第173話 スタンピード
「何の用だ?冒険者の受け持ちは町中のはずだろう?」
町と外界を隔てる門のうち、一番大きな南門の横にある治安維持隊の詰所へとやって来たシルたち。それに対し、面白くなさそうな態度を返す隊員。
それもそのはず、正規の治安維持隊である彼らからすれば、冒険者のような荒くれ者共の手を借りるなど恥でしかない。人手が足りずに万が一のことがあってはいけないと言われ、渋々受けいれたに過ぎなかった。
そしてそんなことはギルド側も承知の上。特に気にも留めることなくギデオンが用件を伝える。
「その通りなんだが、ちょっとのっぴきならねぇ事情でな。隊長に話を聞いてもらいてぇ」
「……ならばこの町のギルマスが話をするのが筋ではないのか?」
「ああ、まあ……それもその通りなんだが……」
ギデオンが困惑した顔で後ろをちらりと見やる。
視線の先には未だ生気の抜けたような表情でアフロディーテを見つめるジャイルの姿。
一方でアスモデウスとアフロディーテは自分で解決しろと言わんばかりに、静かに成り行きを見守っている。と言うよりも、正確には興味がない様子。
そもそもパニックが起きるまえにここに来ることが出来た時点で、もう事は済んだも同然。
あとは実際に群れの規模を確認してから、適切な対処をすれば良いだけの話。わざわざ無駄に自分たちの正体を明かす必要などない。
だがそんなことは露知らずのシルは、ハラハラとしながらギデオンと守備隊の男を見比べる。
「大体からして、この猫獣人の娘はなんだ?お前たちは子守りをしながら依頼をこなすのか?」
男がそんなシルを見て呆れた声を出す。
「違うよっ!私だってれっきとした冒険者だもん、ほらっ!」
ムッとしたシルがポケットから、誕生日にもらったFランクのままのギルドカードを提示する。
「ん?ああ……確かに本物のようだな。ま、もっともFランクじゃ小間使いみたいな依頼ばかりか」
「しかしなぁ、いくら小間使いとはいえ、こんな小さなお嬢ちゃんを冒険者登録させて働かせるなんて、よほどろくでもない親……」
「やめてよっ!パパとママを悪く言わないでっ!!」
自分を心配してくれるような言葉であっても、大切な両親を悪く言われるなどシルには耐えられない。
耳がキーンとなるような甲高い声が辺りに響き渡ると、詰所から隊長らしき男が身なりの良い騎士と思しき男を連れて出てくる。
「一体なんの騒ぎだ?中まで丸聞こえだったぞ?」
「す、すみません。この者たちが隊長と話をさせて欲しいと……」
「話?なんの……」
隊長が言い終わる前に、騎士らしき男がシルの前に跪く。近くでまじまじと見れば、まだ三十手前ではないかというほど若く端正な顔立ちであった。
「……お会い出来て光栄でございます、聖女様」
男がシルの手を取り、口づけをすると周囲がにわかにざわめき立つ。
「は、はわわ……お兄さん、私のこと知ってるんですか?」
このような扱いは初めてのシルが、白い頬を真っ赤に染めながら尋ねる。
「はい、もちろんでございます。私はファーガソン家の騎士団で副団長を務めておりますヴェルゴと申します。貴女様のことを忘れることなど出来るはずがありません。ずっと直接お会いして、お礼を言わねばと思っておりました。この再会を女神様に感謝致します」
「ええ!?ご、ごめんなさい!私、全然覚えてなくて……」
自身のことを知っている様子のヴェルゴの熱烈な言葉にも、シルは困惑を返すことしか出来ない。
「ふふっ、それは当然ですよ。ソルエールの大戦においては、私など取るに足らない存在でしかありませんでしたから」
ヴェルゴの話では、世界会議が開かれた際、ブレットの護衛としてソルエールへと赴いた彼はそのままソルエールの大戦に参戦した。そこで次々と召喚されたハイランクモンスターとの戦いにおいて、彼はその両腕をひどく負傷してしまったとのこと。
「例え命が助かったとしても、もはや騎士として生きることどころか、日常生活すら満足に送れない、そういった怪我でした。ですが貴女様の力によって、こうして再び剣を握ることが出来たのです。この御恩、どうして忘れることが出来ましょうか?」
「そ、そうだったんですね!お力になれて良かったです」
単に自分にお礼が言いたいだけなのだと理解したシルが『えへへ』とはにかむと、ヴェルゴは優しく微笑んで取っていた手を両手で包む。
ファーガソン家に捧げた騎士の誓い、ヴェルゴにとってシルはそれを取り戻してくれた女神のような存在。彼の感激と感謝の念は当然のことであったのだが、
「……そろそろその手を離したらどうなのかしら?」
純粋な気持ちであれど面白くないアフロディーテが口を挟み、小声で『本当に私に感謝してるならね』と付け加える。
