第147話 恋をする権利
「夫……セアラさんの……旦那様なのですか?」
「は、はい。それで今日は……」
セアラが言葉を継ごうとする前に、ジュリエッタは満面の笑みを浮かべ、胸の前でパンと両手を合わせる。
「まぁまぁ!そうだったのですね?ではどんなお方か教えてくださいませんか?お爺様からお名前とアルデランドに多大な貢献をされたお方だと言うことは、聞き及んでいるのですが」
「え?ええっと……」
セアラが想像とは違う反応に戸惑っていると、クラリスがすかさず話に割って入る。
「アルはねぇ、この国だけじゃなくって、世界を救った英雄なんだよ?ちょ〜っとノリが悪かったりするところはあるけど、なかなかいいやつだしね」
「はわあぁ、そうなんですねぇ。英雄様、ですか……」
クラリスから英雄と聞かされると、ジュリエッタは頬を赤らめ、うっとりとした表情を浮かべる。
「ちょっとちょっと、なんでクラリスが答えてるのよ?それに褒めてどうすんのよ!」
今回のミッションは決してジュリエッタを傷付けることなく、結婚話を破談にすること。つまりアルからではなく、ジュリエッタが自分から嫌だと申し出るよう仕向けなくてはならない。
ここまでの上手くない流れに、ブリジットが焦ってクラリスの手の甲をぎゅっとつねる。
「痛たっ、痛いって、もう!これだからブリジットはダメなのよ……」
「はぁ?アンタに言われたくないわよ」
「ほらほら、すぐそうやって怒るんだもん。いい?人の印象ってどんどん上書きされるものなの。だからこういうのは順番が大事、アルが英雄なのは揺るぎない事実でしょ?つまり最後にそれを明かしたら、それまで積み上げてきたマイナスイメージを全部ひっくり返しちゃうの。だから今の好感度百点満点の状態からの、減点方式に引きずり込むって訳」
「くっ……それっぽいことを……」
未だトリップしているジュリエッタに聞こえぬよう、クラリスが自信たっぷりに二人に語る。
「あとはどれだけアルの評価を貶められるかだけど、こういうのはセアラは無理でしょ?ダメなとこなんてない、全部好き〜とか言いそうだし」
やや小馬鹿にしたようなクラリスに、セアラが対抗意識を燃やしてこぶしを握り立ち上がる。
「そ、そんなことはありませんよ?クラリスさんよりも、私の方がアルさんと一緒にいるんですから。私だってアルさんのダメなところを知ってます!」
「へえぇ……ねぇジュリエッタちゃん、セアラがアルのダメなところも教えてくれるらしいよ?結婚するならそういう面も知っておかないとね」
「た、確かにそうですね、ではセアラさん、ご教授をお願いします」
ジュリエッタが座ったまま背筋を伸ばして礼をすると、興味深げにセアラの言葉を待つ。
「こほん……まずは……そうですね……アルさんは女性にモテます!」
「それはダメなことなのでしょうか?」
「……んん……?」
「な、成程、妻以外の女性にも思わせぶりなことをするって、そういうことね?」
「は、はい!そういうことです、さすがブリジットさんです!」
「確かにそれは良くないですね!」
ブリジットのフォローを受けて、一応は納得したジュリエッタが続きを促す。
「えっと……あとは……アルさんは食べても太らないので、釣られて食べるとひどい目にあいます!実は私も最近すこしお腹周りが……ひゃあっ」
「ねぇ……これ……どこが太ってるって?」
「……二つ目にして限界かしら……」
陰でお子様体型と揶揄されているクラリスが、憤怒の表情でセアラのウエストをさすり、ブリジットは頭を抱えて嘆息する。
「それは我慢出来ないのでしょうか?」
「それはですね……あの、クラリスさん、ちょっとやめて下さいませんか?」
「むぅ……仕方ない」
「……いいですか、ジュリエッタさん?アルさんはコーヒーが好きなんです。となるとやはりお茶請けが必要となってくるわけですから我慢なんて出来ません。それに、好きな人と他愛もない話をしながら、好きなものを共有する時間というのは、とっても大事なことなんですよ?」
分かるような分からないようなとでも言いたげに、首を傾げるジュリエッタ。セアラは少し困ったように微笑むと、自分の胸に手を当てて言葉を探す。
「そうですね、なんと言ったらいいんでしょうか……最初はその場にそぐわなかった私という存在が、今では好きな人にとっての大切だと思う時間の一部になれている。とでも言いましょうか。それってすごく素敵だと思いませんか?」
「……大切だと思う時間の一部……」
「……ちょっと、セアラ、良いこと言ってるかもしれないけど、それじゃあただのアドバイスになってるわよ?」
ジュリエッタがセアラの言葉を咀嚼していると、当初の目的を完全に失念している様子のセアラにブリジットが耳打ちする。
「あ、そ、そうでした……ええっと、じゃあ続きまして…………私がいない時にシルと二人だけで出掛けます!」
「……それはただの嫉妬……ってシルちゃんは娘でしょ?みっともないから止めなさい?」
「は、はい……じゃ、じゃあ……あとは……あとは……あ!お酒があまり飲めません!」
