」
ギデオンたちが驚愕の表情を浮かべる。
既に光球も魔力のカーテンも見えなくなっているが、静謐な空気感に思わず背筋が伸びる。しかしそれと同時に心地良さも感じる不思議な感覚が、彼らを包み込んでいた。
「ふぅ、昔に比べて町も大きくなったから疲れるわね……でも、ありがとね、シルちゃん。結界を張ったからモンスターは町には入ってこられない」
「……あ……よかった」
「うん、よく頑張ったね。それでここからは選手交代」
疲労の見えるシルの頭をひと撫ですると、アフロディーテはアスモデウスの元へと向かいハイタッチを交わす。
そして城壁から結界の外へと音も無く降り立つアスモデウス。
顔立ちこそ似ているが、アルとは異なる赤い瞳が輝きを増していくにつれ、体から闇の魔力が立ち上る。
それは魔王と呼ぶに相応しい濃密で洗練された魔力。シルたちは思わず息を呑む。
まるで蜃気楼でも発生しているかのように、アスモデウスの周囲の空間が徐々に歪んでいく。
「この結界はね、邪悪な存在を祓うだけじゃないのよ」
ひとりその光景を見慣れているアフロディーテが得意げに胸を張った次の瞬間、アスモデウスを中心にして同心円状に凄まじい速度で見えない魔力の波が拡がっていく。
「っ!!」
真っ先に魔力の波に襲われ、咄嗟に顔を逸らし腕でガードしようとするシルたち。
だがそれがその場にいる者たちに、影響を与えることは無い。
「な、なんだったんだ、今のは……?」
一斉にギデオンたちが辺りを見回すと、その視線がモンスターの群れを捉える。
「……んん?止まった、よう……な……?」
シルが目を凝らし、首を傾げる。
先程まで徐々に、だが確実に大きくなってきていたモンスターの姿が一向に変わらない。
そして激しく上がっていた砂埃も小さくなっていく。
「さっき、おじいちゃんがやったあれのおかげ?」
「ええ、魔導具によって聴覚を刺激されたモンスターは、本能に従ってここを目指していた。つまり、より強烈に本能に訴えてあげればいいってこと」
「……なるほど、魔王陛下は魔力によってモンスターどもの恐怖心を煽った、ということですね?単純に本能に従っていたのであれば、生命の危機を感じて退くことは当然。そして先程の結界は我々を含め、町の方々に影響が及ばないようにするためのもの」
ヴェルゴがここまでの状況から導き出した推測を披露すると、アフロディーテは腕を組んで大きく頷く。
「付け加えるなら、精神操作魔法で命令でもしていない限り、という条件がつくけれどね。あの単純な魔導具ではそこまでのことは出来ない。個でしかない地上のモンスターなんて、どれだけ数がいたところであの人にとってはなんの問題にもならないわ」
地上との融和を進めているとはいえ、その実力はやはり魔王の名に相応しい。一同が感嘆していると、シルの耳がピンと立つ。
「あっ!ほらほら、モンスターが帰って行くよ!!おじいちゃんもおばあちゃんもすごい!本当にすごいよっ!!」
望み通りの結果に、元気を取り戻したシルがぴょんぴょんと跳ねながらアフロディーテに抱きつく。
「うふふ、シルちゃん、見直してくれたかしら?」
「ううん、見直さなくたって、おばあちゃんは元からすごいよ!!」
その言葉を受け、頬に口付けしながらシルをぎゅっと抱きしめるアフロディーテ。
「シル、我には言うことは無いのか?」
いつの間にか戻ってきていたアスモデウスが、期待に満ちた赤い瞳でシルを見る。
「おじいちゃんもすっごくカッコよかったよ!私、パパよりすごい魔力を持った人なんて初めてだもん!あんなのパパにだって出来ないよ!!」
「そうであろう?まだまだアルに負けるつもりは毛頭無いからな」
もはや魔王と女神ではなく、単に孫に褒められて嬉しそうな祖父母でしかない。
ヴェルゴはその空気に割って入ることを少し躊躇うが、三人の前に跪き、頭を垂れる。
「魔王陛下、女神様、そして聖女様。本当に有難うございます。皆様の功績につきましては、私が責任を持って閣下に報告させていただきます」
「先も言ったが、ここは我らにとって縁ある場所。面倒な礼などいらぬと伝えてもらおう。して、後処理は任せてよいな?式まではまだ時間があるゆえ、我らはもう少し祭りを楽しませてもらう」
「もちろんでございます。ただ女神様、一つだけお願いがございまして……」
「はいはい、分かってるわよ。さっきのやつはもう一度結婚式でやるわ。元からそのつもりだったもの。見せかけだけのものになっちゃうけどね」
表情から全てを察したアフロディーテが先回りして答える。
「あ、ありがとうございます」
その後、実は女神の大ファンだったジャイルたちから土下座をしながらの謝罪も受け、アスモデウスがひょいとシルを抱え上げてその場を去ろうとすると、まるで電池が切れたかのようにそのまま寝息を立て始めるシル。
「ごめんね、ちょっと無理をさせ過ぎたわね」
「……どうであったのだ?
「うん……今も十分に凄いけど、潜在能力はもっと凄まじいって感じかな。少し力を引き出してあげただけなのに、シルちゃんの魔力だけで結界を張れちゃったもの。私がやったのは術式を構築しただけ」
「……それ程までか…………果たして聖女とは何なのだろうな……」
「それは分からないわ……でも少なくとも今回のことで分かったのは、シルちゃんの魔力が
「……うむ、そしてシルがアルとセアラの娘となったことは、ただの偶然で片付けるには出来過ぎておる」
「ええ、そうね……」
まるで抗うことの出来ない運命に導かれているかのよう、二人の思考がそこに行き着くと、沈黙が流れる。
「……ねぇアナタ……ここを聖域とした以上、私はここから自由に出ることは出来ない。だからいつかシルちゃんに助けが必要な時は……」
「頼まれるまでもない。だがその一方で、我ら以外にシルを近くで支えてくれる者が現れてくれればよいとも思うのだがな……」
シルが心から頼りに出来る友人、気の置けない友人を作ることは難しいというのがアスモデウスの見立て。聖女であるということが足を引っ張るであろうことは目に見えていると。
「私はきっと現れると思うわ。だってシルちゃんはこんなに可愛くて素敵な子だもの。さっきのモンスターもそうだけど、まだこんなにちっちゃな手で、誰かを助けたいって考えてる……だから入口はどうであれ、きっとみんな聖女じゃない、シルちゃんだけの良さに気付くと思うの。そうすれば友達どころか、たくさんの人からプロポーズされたりするんじゃないかしら?」
「ふむ、しかしそれはそれで心配が尽きぬな。もしそのような時が来たのならば、シルに相応しい者かどうか我が見定めてやらねば」
アスモデウスが自身の腕の中で気持ちよさそうに眠るシルを撫でながら言うと、アフロディーテは笑顔を浮かべて夫の肩をポンと叩く。
「それだけは絶対にやめなさい」
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