「……失礼いたしました、私としたことが、つい嬉しすぎてはしゃいでしまったようです」
微笑みながらヴェルゴが手を離すと、すかさずシルを奪い返して威嚇するアフロディーテ。
「いい、シルちゃん?ああやって人畜無害なフリして、感謝とか口にしながら近づいてくる男には気をつけないとダメよ?お礼だって言われたら、こっちも無下には出来ないって分かってやってるんだから」
「う、うん……」
アフロディーテはそんな経験も無いくせに、どこかで聞きかじったような言葉たちを、さも自分のモノのようにつらつらと並べ出す。それに付き合わされるシルが不憫ではあるが、アスモデウスはパチンと指を鳴らしヴェルゴを問いただす。
「この会話は他者には聞こえぬゆえ、正直に答えるが良い。その反応、最初から我らのことが分かっていた、ということだな?」
先程のアフロディーテの言動は自身の正体を晒すもの。にも関わらず、さほど驚きを見せなかったことからアスモデウスはそう結論づける。
あの日に参戦していた者であれば、アルとセアラ以外でシルと近しい関係の男女二人が誰かを推測することは十分可能であり、正解を推測出来てしまえば認識阻害魔法は通用しない。
「仰る通りでございます、魔王陛下。状況から察するに、騒ぎ立てぬほうが良いかと愚考致しました」
他者の目があるため恭しく礼をとることは出来ないが、背筋を伸ばし精一杯の敬意を表すヴェルゴにアスモデウスは小さく頷く。
「その若さで副団長の職を務めるだけのことはあるということか。ではシルが聖女であることを明かしたことにも、もちろん理由があるのだな?」
「左様でございます。騎士団と治安維持隊は名目上は独立した別組織ではございますが、実質は騎士団の下部組織のようなもの。私が聖女様に跪けば、彼らもぞんざいに扱うことなど出来ません。ご威光を利用するような形となってしまいましたが、もちろんこの胸に抱く感謝の念は、誓って本物でございます」
「うむ、ならばそのまま話を進めてもらおうか」
もう一度指を鳴らしたアスモデウスに促されると、ヴェルゴは頷きシルに向き直る。
「して聖女様、こちらには何用でいらっしゃったので?」
「あ、えっとね、もうすぐこの魔道具のせいでモンスターの群れがこの町にやって来るんです。だけど私たちでどうにかするから、それを町の人たちには内緒にしててくれませんか?きっとパニックになっちゃうと思うから」
「……なんと……この魔道具にはそのような……隊長、聞こえたな?他の門にも急ぎ連絡を。見張り台へは私が案内しよう」
にわかには信じがたい内容の話だが、シル、アスモデウス、アフロディーテがこの場にいる状況では、ヴェルゴに信じないという選択肢はない。
「ほ、本当なのですか?それに先程から聖女様と……」
「二度同じことを言わせるな」
「は、はいっ!失礼いたしました!」
慌てて部下に指示を出すと、そそくさとその場から立ち去る隊長。
それを見送ったヴェルゴは『こちらへ』と、シルたちを見張り台へと先導する。
ヴェルゴが見張り台に着いて早々に人払いをすると、シルがぺこりと頭を下げる。
「お気遣いありがとうございます、ヴェルゴさん」
「聖女様、お礼を言われるようなことは何もしておりませんよ。全てはこの町を守るためにしたことですから」
「さ、そろそろ見えてくるんじゃないかしら?」
アフロディーテの言葉通り、見晴らしのいい平原を埋め尽くすかのようなモンスターの大群が遠くに見え始める。
「……なんだよ、ありゃあ……あれじゃあスタンピードじゃねえか……おいジャイル!てめぇいつまで呆けてやがるっ!冒険者からギルドへの報告はどうなってたんだ!兆候はあったのか!?」
ギデオンが頬に気付けの一撃を見舞うと、ジャイルはたたらを踏んでようやく正気を取り戻す。
「ぐっ……し、知らねぇ……俺の知る限りじゃ異常なんて無かったはずだ!こんな規模ともなりゃあ見落とすはずがねえよ!!」
「その話が本当だとすれば……ここまでのことを、人為的に引き起こすことが出来るということか……」
三人はその表情を青くする。
これまでにも何度か発生してきたスタンピード。それが致命的な被害を引き起こすか否かは、どれだけ早くからその兆候を掴めたかに懸かっている。ギルドが冒険者たちに事細かに報告をあげる義務を課している理由の一つであった。
そして今、この世界の歴史上初めて魔道具の力によって兆候の無いスタンピードが発生してしまった。
だからこそ、ギデオンたちはこの場に
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