「はぁ……それはダメなところじゃなくて体質よね?」
「あの、娘さんがおられるのですか?」
「うぅ〜……えぇっと〜……」
ジュリエッタの質問も届かぬほどに、産みの苦しみを存分に味わっているセアラ。ブリジットとクラリスは堪らず声をかける。
「セアラ、もういいから」
「うん、ジュリエッタちゃんがシルちゃんのことを聞いてるよ?」
「え?シルの?あ、は、はい……シルは私たちの娘で、ケット・シーなんです。とっても綺麗な銀髪にルビーみたいに赤い目で、可愛い自慢の娘なんですよ。ジュリエッタさんとは同い歳なので、もしもいつかお会いすることがあれば、二人がお友達になってくれたら嬉しいですね」
「ケット・シー……確か猫妖精、でしたよね?それはとても楽しみです!」
大人びているからなのか、はたまた子供ゆえなのか、血の繋がりは無いであろうことには言及せずに笑みを浮かべるジュリエッタ。
「それにしても……一生懸命不満な点を考えられているはずなのに、セアラさんはどこか嬉しそうに見えたのですが、それはなぜなんでしょうか?」
「ええっと……私としてはそんな余裕は無かったのですが……」
しばしセアラが考え込み、やがてひとつの答えを得ると、小首を傾げるジュリエッタに向き直る。
「……もしジュリエッタさんからそのように見えたのであれば、きっとそれは私がアルさんのことを考えていたからだと思います」
「……?ダメなところを考えているのに、ですか?」
「はい、だって私はそういうところも全てひっくるめて、アルさんが好きなんです。アルさんは面倒見が良くて頼りになるので、女性だけじゃなく男性からも慕われています。女性にモテるのは確かに嫌ですけど、だからってみなさんに対して冷たい人になんてなってもらいたくないんです。他のことだってそうです。大切な時間を一緒に楽しめるように、私が好きそうなお茶請けを用意してくれたり、飲めないお酒に付き合ってくれたり、いつだって私とシルを大切に思ってくれている。そんな温かくて優しいアルさんが私は好きなんです」
嬉しそうにアルへの想いを語るセアラに、ジュリエッタがもじもじしながら疑問を口にする。
「……あ、あの……セアラさんとアルさんは……その……恋愛結婚、なんですよね?」
「はい、アルさんは私の初恋の人なんですよ。だから私は本当に幸せ者なんです」
「あの、本当に不躾なお願いだとは分かっているんですが……お二人のこと、もっと詳しく聞かせていただけませんか?」
「……そうですね……じゃあ、恥ずかしいですけど、特別ですよ?」
ジュリエッタの熱意の籠った表情にセアラは少し驚くが、すぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべて了承する。
その後、セアラはアルとの馴れ初めを、時折ジュリエッタからの質問に答えながら聞かせていく。ジュリエッタは年相応の少女のように、目をキラキラと輝かせながら、時に涙を流しながら二人の物語に聞き入る。
「いいなぁ……私もいつか……」
思わず漏れたジュリエッタの恋への憧れに、クラリスが眠そうな目をさらに細くする。
「じゃあさ、ジュリエッタちゃんもそういう人を探したらいいじゃん。せっかく自由に恋をする権利を持ってるのに、もったいないと思うよ?」
「自由に恋をする権利、ですか……?」
「うん、お爺さんもご両親も関係なく、ジュリエッタちゃんが好きだなぁって思った人と結婚したらいいんだよ?それこそアルとセアラに負けないくらいの大恋愛だって出来るかも!それに、ご両親だってそうだったんだから、ジュリエッタちゃんもそれでいいんだよ」
「え?そ、そうなんですか?そんなこと私には一度も」
初めて聞く両親の馴れ初めに、ジュリエッタが驚きを露わにすると、セアラが跡を継いで話を続ける。
「ふふっ、聞かれない限りはあまり言うものではありませんしね。確かに国と国との結び付きという面もあるそうですが、お父様がまだ渉外の職に就いて間も無い頃、訪れた先でお母様に一目惚れされたそうですよ?そこから何度も手紙のやり取りなどをされて、ご結婚されたそうで」
「一目惚れ、ですか……ふふふ」
「ジュリエッタさん、どうかされましたか?」
「いえ、きっとお母様は最初は嫌がったのではないのかなと。外見だけで人を判断するなと、常日頃言われておりますから」
「どうでしょうか?それは今度お母様に聞いてみてはいかがですか?」
「……そうですね、今度お帰りになった時には…………」
少しの沈黙ののち、ジュリエッタが立ち上がり、子供らしくぺこりと頭を下げる。
「みなさん、今日は楽しいお話をありがとうございました。それで、ついでと言ってはなんですが、もう一つお願いしたいことがありまして……」
「はい、なんでしょうか?」
「私と一緒にお爺様のところに行っていただけませんか?」
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